第11話
二人はオークの助言に従って道を進んだ。
なだらかな道を進みきると、木々が消えて目の前に砂煙をあげる赤い土が現れた。
灼熱と火炎の国<フルマル>特有の大地。
雨があまり降らず、乾燥した大地は赤い色をしている。今までの大地は周囲にある切り立った山からの恩恵によって豊かさがあったが、それもここまでのことだ。大地の違いは面白いほどにはっきりとしており、海から見れば、白い地面が突然と赤くなることがはっきりと見れるほどに違う。
ここから先は、岩と赤い土しかない。そのさらに先に行けば、すべてのものを飲み込む、ただ砂の世界だけが広がる。
サザノメはついぞ見たことのない変化であったのに目を瞬かせた。
「面白しろいな、これ」
「そう言っていられるのも今のうちだぞ」
「そうなの?」
サザノメがきょとんと目を瞬かせてエレツを見つめる。
「砂漠は危険が多い、夜は冷え込む」
「へぇ」
サザノメは横を歩くエレツを見た。今の犬の姿でつんと鼻先を前に向けてすましているが、歩くたびに長い尻尾が揺れている。
その姿を愛らしく思って、サザノメは口元を緩ませる。
エレツが視線に気がついて不思議そうに見つめてくるとサザノメは慌てて視線を前へと戻したが、やはり黒い犬が気になって視線を向けてしまう。
岩砂漠は今までサザノメが経験したことがない疲労を与えた。
暑さから額からとめどなく汗が流れ、喉をからからに渇かせた。だが渇きに任せて水を飲み干すことも出来ないので我慢するしかない。エレツを見ると、彼は何度か訪れたことがあるのだろう。平然と尻尾をふって歩いている。その姿に、意地でも弱音を吐くまいと歯を食いしばる。
幸いにも、サザノメの気を紛らわせる者は傍にいてくれたので喉が渇いたら、エレツを見る様にした。
数時間はなんとかなかったが、肉体は我慢の限界に達しかけた。その前に太陽が茜色に世界を染め、空は紺碧の色に変わり始めた。
そうなると、今まで暑いほどであったのに身を震わせる寒さが訪れる。
一休みする暇もなくサザノメはすぐさまに一夜を明かすのには適度な岩を見つけ出し、野宿の準備をはじめた。今まで一人で旅をしていたので、準備は慣れていた。オークから譲り受けた干し肉と酒で喉を潤したあと、サザノメはエレツを手招いた。
「おいで」
すでに食事を終えていたエレツは尻尾を振って素直に近づいてきた。両手でエレツの体を抱きしめる。
「あったかいなぁ、エレツ」
サザノメはエレツの頭を撫でながら空を見上げた。
「街は、あとどれくらい?」
「急いでもいない、ゆっくりいけばいい」
「そうだね」
サザノメはエレツの体に顔を埋めて深呼吸した。
「あんたの気持ち、すこしわかったよ」
「ん?」
「俺を撫でるのが、うん。これは気持ちいいな」
「そうか」
エレツの声を聞きながらサザノメは目を伏せた。
翌朝、まだ空に太陽が昇る前の闇の中で音がしたのにサザノメは目を覚ましてみるとエレツは人の姿に戻っていた。その姿を見たとき、サザノメは心底落胆した。
「俺の服は」
「さーね」
「わかった。かわりの服を着る」
エレツは荷物から自分の新しい服を取り出すとさっさと着てしまう。なんとも可愛らしくない生き物だとサザノメは内心で呟きながら、何もしないのも我慢できずに、オークが持たせたくれた荷物にミルクがあったのを思い出し、火を焚き、鍋であたためる。
山羊の乳は匂いが強烈だが、その分甘みもある。
あたためたものに塩を入れて、更に甘みを強くしたそれをコップに注いで、エレツに差し出した。それが寒空の中目覚めたときに裸であった旅の友人に対する唯一の慰めだ。
「ほら」
「ありがとう」
身支度を整えたエレツがミルクを受け取り、口つける。
二人は干し肉をかじった。
「あと一日も歩けば街につくだろう」
「だといいけども。はやく風呂に入りたいよ」
エレツがサザノメの風呂という発言に不思議そうに見つめてくる。
