ティアナの覚悟です

 ダグが行ってしまってから、私たちはダグに言われた通り森を抜けた川を目指す。皆無言で黙々と歩いていた。日はだいぶ傾いて、辺りは夕闇に包まれはじめた。突然、オオーッとごう音のような音が響き渡った。私はびっくりしてキャッと声を上げてしまった。ユーリは苦笑しながら、この声はトーランド国軍の兵士の勝どきの声だと教えてくれた。私は驚いてユーリに聞いた、戦争は次の日の朝から始まると思っていたからだ。ユーリは私の問いに答えてくれた。


「もみじさま、戦争はもうすぐ始まります」

「これからって、真っ暗になったら人間側は不利じゃない?」

「ええ、獣人側は夜目がききますので有利です。ですが人間側も、暗闇の中でも見ることができる魔法具を持っているのです」


 暗闇でも見える魔法具って、暗視ゴーグルみたいなものかしら?私は何となくそんなものを想像した。突然柔らかなユーリの気配が一変した。鋭い野生の表情。ユーリが低い声で私に言う。


「もみじさま、人間に囲まれています。僕が前に行きます。お母さんとヒミカは後方でもみじさまとティアナを守って!」


 ユーリの声にアスカとヒミカはオオカミの姿になる。アスカは大きくて美しい狼になった。私は慌ててアスカとヒミカの脱ぎ捨てた服を拾ってリュックサックに入れて背負った。ユーリは狼の耳としっぽを出して半獣人の力を解放する。ティアナもそれにならった。ティアナが急に大きな声で叫んだ。


「ユーリ、右!」


 ティアナの声と共に、前を走るユーリの右横から、剣を振りかざした兵士が現れた。トーランド国軍の兵士だ。おそらく私とユーリを捕まえるためだろう。ユーリは素早い動きで剣の一刀をかわすと、兵士の懐に入り、兵士の腹にしょう手を当てる。すると兵士はポーンと吹っ飛んでしまった。後方からも兵士が現れるが、アスカがガオッと咆哮をあげると、剣を構えた兵士が吹っ飛んでしまった。ヒミカも咆哮をあげて応戦するが、一人の兵士しか飛んでいかない。それでいうとアスカは一声あげるだけで兵士が三人も、四人も吹っ飛んでいく。これが大人の獣人と子供の獣人の差なのだろう。


 ティアナは未来が見える瞳で、前方を走るユーリのアシストをする。左!とティアナの声が飛ぶ。私たちの目の前に槍を持った兵士が躍り出てくる。ユーリはすかさず突き出された槍を右手で掴み、それを支えに、兵士の腹に右足で蹴りを入れる。兵士は槍を手放して吹っ飛んでいった。どうやらユーリはトーランド国軍の兵士を殺したくないようだ。アスカとヒミカも咆哮で相手を吹っ飛ばすだけで、命までは取らないようにしている。


 私も誰かに死んでほしくないと思っている。だけどこのままではラチがあかないのも事実だ。ユーリは兵士から奪った槍の、刀のついている先の方ではなく、後ろの柄の部分で私やティアナに襲いかかってくる兵士を突き倒してくれた。だけどユーリは槍を逆に持っているので、扱いづらそうだ。私はユーリの槍に触れてから、刀の付いていない、棒だけの槍を出してユーリに渡した。ユーリはお礼を言って、槍を器用にクルクル回して、迫り来る兵士をなぎ払ってくれた。ユーリは騎士団長であるリュートから武術を学んだのか、ものすごく強かった。


 このまま追っ手の兵士から逃げられるかと思った。だけど唯一人間の私の走る速度が段々と遅くなってきた。この獣人と半獣人のグループの中で、一番の足手まといは私だ。申し訳ない気持ちと悔しい気持ちで、私は涙が出そうになりながら走った。しばらくすると、兵士の攻撃が緩やかになり、追ってくる兵士がいなくなった。ユーリは疲労困憊の私の状態を見て、少し休憩しようと言ってくれた。本当は早くこの森を抜けなければいけないのに。申し訳ないと思いながらも、私は膝に手をついてゼーゼーと息を吐いた。ティアナが私の側で心配そうにしている。私は何とかティアナに笑いかけようと、ティアナに向き直ろうとした。


