第29話

 五十名足らずの、それも大半が民兵で構成された敵性勢力。対し、一個大隊千名の正規兵。

 勝敗は歴然。行軍する兵士達が口笛を吹こうと世間話をしようと――どれだけ油断しても、𠮟りつける指揮官はいない。ここが排他領域でなければ。

千の歩兵は例学なく、恐怖を覚えた。

 原因は空飛ぶ女でも、墜落したヘリでも、走行不能となった戦車でも装甲車でもない。

 闇。

闇魔法で創成された闇でも、黒魔法で視界が潰された闇でもない。それは彼等が毎日経験する、夜の帳。けれど、この地の闇夜は真の暗闇だった。赤外線スコープ超しですら、暗闇しか見えないと錯覚する程に。隣を歩く友軍の足音や無線機から流れる指示ですら、聞こえないと錯覚する程に。一夜でも多くを過ごして生き残ることでしか、この闇で視覚を確保する術は無い。この地の闇の濃度は、この世のものにあらず。

苦しい生活を切り詰めて従った国家に、簡単に切り捨てられ、見殺しにされた人間達の怨念。

 魔女と蔑まれ、狩られる恐怖と過去への復讐のためだけに生き続ける女の怨嗟。

 国家転覆から私利私欲まで、人を殺してでも欲求を満たす外道達の醜い欲望。

 排他領域に生きる者と排他領域で戦う者には、当たり前の闇。いつもの夜。それが未経験な者にとって、排他領域の夜は質感を持った闇として襲いかかる。

 それは十三とマギヌンの混成部隊、国軍の双方にとって想定外だった。

 想定外だが、訓練によって心身に刻み込まれた兵士の本能どおりに動く。任務を遂行する。


 大半の狙撃手の常識では、まだ国軍がいる位置は射程外だ。それでもグランは撃つ。バアウンッ! 射撃音が六発。等しく、国軍兵士から六人分の兵力が削られる。

「この距離から……あんた、腹は弱いくせに凄いな」

「一言多い」

 グランとイーグルは高所となった丘で腹ばいになり、狙撃銃の照準を絞る。

「イーグル。合図するまでは、狙撃し続けろ。戦術どおりに戦闘が進まないと、俺達は負ける」

「数では負けてるけど。でも、敵から“脚”を奪ったぞ?」

「違う。全ての戦いで勝敗を分けるのは、歩兵の一歩だ。そして敵将は、その一歩を必ず踏み出す知恵と勇気があるらしい」

 戦闘前にセゾンから、敵将ガーズが士官学校の同期だと聞かされた。寮で相部屋だったとも。セゾンはガーズをこう評していた。

『あいつの方が、俺より階級は一個上だ。奴はそれを、政治上手だからだと自嘲している。違う。ガーズが歩兵にいたら、今頃十三の隊長はあいつだっただろう』と。

「じゃあ俺達、負けるってこと?」

「相手より力強く勇敢な一歩を踏み出した方が勝つ。その背中を押す指揮官の名将ぶりで、俺達は負けてない」

「いっつも煙草しか吸ってないのに?」

「まあ見てろ……来たぞ!」

 グランとイーグルが、狙撃銃の引き金を引いた。


 ガーズは指揮車両から出て、機関銃を持ちながら行軍に参加していた。指揮は副長に任せて。

 ただし通信兵を隣に配置しているので、全軍に指揮を出せる。

『総員、赤外線スコープを外せ!』

 国軍兵士達は、受令機の故障を疑った。夜間戦闘で、赤外線スコープを外す?

『総員、よく聞け。この地の夜は、我々が未経験の闇を落とす。常識を捨てろ。常識が通用する相手ではない。常識が通用する地ではない』

 ガーズの言葉が兵士達の心に染み渡る。全員が、赤外線スコープを外す。

『総員っ、突撃せよ!』

 ガーズが言葉に秘めた真意を悟った兵士達は、咆哮を上げながら走り始める。

「(セゾン。お前はまだ、罠を仕掛けているだろう。構わん。それを乗り越えて、俺は貴様の首をとる!)」

 タタタタタタタッ。至る所で、機関銃の発砲音が夜の静寂を破る。ドウンッという爆発音が、手榴弾か擲弾か区別できない。戦場は、乱戦になった。国軍は数に任せて進軍し。混成部隊は伏撃し。伏撃で位置を把握した国軍が火力を集中させ。混成部隊は後退しながら、伏激する。

 グランが狙撃銃を撃つ撃つ撃つ。指揮官や通信兵、衛生兵を狙っている余裕はない。自軍の援護で精一杯だ。が、狙撃犯にはもう一つの使命がある。戦術どおりに、戦場を調整すること。

