第8話

 サザノメが小さく鳴いたのに相手は怯えることもなく、片手を伸ばしてサザノメの頭を撫でた。サザノメは抵抗はしなかった。むしろ、先ほどの警戒が嘘のように愛想よく尻尾を振っている。人前ではいい子ぶるやつだとエレツは呆れた。

「ここから近いと言ったが、近くに村があるのか?」

「いいや、一人で暮らしてるんだ」

「こんな村から離れたところで、か」

 エレツの問いに相手は笑って頷いた。

「僕は薬師でね。村よりも、ここのほうが薬になる薬草が採れるから、ここで生活してるんだ。だから、怪我は死活問題なんだよ。君たちみたいにたまたま通りかかる人がいなければ本当に危なかった」

 青年はしみじみと言ったあと、エレツに目を向けた。

「ああ自己紹介遅れたね。僕は、オーク・ぺティア」

 相手の目と声は、エレツにも名乗ることを期待している響きがある。ここで名乗らないのは逆に怪しまれる。

「エレツ。……エレツ・ヴァダール」

「よろしく。エレツ。……それで先のお願いだけども、運んでもらえないかな? まさか、ここで見捨てるなんて薄情なことはしないよね?」

「それは」

「頼むよ」

 オークの言葉には断りづらい押しの強さもあった。

 舌を抜いて生まれたような口下手であるエレツが押されてしまうだろうとサザノメも理解しているらしく、そっと前足を持ち上げて、エレツの手に自分の手を重ねて、爪をたてて警告を示した。

 エレツは顔をしかめて、サザノメを睨んだ。

「エレツ?」

「いや、なんでもない……わかった。どこなんだ」

 サザノメの警告をエレツはあえて無視した。

 オークの目の前でなければサザノメは舌打ちの一つもしていたかもしれないが、愛想のいい犬はエレツの手に思いっきり爪をたてはしたが、吠えるようなことはしなかった。

「ここから、すぐだよ。手を貸してもらえる?」

「サザノメに乗るといい」

 エレツがオークに手を貸して立ち上がらせると、サザノメが顔をしかめた。もし人の姿であれば、今度こそ思いっきり舌打ちの一つもしていいだろう。

 サザノメの金色の瞳は、エレツを睨んでいたがオークが背中に乗るのに抵抗はしなかった。もう好きにしろといいたげだ。

「うわぁ、こんな獣に乗れるなんて嬉しいよ。ふふ、僕は日ごろ山の中に引き込んでいるせいか、人と話せるのがすごく嬉しいんだ。さぁ、すぐそこだから行こうか」

 オークが言うとおりに進むと、夜の暗闇の中でもはっきりとわかるほど立派な木があった。

 目を細めると、その木に飲み込まれるようにして建物が存在していた。ひっそりと身を置く建物は、それだけの年月を感じさせた。近づいてみると、かなり朽ちていて捨てられたものなのか、はたまたまだ人が住んでいるのか判断できかねたほどのあばら家だ。

 建物の前まで来るとオークは自らサザノメの背を降りると、家を背にして、両手を広げてみせた。

「さぁ入って。古いけども、雨露を凌げて、人を二人と犬を一匹くらいならいれるスペースはあるからさ」

「いや、俺は」

 エレツが丁重に断ろうとすると、オークが、がっしりと腕を掴んできた。

「お礼もさせてくれないわけ? それに、こんな夜に、ここの地形も知らない人間が出歩くのは危険だよ。さっきも見たように、ここは急に道が消えていたりするし」

「……わかった」

 押し切られる形で渋々とだが返事をしたあとエレツは自分に向けられている視線をいやでも感じた。

見ると足元にいるサザノメの金色の双方が、自分のことを嘲っている。

「さ、入って、入って」

 オークは、家のドアを開けて客人たちを中に招くが夜よりも暗いその空間に足を安易に踏み入れるほどにエレツは怖い者知らずではなかった。足元でサザノメが擦り寄ってきて、エレツにしか聞こえない小さな口笛を吹く。完全に遊んでいる。

「あ、いた。いたた。えーと、うわ、腰うった」

「オーク、大丈夫か」

「え、ああ、平気、平気。待っていて、よし、あった。これだ。これ、これ」

 ふっと、オレンジ色の灯りが周囲を照らした。

 オークの片手には獣脂の蝋が握られ、にこりと笑う。よくあの暗闇で物がある場所がわかったものだとエレツは感心した。

 ようやく仄かな灯りで照らされた室内は、何年も掃除されてない汚らしい部屋だった。

 床には紙が散乱して、さまざまな物が密集して置かれて、ますます部屋を狭くしているようであった。

「どうぞ」

 オークは紙の散らばった床を踏みつけて、椅子をエレツに勧めた。頭を打たないように注意しながら玄関をくぐり、エレツは室内を見回しながら椅子に腰かけた。

「汚いけども我慢してね。普段人を招くことがないんだ。うん。嬉しいよ。こんな山の中だと寂しくて仕方ない……悪いけども、ちょっとあそこの棚の二段目から薬をとってくれないか? あと、その中にある葉っぱを」

「わかった」

 オークが示す棚からエレツは見事な細工の施された硝子瓶とその横にある葉っぱをとって渡してやった。オークは、その瓶をとって蓋を開けると緑色の塗り薬を指にすくいあげると捻挫した足に塗り、葉っぱを押し付けた。

「こうすると、足がすぐによくなるんだ」

「ほぉ」

 薬師というのは嘘ではないらしい。

「この硝子瓶、きれいでしょう? 灼熱と火炎の国<フルマル>ならではのものでね。といっても自慢する相手がいなきゃどんな美術品も意味がないんだけどね」

 オークは皮肉ぽく笑った。

 灼熱と火炎の国<フルマル>その名のように火の精霊の加護が強い。そのおかげで他よりもずっと強い火を得られるので鍛冶が盛んである。しかし、それだけで食べていくには才能か、あるいは貢いでくれるパトロンがついている者だけである。ほとんどの者は副業として硝子細工も作る。鍛冶が儲からず、副業が本業となって硝子細工師をしている者も珍しくはない。

 オークの手にある、小さな紫色の瓶は、実に美しい色形をしていた。名のある硝子細工師が作ったものだろう。

「……いい品だな」

「うん。きっとすごく才能がある人が作ったんだよ」

「泊まって行くよね?」

「……ああ」

 家の中にはいった地点で、一晩世話になることは決めていたことだ。

「一人で寂しくてね。いやぁ、ようやく、この瓶の自慢も出来たよ。喉が渇いている? よかったら、水をどうぞ」

「水か……悪いが、水を少し分けてもほしい」

「喜んで、ここの近くに湖があってね、そこで僕は水を汲んでるから、分けるくらいはあるよ」

 オークはエレツの申し出に優しく応じた。諦めていた水が手に入り、まともな寝床で寝れるのは多少の危険はあっても得をしたといってもいい。

「よかったら、食事にしよう。といっても僕は動けないからエレツに頼るんだけども……この部屋の奥に台所はあるから」

 オークは申し訳なさそうに笑うのにエレツは立ち上がって奥の台所に赴いた。

「どうすればいい?」

 台所も部屋と同様にかなり悲惨な状態だったのにエレツは困り果てた。

「適当につまんで。あ、鍋にスープがあるから」

「わかった」

 狭いキッチンは、長年使われて脂で黒く汚れていた。鍋を見ると、赤い色のスープが鍋の半分ほど残っている。また棚には、肉の塊があった。

 エレツの足元にサザノメが擦り寄ってきた。見ると心配げな視線だ。エレツに料理ができるのかと不安に思っているらしい。これでも一人旅をしてきて、最低限のことはしてきたのでそこまで露骨に心配されるようなことはないはずだ。

 肉は乾燥地らしく、血をしっかりと抜いて荒縄でくくられていた。

 灼熱と火炎の国<フルマル>では、生ものは腐りやすい。そのためにすぐまさに保存食とするのだ。

 肉の場合は、血を抜き、一日荒縄でくくりつけて寝かせたあとに塩の中にいれておくのが一般的だ。

 干した肉は腐ってはいないようだったのでエレツはキッチンにある小さなナイフをとって薄く肉を切ってサザノメにやった。サザノメが一口で肉を食べると、もっとほしいとばかりに尻尾を振った。

「大丈夫のようだな」

 エレツが言うとサザノメは目をまん丸くしたあとすぐにうーっと牙を見せて怒った。肉が腐ってないか確認に使われたとわかったらしい。

 エレツはサザノメを無視して、鍋を暖めながら鉄の丸い形に底の深いフライパンに手を伸ばした。

 灼熱と火炎の国<フルマル>の食の習慣に合わせて大きな丸い鍋に切った肉をほり込む。とたんに肉汁が溢れて鍋の中央にたまる。その汁がますます肉を焼いてくれる。中まで焼けた肉は皿に移して、そのあと、調味料には、はちみつがあったのでまぶす。あたたかな肉汁と蜂蜜があいまなって栄養バランスが良い品が出来るのだ。サザノメはしきりに棚の白い瓶を気にしていた。それは山羊の乳だと見ただけでわかった。栄養のある貴重な飲み物においそれと手を伸ばすのは躊躇われた。エレツはサザノメをなだめるように頭を撫でてやり、夕食をテーブルに運んだ。

 夕食は、質素だが、あたたかなものとなった。

「おいしそう」

 オークが歓喜の声をあげた。

「焼いただけだ」

「けど、とってもいいにおいがするよ」

 オークは世辞ではなく真剣に言った。

 焼いた肉は湯気が立ち、黄金色の蜂蜜がとろとろととけて輝いていた。

 スープは覚悟して飲む必要があった。灼熱と火炎の国<フルマル>では食事の席に出すスープは、舌が焼け付くほどに辛い調味料を使うことが一般的だ。そのため他国の者はこの国のスープを嫌う。

 エレツがスープをひと口すすった。はじめは辛く、そのつぎには甘かった。甘いのは、一口サイズに切られた彩とりどりの野菜から出る甘みであった。

「あそこの棚にエールがある」

 オークが言うのでエレツは素焼きの壷を手にとった。一緒にあった透明な硝子コップに壷の中身を注ぐと濃い小麦色の液体にその上に雲のように白い泡がコップに満ちた。

「他人と食事するなんて久しぶりで嬉しいな。うん。実にいいね」

 オークは終始喜びながら食事をして、ふいに思い出したようにテーブルの下にいるサザノメに視線を向けた。

「君もほしい?」

 オークは問いながら自分の肉を薄く切って差し出してやった。サザノメは嬉しそうに肉を一口で食べると尻尾をふってもっとほしいとねだった。

「随分と人なれしてるね」

「ああ」

 サザノメが尻尾をふってオークの足元によっていた。

「お前の分はあるぞ」

 エレツは声をかけるとサザノメは目を向けた。

 エレツは自分と同じスープと肉をいれた皿を床に置いてやった。サザノメは待っていたとばかりにそれにかぶりついた。

「賢い犬だね」

「要領がいいだけだ」

 エレツは椅子に腰掛けて自分の分の食事をフォークでつついた。

「それって頭がいいことだと思うよ。僕は」

「……ここで薬師をしているというが、こんなところで薬を作っているのか」

「そうだよ。時々村人に薬を売ってる」

 エレツは内心ぎくりとした。

 当たり前のことだが、この家のことは村人も知っているということだ。山の中で生活するには、何かと周辺の村人の助けがいるだろう。

 出来るだけさりげなく情報を引き出そうとエレツはあれこれと考えたが、舌が抜かれたような無口な彼には荷が重すぎた。

 オークは勝手に話していく。

「月一で、街のほうにも出ているからね」

「ここからは近いのか」

「まぁ歩けば三日くらいかな。街に行きたいなら、明日安全な道を教えるよ」

「すまんな」

「いや、いいよ。こんな楽しい時間を貰っているからね。そうそう、薬師といっても、僕はそこまで信用されていることはないと思うよ」

「なぜだ。薬師がいれば何かと頼りになると思うが」

「うーん、僕、つい実験しちゃうタチでねぇ」

 嘆くようにいいながらオークはテーブルに右膝をついて、その手の上に顎を乗せた。

「以前、村人を獣に変えてしまったことがある」

「獣に?」

「そう。一日で治ったけども、あのときは大変な騒ぎだったよ。そういう変なものばかり作るんだよね。もちろん、風邪薬なんかはちゃんと効くんだけども、へんてこなものも作るから、村人には嫌われてる。……勇気があるなら、飲んでみるかい? 獣になる薬は棚の奥にある黒い粒だけども」

「遠慮しておく」

「君だったら、それは見事な獣になると思うんだけどなぁ」

 本気とも冗談ともつかぬ口調でオークは言った。

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