 すると突然、真剣な表情のティアナに突き飛ばされたのだ。私の身体はフワリと宙に浮いた。すぐさまユーリが私を抱きとめてくれた。私は頭の中が疑問符でいっぱいになった。何で優しいティアナが私を突き飛ばしたのだろうと。その疑問はすぐに解決した。私を突き飛ばしたティアナは、突然林から出できた屈強な兵士に羽交い締めにされたのだ。ティアナは私が捕まる未来を予知して、私の身代わりになったのだ。


「ティアナ!」


 私はユーリの腕から立ち上がると、ティアナの側に駆けよろうとした。すると林の中から声がする。聞き覚えのある声。にちゃにちゃして気持ちの悪い喋り方。


「やっと見つけたぞ聖女。おっと、この半獣人の小娘は聖女と交換するための人質だ」


 林の中から姿を現したのは、トーランド国王の息子メグリダ王子だった。やはりダグの言った通り、メグリダ王子は戦争に参加していなかったのだ。私はムカムカと腹が立ってきた。自分は戦わないで安全な所にいて、そして小さなティアナを人質にして、私を捕らえようとしている。なんて卑怯な人間なのだろう。私は怒りに震える声を必死で抑えながらメグリダ王子に言った。


「メグリダ王子、ティアナを返して。私がそっちに行くわ」


 メグリダ王子は我が意を得たりとニヤニヤと笑った。ティアナを羽交い締めにしている兵士は腰にさしていた短刀を抜き、ティアナの細い首に押し当てた。もし少しでも兵士の短刀が動けばティアナの喉はかききられてしまうだろう。後ろのユーリがヒュッと息を飲むのがわかった。ごめんなさい、ユーリたちがせっかく私を守ってくれたのに。だけどティアナを危険な目に合わせるわけにはいかない。私がティアナの方に歩き出そうとすると、ティアナが叫んだ。


「ダメ!こっちに来ないで。あたしを置いて逃げて!」

「何を言うのティアナ!貴女を置いて行けるわけがないわ!大人しくしてて!」


 私はティアナをなだめようと大きな声で答える。ティアナはふぅっと息を吐いてから、真っ直ぐに私を見た。とても強い意志のある瞳だった。私はこんな状況下にも関わらず、そんなティアナをとても綺麗だと思ってしまった。


「もみじ、あたし死ぬのなんかちっとも怖くないわ。怖いのは、空っぽのまま死んでしまう事よ。今までのあたしは空っぽだった。だけど今は違う、もみじとセネカとヒミカと一緒にいられて幸せな思い出ができた。大好きなママの事も思い出せた。だからあたしはもう充分、もみじたちはするべき事をして!」


 私は雷に打たれたような衝撃を受けた。ティアナはヒステリーを起こしているわけでも、自暴自棄になっているわけでもない。私たちを先に行かせる事が最重要だと考えているのだ。まだ小さなティアナが、この国を、良い国にするために命を捨てようとしているのだ。私は心臓がバクバクして、頭がガンガンと痛み出した。これからの私の言葉一つ、行動一つでティアナが死んでしまうかもしれないのだ。ともすると足が震えてしゃがみこんでしまいそうだった。だけど私はそんな事をしている暇はない、早くティアナを助けなければ。私は大きく息を吸って、大きく息を吐いた。私は手の中に出刃庖丁を出現させ、憎たらしいメグリダ王子に向かって言う。


「メグリダ王子、ティアナに傷一つつけてみなさい、私はこの刀で首をかききるわ」


 メグリダ王子はあざ笑うように言った。


「これだから女は、すぐに死ぬだのぬかしおって。どうせ本気じゃないのだ」


 私はお腹の底がグラグラ熱くなるのが分かった。猛烈な怒りの感情。だけど声は低く冷たい。私はメグリダ王子に向かって言う。


「見くびらないでくれる?私は保育士になる時心に誓ったの。もし私の受け持ちの子供たちが、命の危険にさらされたら、私は自分の命をかけて子供を守るって。メグリダ王子、貴方は自分では何もせず、小さな子供を脅して王になろうとしている。見下げた心意気ね。私は貴方の所に行ってやるけど、貴方を絶対に王だなんて認めない。例え両手足もぎ取られたって、メグリダ王子を王になんかさせない」