「風呂に入る習慣、ないのかよ」
「いや、そういうわけではないが、そこまで入ることもないな」
真剣に言われたサザノメは思わず我が身を抱いて叫んだ。
「汚いだろうっ! ええ、エレツ、もしかして風呂はいらないの」
「あまり……」
「汚い! 俺とやったときもばっちかったの。わー」
思わずサザノメは身ぶるいする。
「なっ! ちゃんと毎日、タオルで拭いている」
慌てて反論するエレツをサザノメは胡乱げな目で睨みつけた。
「俺の傍にいるときはちゃんと風呂はいれよ」
「タオルで拭いているからいいだろう」
ジト目でサザノメはエレツを睨んで数分、何か言いたそうにしていたがはぁとため息をついた。その態度にエレツのほうが不思議になってくる。
「風呂のなにがいいんだ」
「うるさいな……風呂が好きなんだよ。身奇麗にしないとな。もてないんだぞ」
「もてなくていい」
「ああ、エレツには俺がいるもんね。けど俺のためにも身綺麗にしてよ。臭いともう背中に乗せないからな」
茶化したように言い返しながらサザノメは甘いミルクに舌鼓をうった。体の芯までほかほかにする。
「なぁエレツ、聞いてもいい?」
「なんだ」
「お前を生かしてくれてるものってなに?」
「なんのことだ」
エレツが怪訝と尋ねてくる。
「前に話してくれたよな。お前が生きているのはある人のおかげだって」
「もう死んでる」
予期していたこととはいえエレツがあまりにもあっさりと言うのにサザノメは多少怯んだ。だが、知りたいのは、そんなことではないのだ。知りたいのは、その相手のことだ。
「どう思ってた?」
「敬愛していた」
「愛していたか?」
エレツは無言でミルクを飲み干したあと、頷いた。
「愛していた」
「それだと過去形だ」
「愛している」
即座に言い直す律儀さにサザノメは苦笑いを零した。
「歪めないようにな」
「歪めたりはしない」
サザノメは無性に腹が立った。この男の底の見えなさが自分を苛立つ。知りたい。隠しているすべてを暴き立てたい。
「そういうの歪めるっていうんじゃないのか」
嘲る言葉は過去の自分に対する台詞だった。だが、自分が犯した過ちを誰もが踏むわけでもない。現にエレツの黒い瞳はとても澄んでいた。
サザノメは後悔して言い訳がましく言葉を続けた。
「顔、見たい」
サザノメが口にした言葉にエレツがペンダントを取り出して、差し出した。
「このなかにある」
ペンダントを渡されてなかを見てサザノメは眼を瞠った。
「美人だね」
「ああ」
「……憎むほうがいいことだってある」
「憎む? なぜ、恨みはないぞ」
「そういうの真面目だって言うんだ。俺は心配だよ、エレツ」
茶化したが、そのくせ少しも笑えなかった。まるで自分が追い詰められているようだ。
「よく言われる」
「もう、わかりやすいなぁ」
「直そうと思って直るせるものでもないからな」
「お前の傍にいると、こー、寂しいわ。愛しているからさー、ほんと」
「愛がいらないと言ったのは誰だ」
エレツがすかさず言い返す。
「俺はお前に愛なんて求めてない」
むきになってサザノメは言い返した。
言葉を返しながらも、本当にそうなのかとサザノメは眉を顰めた。
自分は本当に求めていないのだろうか。
どうして心は、こうも移ろいやすいのか。絶対にかわらないものはないのだろうか。変わることがなく、相手だけを思い続ける。たとえ苦しかろうと、悲しかろうと、その愛を貫くことがどうして出来ないのか。
「なら、なにがほしいんだ」
「なんだと思う?」
サザノメは首をかしげて尋ねてみた。一体、自分は何がほしいのか、サザノメ自身がわかっていなかった。
「……それがわかれば苦労しない」
「苦労しているのかよ、お前」
「まったくしていないわけじゃないぞ」
「ああ、腰の動きとか、俺を喜ばせるために」
「ばかか」
神妙な面持ちで言い返すサザノメにエレツが深いため息をついて言い捨てた。