「イーグル! 分かってるな!」

確認の声を上げるのはグラン。

「分かってる! 俺達のケイトが、きっとやってくれる!」

 後退する混成部隊に気をよくした敵兵が、駆ける。ただし、見えぬ狙撃に脅えながら。そうやって自分達が、“ポイント”に誘導されていると気付かず。

『ケイト! 火だ!』

 ケイトもスロートマイクを着けており、グランの声を拾える。

『……分かった』

 兵士達は動かぬヘリや戦車、装甲車の隙を縫って駆ける。

 ボォウンッ! と鈍い音。排他領域の闇をも照らす火炎が、地上から立ち昇る。

 ヘリや車両群が洩れたガソリンに、ケイトは一斉に火魔法を放った。引火した炎が、兵士達を燃やす。機体の爆発に巻き込まれた兵士達の体が四散し、爆風に薙ぎ飛ばされる。

『総員止まるな! 敵には魔女がいるんだ! 近接戦で殺せ!』

 ガーズは最善手を打つ。だがセゾンの戦術と排他領域の地は、それを遥かに凌駕する。

 沼地で脚を取られる兵士達。底無し沼で悲鳴をあげる兵士達。砂地で転倒する兵士達。

 機体と同じく、止まった標的に容赦なく混成部隊は銃弾を浴びせる。


「(ハアハア……これが、戦争……)」

 兵士達の阿鼻叫喚。それを引き起こした一人は間違いなく、自分。手の中で砂となった魔法石と同じく、涙がこぼれ落ちる。それでも戦場は、彼女を解放しない。ケイトは無表情に、丈の長い草叢を見る。そこに今、兵士が数十人。

『古(いにしえ)から生きるあなた方に敬意を込めて。私に力を貸して。それが暴力であっても』

 一本一本の草が生き物のように動き、丈を伸ばし、兵士達の首に巻き付く。


「グラン、残弾が少ない!」

 イーグルが怒声半分悲鳴半分。グランは照準器で友軍の状態を観察していた。イーグルだけではない。誰もが残弾を気にして、迎撃の火力は弱くなっている。これこそ、敵将の狙いだ。

 多大な犠牲を払ってでも兵を前進させて兵站を削り、力づくで制圧する。その戦術は成立しつつあり、敵将は勝利を予感しているだろう。対し、こちらは犠牲者が出るのは時間の問題。

『オヤッサン、今しかない!』

『そうだな。隊員達は集まれ』

 セゾンの号令。グランは狙撃銃から弾倉を抜き、自動拳銃とともにイーグルに渡す。

「イーグル、俺達は戦術通り、最前線に行く! 援護を任せた!」

 イーグルの返事をまたず、グランは前線へ駆けた。


 グラン達が前線へ走るのが見える。ケイトは姿隠しステルスで体を透明にすると、飛翔魔法で飛ぶ。上方からの視界を確保するためだ。すでにヘラーから渡された魔法石は無く、己の魔力を削っている。彼女もまた、戦っていた。


 国軍の兵士は、四百五十程に減っていた。半減したが、まだこちらの十倍いる。ただし、的確な伏撃と精霊魔法の罠で、体力と精神力を削られている。そんな彼等の前に、濃い霧が立ち込める。唐突な現象。兵士達はまた罠かと、ストレスを溜める。筋肉が硬直する。

だから濃い霧からグラン達が現れても、兵士達は即座に応射できない。その隙を見逃さず、ピアス解放エアーズロック・ダウンした十三は打物で斬り込んだ。濃霧が戦場を覆い、兵士達から視覚を奪う。

グランは黒刀で一人目と二人目の喉の頸動脈を斬り、機関銃を向けようとした三人目の左胸部を刺しながら、片刃剣で四人目の頭を斬り裂く。抜いた黒刀でさらに一人を刺し、左右にいた兵士に上段斬りを見舞う。敵兵が応射するが、友軍誤射を避けるため、散発的にならざるを得ない。それに対して同じ濃霧にいながら、十三は相手を確実に斬り、マギヌンの兵士達は正確な射撃を繰り返す。上方からケイトが、敵座標を交信魔法で送ってくるからなせる戦術わざ

二本の刃は同僚の血で濡れ、脂がこびり付く。それでも切れ味は衰えない。秘刀と魔刀は獲物を求め、斬れば斬る程、刀身が輝く。グランは返り血を浴びながら、斬り続ける。それは他の隊員も同じだった。戦術はここまで。次は混成部隊側が力づくで、相手を殲滅する番だ。

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