 私の言葉にメグリダ王子の顔が赤黒くなり、醜く歪んだ。私はメグリダ王子を無視してティアナを見る。ティアナは私にこっちに来るなと叫ぶ。私は大きな声でティアナに向かって叫ぶ。


「ティアナ!貴女は自分勝手だわ!ティアナが死んだら、私もセネカもヒミカも悲しくって、辛くって頭がおかしくなっちゃうのに、もうティアナは私たちの大切な仲間なの!私たちの事を考えて!!」


 ティアナは大きな瞳をさらに大きくして、そしてハラハラと涙を流した。私は自分の首に出刃庖丁を突きつけながらゆっくりとティアナたちに近づく。ティアナはゆっくりと目をつぶった。私はほっと息をはいた。どうやらティアナは私との交換に納得してくれたようだ。この後どうなるかわからないけれど、とりあえずティアナを助ける事ができそうだ。


 突然、ティアナがギャアッと声をあげた。すると羽交い締めにしていた兵士の太い腕をこじあけ、兵士ののど笛に噛み付いたのだ。兵士はギャッと悲鳴をあげ、持っていた短剣でティアナの背中を刺した。私はキャアッと叫んだ。ティアナは刺された短剣をものともせず、暴れ回る兵士の胸に両足をついて、兵士を足場にして、クルンと一回転して私の目の前に着地した。私は慌ててティアナに近寄り、ティアナの背中に突き刺さったままの短剣を抜こうとした。けれど短剣が血まみれで、うまく抜けなかった。ユーリがすかさず短剣を抜き取ってくれた。ティアナの背中からはドクドクと血が流れ落ちた。私はティアナを抱きしめ涙を流した。ティアナの身体が輝き出す。ティアナの背中にできていた短剣の傷痕は、あとかたもなく消えていた。だけど私の涙は止める事ができなかった。ティアナが無事に戻ってきた安心感から、嗚咽まじりの泣き声になった。


「ああ、ティアナ、ティアナ良かった。ごめんなさい、痛かったわね?怖かったわね?」


 私は子供みたいに泣きじゃくりながら、ティアナの血まみれの頬に、頬ずりをした。私の腕の中のティアナが小さな声で聞く。


「もみじ、あたしが怖くないの?」


 私はティアナの頬を両手で優しく包んで、ティアナの目をしっかりと見ながら答えた。


「当たり前でしょ、優しくていい子のティアナ、私の大事なティアナ。いい?貴女はこれからもっともっと幸せになるの!死んでもいいなんて二度と言わないで」


 ティアナの大きな瞳が、びっくりしたように見開かれ、そしてクシャリと綺麗な顔が歪み、涙がボロボロあふれ出た。


「もみじぃ、ごめんなさい」


 私はうんうんと言って、ティアナを強く抱きしめた。狼になったヒミカがティアナにすり寄ってくる。私たちが抱き合っていると、その後ろに立っていたユーリが、目にも止まらぬ速さで、メグリダ王子の所まで走っていった。そしてメグリダ王子を後ろから蹴り飛ばすと、右足で踏みしめてメグリダ王子を立ち上がれないようにした。メグリダ王子がうめきながらユーリに悪態をつく。


「おのれぇ、バケモノふぜいがぁ、高貴な俺様を足げにするとは何事か。早くどけ」

「兄上は僕の事をバケモノと言いますが、小さな子供をおどして聖女を捕らえようなどと非道極まりない。貴方こそ人でなしのバケモノだ。リュートに聞きました。兵士に金を握らせ僕を暴行しろと指図したのは兄上だと。そして、僕が兵士の暴行によって死んだら、兵士にその罪をなすりつけようとしていたそうですね」