「なら、望みを言っておこうか?」
サザノメは無性にエレツを引き裂きたい衝動にかきたてられた。理由もなく、ただ目の前にいる男を自らの爪と牙で引き裂き、その血肉を喰らい尽くしたいという暗い欲望を覚えた。
そんなことは出来ないと理性が必死で止める。この男を自分は必要としているからこそ、声をかけたのだ。しかし、それがどうしようもなく言い訳めいていると自分自身で思えならなかった。
言い訳と嘘で塗り固めないと、自分はエレツの傍にいることすら叶わないようにすら思えてしまう。
「不変のもの。決してかわらないもの」
口に出したとたんにサザノメは笑った。自分でも、それが決して叶わない分類のものだということを知っている。知っていながらも求めている。自分が不変になれないから。
「……かわらないもの?」
「そう、かわらないもの」
「なら、なおさら、どうして俺を選んだ」
「生きたいのと死にたいのがごちゃまぜだから」
エレツをはじめて見たときに感じたことをそのまま口にした。はじめて出会ったときから感じていた印象はエレツという男を知れば知るほどに深まった。この男の深い底にあるものはなんなのか、それはちらちらと見えて、触れれるようで触れられない。
「不思議なやつだ」
エレツが目を細めてサザノメを見つめる。
「そうかな。俺はお前みたいなのなら出来ると思っているけども」
「俺が変わってしまったら、お前は殺してくれないのか?」
サザノメはきょとんとした。まさか、そのようなことを問われるなどとは思いもしなかったからだ。
黒い瞳が、サザノメを真っ直ぐに映す。
「お前が死にたいままなら殺してやる。……けど、生きたいだろう。今は、すごく」
「今は、な」
死にたくなるときがくるといいだけなのに、サザノメは苦笑いを漏らして、愚問ともいえることを口にした。
「なんで死にたいんだ」
エレツとサザノメは見つめ合う。火が音を立てて爆ぜる。
「俺、お前のこと知らない」
「それでもお前は約束をした」
「うん」
強い口調で言い切るエレツはまるで浅ましさを非難しているように思えてサザノメは俯いて、朱色の燃える炎を睨みつけた。
「お前は村人たちに追われても、俺を助けた」
「うん」
「……頃合いかもしれないな」
エレツから疲れたため息が漏れた。
「償い、だな。もうひとつは、被害拡大の防止」
「被害拡大の防止?」
サザノメは怪訝とした顔で聞き返した。彼がしてきたことを全部見たわけではないが、それでも垣間見たのは生半可なものではなかった。サザノメが見た以上のことをエレツがしたとしたら、償いのために死ぬというのは理解できるが、その後半の意味はますます疑問だ。
「……いつ昔の状態に戻るかわからない。戻ったら、また同じことを繰り返す」
「どういう意味だ。お前が人を殺すってことか」
「……理性の問題だ」
血を吐くようにエレツが言い返す。
「血に飢えているのか?」
「……いいや」
「なら」
「俺の狂気は、強い術で封印しているような状態だ。術は無限ではない。いつか、切れる」
「術は誰が?」
「術は自分でやっている」
サザノメは目を眇めてエレツを見た。彼は自分をまるで信用できていないのだ。
「俺を殺してみろ、エレツ」
サザノメが挑発的に言うとエレツは驚いた面持ちになり、ついは怯えたように顔を曇らせた。
「出来ない」
「どうして」
「グレイスの名前を捨てたとき、そう決めた。人を殺さないと」
エレツはじっとサザノメを睨むように見つめた。
「俺にお前を殺させるな」
切実な祈りのような声にサザノメは下唇を噛んだ。
「どうして」
「お前が死ぬところは見たくない。……大体、約束が違う」
「約束って」
「俺を殺してくれるのではなかったのか」
エレツは苛立ちから剣呑な声で咎めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます