第5話
「なぜ、俺なんだ」
「気に入ったから」
サザノメは調子良く繰り返してくる。
「これは、取引」
「取引?」
「そう」
困惑するエレツにサザノメは鷹揚に頷いた。
「エレツ、俺のほしいものくれる。俺、エレツにほしいものあげる」
サザノメはにこにこと言い返す。
サザノメは、ここでエレツを肉体的な快楽に陥落させることを考えていた。たとえ男相手に拒否感があっても、どうもエレツは人恋しいところがあるようだ。
ここで必要なのはこの世界に慣れるまでの自分の世話をしてくれる相手だ。正体がばれてしまったならば、さっさとエレツを誑し込んでしまえばいい。
人なんてものは快楽にとても弱い生物だ。
言葉が不自由ならば、それを補うためにも体を動かせばいい。この男はさして性的なものに慣れていない様子だ。自分の虜にしてしまうのは難しくないだろう。
「なら……俺を殺せるのか?」
あまりにも場違いで、血なまぐさい言葉であったのにサザノメは思わず、素で聞き返していた。
「死にたい?」
「今は困る……ただすべての終わりに、死を与えるなら俺はお前のものになる」
エレツの口調は真剣で、それでいてどこか自分のことというよりは他人のことを話す。
なにもかも自棄になった人間の姿だ。
信じていないし、期待もしていない。
裏切られても気にしないが、少しだけの慰めと希望がほしい顔をしている。
だったら、サザノメはエレツの望みを理解する必要もない。
ここでこの男を失うわけにはいかない。
一緒にいて徐々に虜にしてしまえばいい、不要になれば捨てればいい。
サザノメの心は決まった。
「付き合う。それまでエレツ、俺のもの。いい?」
「出来るというならば好きにするがいい……更のことも退けなくはいけないぞ」
「出来る。俺は強い」
言葉を切ったあとサザノメはエレツの黒い瞳を見つめた。
「愛している。殺してやる。お前は俺のものだ」
サザノメの言葉は、真っ直ぐに紡がれる。
愛している――その一言で、サザノメはすべてを承諾したという応えであった。
「……委ねよう」
エレツの低く、はっきりとした言葉にサザノメは静かに頷いた。
「面白い。殺せなんて、それで委ねてくれる」
「明言してくれたやつははじめてだからな」
エレツが躊躇いがちに口にした。
自分が言っている言葉の異常さを、この男自身が気がついていないことにサザノメは苦笑いした。
「寒い、そろそろ火のところ、行こう」
「そうだな」
エレツが頷いた。
気がつくと、月はまた雲に隠され光のない闇だけの世界に変わっていた。
サザノメは迷子の子供を導くようにエレツの左手をとると、夜の中でも片目といえども迷うことも躓くこともなく真っ直ぐに進み、寝床に戻った。
息絶えたかのように赤々とした光を放つ焚き火まで来て、サザノメはエレツの手を離すと、すこし距離をとってから自分の身を軽く振るい、まだ体についている水雫を落とした。
エレツは黙って地面に落ちている枝を拾い上げると、焚き火の中にほおった。
「寒い」
「そんな姿だからだろう」
「色気がない。あたためてやるくらい言わないの?」
サザノメが笑いながら茶化した。エレツはきっとそんな言葉を口に出来ないと思ったからだ。
ぱちんっと若い枝が弾ける音が二人の間に響く。
エレツの目は、サザノメの言葉をはかりかねているようであった。
そんなエレツを楽しげに見つめながらサザノメは火の前に腰を下ろした。先ほどの枝で再び息を吹き返したように燃える火をサザノメはじっと見つめた。
「どうしてお前は殺してくれなんて言うんだ」
「それだけのことをした」
「ふぅん」
サザノメはあえて興味のない相槌をうった。
あたたかな炎によって濡れていたサザノメの体はすぐに乾いた。
だが、サザノメは火の前から一向に動かず、片目しかない瞳が、じっと赤い火を睨むように見つめていた。ふっと顔をあげて、エレツに微笑みかける。
「何か言いたそう」
「俺が一番苦しむ方法を、お前はとれるか」
「死ぬとき?」
「ああ」
「……苦しみたい?」
「身内を殺されたものが見て、すこしでも満足できるのであれば」
その言葉に含まれる重々しい決意にサザノメは目を細めた。
無茶苦茶な注文であるが、それでももうすでに自分はすると返事をしてしまっている。今はこの男の欲しい言葉をあげてやるのが一番だ。たとえ嘘になるとしても。
なにより、もし彼が言う最後のときに傍にまだいたら、約束を果たしてやってもいい。その程度にはサザノメはエレツという男のことを気に入っていた。
「そうだな……ずたずたに引き裂かれるとか?」
サザノメは提案したあと、言葉をくわえた。
「人間って生き物は、集団だとタチが悪いから、それくらいしたら嬉しいんじゃないのか?俺は合格?」
「ああ」
エレツは目を伏せた。
「頼む」
搾り出すような切実たる声にサザノメは、この男が一体なにを抱いているのか、理解しかねた。
話せば話すほどに、この男が何かを背負っている事はわかるのだが、それに触れるにはかなりの注意と勇気が必要だ。不用意に触れては、自分の手が切り刻まれてしまいかねないほどに危険を秘めている。
わかっていながら、気がついたとき、サザノメは、エレツの手を握り締めていた。
「更からも否定されたからな」
「あの精霊ね」
サザノメはこの世界の精霊と人の関係を知らないが、更はエレツのことを契約抜きでも慕っているのは先ほどのやりとりだけでも十分に伝わった。
主を思う精霊が、主の命を命令でも奪うなどしたくないはずだ。
サザノメはエレツの残酷な行動を非難したい気持ちになって睨むと、エレツ自身も自分がしたことの残酷さくらいはわかっているのだろう。あまりにも暗い顔にあえて陽気に言い返した。
「あの精霊はお前が好きなんだろう」
「そうだな」
「エゴだよなぁ。好きだから殺せないって」
サザノメは更の愛を辛辣にも侮辱した。
言いながら自分もまた中傷的な気持ちになってしまったことにサザノメは気がついた。そんな気持ちになることを自分自身に禁じたというのに、また。
サザノメは急いで自分の感情を打ち消し、エレツに向き直った。
「それでさ、エレツ」
「なんだ」
「やる?」
「何をだ」
言われた言葉の意味をはかりかねているエレツの態度にサザノメは苦笑いを浮かべた。
こんなところで、やるといえば、たった一つの行為しかないのに。
「体を重ねるんだよ」
サザノメのストレートな言葉にエレツの顔が険しくなった。
「……今、すぐでなくてもいいだろう」
「何を今更。怖いのか? 取引、だろう?」
サザノメがわざと茶化していうとエレツは首を横に振った。
「いや、そんなことはないが」
「先いっただろう? お前は俺のものだって」
壁に追い込まれたネズミをいたぶる猫の爪のように言葉を使うサザノメにエレツは眉を顰めたのち目を伏せた。
「好きにしろ」
投げやりな言葉にサザノメはまたしても噴出した。あまりにもいじめすぎた。
「悪い。悪い。そこらへんはおまけみたいなものだし、待つよ。こんなこと、無理にするものでもないし」
「……死ぬまでいいと思わなかったら、どうするんだ」
「そのときは、まぁそのときさ」
サザノメはエレツを悪戯っ子のように笑って見て付け足した。
「乙女心に付き合ってやるよ」
「誰が乙女だ」
「お前がさ。それとも割り切れるか?」
「どうだろうな。割り切れるかもしれない」
エレツは自分が言葉巧みに追い込まれていることに気がついているのだろうか。
サザノメは面白くなってきて、身を乗り出した。エレツの膝に片手をつき四つんばいの状態で首を伸ばして、かたい唇に自分の唇を押し当てた。かさついた唇は、汗の味がした。ゆっくりと唇を離してサザノメは真っ直ぐにエレツを見つめる。
「試してみるか?」
「男相手の経験はないぞ」
再三の言葉にサザノメは上機嫌に笑って頷いた。
「俺はある」
「なら、任せる」
「お前もすこしは動けよ」
サザノメが言うとエレツは顔をしかめた。
「手本を見せろ」
エレツの言い返しにサザノメはまたしても噴出しそうになったが、ぐっと堪えた。サザノメはゆっくりと柔らかな地面にエレツを押し倒して、その上に乗った。
「女を抱いたことはあるだろう。その要領でいけばいいんだ」
「無茶な」
「仕方のないやつ、もう黙っていろ」
サザノメはエレツの生真面目な言い返しを笑い飛ばした。
身を貫く快楽は、つかの間、この世で縛られるすべての物事から解放され、一時の忘我の中に落ちることを赦してくれる。
だが、それも終ってしまえば一瞬のことだ。
サザノメは、物事を淡々と進め、ことを終えた。ことを終えたあとサザノメは相手をしてくれたエレツを気遣って体を水で濡らしたタオルで拭って労わった。エレツはぐったりとしたままサザノメを睨む。
「お前にするんじゃなかった」
「なにを今更」
サザノメは肩を竦めた。
そこまでひどくしたつもりはないが、エレツはエレツなりに努力し我慢したところがあったのはサザノメも認める。男相手がはじめてであれば、嫌悪感や戸惑いがあったとしても仕方がないことだ。
だが、ここではっきりと言葉以上に態度で示しておく必要が自分たちにはあった。
取引という証明のために。
エレツは死のかわりにサザノメを連れて旅をする。
サザノメはエレツを自分のものだと証明する。
契約をしたという確かな証。
「はやく慣れてくれよ」
にやにやと卑猥な笑みを浮かべて催促をしてみるとエレツはしごく真面目な顔で頷いた。
「努力はする」
サザノメは噴出し、腹を抱えて笑うことを今度こそ止められなかった。
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