「半獣人を殺して何が悪い、人間こそ神に選ばれた存在なのだ。さぁ早くどけ!地に頭をすりつけて俺様に詫びるのだ」


 ユーリはゆっくりと屈み込むと、メグリダ王子の左手を掴んだ。そして一気に後ろに引く。ゴキッと乾いた音がした。ギャアアッとメグリダ王子が叫び声をあげた。ユーリはゆっくりとメグリダ王子の背中から足をどけた。だけどメグリダ王子はその場にうずくまり、逃げる事もせず叫び続けた。メグリダ王子の左手はダランとしていた。ユーリかメグリダ王子の左肩を脱臼させたのだ。


 私が保育園で働いている頃、年に何回は肘内障になる子供がいる。肘内障とは、肘の亜脱臼の事だ。小さな子供は、まだ肘関節が成長しきっておらず、輪状靭帯から橈骨が外れてしまう事があるのだ。子供たち同士で腕を引っ張りあったりすると、案外簡単に外れてしまう。そこで私は、近所の接骨院に泣き叫ぶ子供を連れて行く。そこには好々爺とした柔道整復師の先生がいて、子供の肘関節をあっという間に整復してくれるのだ。ぎゃあぎゃあ泣いていた子供は、急に痛みが無くなってポカンとしていた。


 メグリダ王子はユーリに肩関節を外されて、あまりの痛みに悪態もつけないのだろう。森の中にはメグリダ王子を守る兵士が隠れていたとみえて、メグリダ王子の悲鳴に、六人の兵士が飛び出してきたが、狼のアスカとヒミカに倒されて気絶させられてしまった。私は、これからどうしようと考える。リュートたちの筋書きでは、人間側と獣人側の戦力が削られた後、リュートたち半獣人がメグリダ王子と獣人の王を拘束すれば、この戦争は終わると言っていた。だけど肝心のメグリダ王子がここにいては戦争が終わらない。早く戦場にメグリダ王子を連れていかなければいけない。


 私がうんうん考え込んでいると、ティアナがしきりに私の顔を触っている。私の涙を拭いてくれているのかしら優しいのね。と思ったら、ティアナは私の側から離れ、自分が噛み付いた兵士の側まで走っていった。私が危ないわ、と声をかけようとすると、ティアナは痛みにうずくまっている兵士の横にしゃがみこんで、私の涙を兵士にかけた。兵士の身体が輝きだす。私は、ティアナがまた兵士に捕まるのではないかと思い、ティアナッと叫んだ。狼のヒミカは瞬時にティアナの前に立ちふさがり、ティアナを守ろうとする。兵士はケガが治って不思議そうに身体を起こした。ティアナが兵士に言う。


「噛み付いてごめんなさい、痛かったわよね?」


 兵士はティアナの言葉に驚いた様子だったが、ゴクリとツバを飲み込んでから答えた。


「俺の方こそ、君を刺してしまった。すまなかった」

「大丈夫よ、もみじが治してくれた」


 兵士は何が言いたげだったが、ティアナの顔を凝視して、がくりと膝をついた。私はホッと息をはいた、どうやらあの兵士は、もうティアナを傷つける気はないようだ。私はティアナの優しさに、また涙が出た。自分が傷つけられたのに、傷つけた相手を心配するなんて。痛みにうめいていたメグリダ王子が兵士に叫ぶ。


「おい!貴様、早く俺様を助けろ!そして聖女を捕らえるのだ!」


 兵士は心底さげすんだ眼差しをメグリダ王子に向けてから、ユーリの側までやって来た。そしてユーリの前で膝をついて言った。


「どうかこれまでのご無礼をお許しください。ユーリ王子、わたくしめにご指示を」


 ユーリは寛大にうなずくと、よく通る澄んだ声で言った。それはすでに王の風格のようだった。


「これより戦場にメグリダ王子を連行する」


 兵士はハッと享受の返事をした。そうだ、早く戦場に行ってこの戦争を止めたい。そして早くセネカの無事を確かめたい。だけど殺し合いの最中、すぐに争いがしずまるのだろうか?ダグが言っていた聖女の予言。暗闇の世に、聖女の光が灯る時、聖女が新たなる王を指し示すであろう。私の頭の中にある考えがひらめいた。私は大声で仲間たちに声をかけた。


「ねぇ皆、力を貸して!」




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る