危機一髪です

 私は大きなリュックサックを背負いセネカとヒミカをうながして歩きだす。町への行き方はセネカとヒミカが知っていた。しかしお母さんが危ないからといって、一度も行った事がないそうだ。町はセネカたちの住む家から山を二つ越えたふもとにあるという。女子供の足で今日中に行けるだろうか。だけどもし夜になっても私の能力ちからでテントを出せるだろうし、食事も心配いらないだろう。夜の森は肉食動物がいるかもしれない、だがセネカとヒミカは狼だ。何とかしてくれるだろう。


 歩き始めて数分、私は体力の無さを実感した。私の職業は保育士で、いつも子供たちを追いかけ回していたから、体力はある方だと過信していた。だけど、山歩きは違うようだ。それに何といってもリュックサックが重すぎる。私がゼーゼー言いながら歩いていると、みかねたセネカがリュックサックを背負ってくれた。重くないかと聞くと、へっちゃらだと返ってきた。お言葉に甘えてリュックサックはお願いしてしまう。


 私は木漏れ日あふれる山道を歩く、鳥のさえずり、草木の香り、こんな気分は久しぶりだ。私は大学を卒業してからずっと働き通しだった。朝から晩までかけずり回って、自宅に着いたら倒れこむように寝てしまう。ずっとそんな暮らしが続いていた。このように穏やかな気持ちで自然に触れるなんて機会なかった。前を歩くセネカとヒミカも嬉しそうだ。お母さんの言いつけを守り、狩をする以外はずっと小屋で息をひそめていたのだそうだ。



 セネカとヒミカは、まるで背中に羽がはえているように軽やかに山道を歩いていく。時おり振り返って私を心配そうに見つめる。私はというと、立ち止まっては歩き、歩いては立ち止まるという動作をずっと繰り返している。セネカとヒミカの心配そうな視線を感じると、笑顔で手を振るが、それも限界に近い。つまり足が棒のようなのだ。


 それから数分して、セネカが駆け寄ってきた。もみじ、お腹減った。元気のいい声だった。私は空腹は全く感じてはいなかったが、とにかく座りたかったのでしょうだくした。ヒミカもおずおず近づいてきたので、ここでランチをする事に決めた。私は大きなレジャーシートを出して、靴を脱いで座りこんだ。セネカは背負っていたリュックサックからスープジャーとおにぎりか入ったタッパーを取り出す。私は麦茶のペットボトルとマグカップを三つ取り出して、マグカップに麦茶を注ぐ。セネカとヒミカは麦茶も初めてのようで、おっかなびっくり麦茶を飲むと、美味しい!といっていっぱいおかわりをしてくれた。スープジャーのもつ煮込みはしっかり温かさを保っていた。朝ごはんもお昼ご飯も同じでごめんねと、セネカとヒミカに謝ると、二人はもつ煮込みとっても美味しいから毎日でもいいも言ってくれ、私を喜ばせた。だけど私が七味唐辛子をかけていてももう味見したいとは言わなかった。お釜で炊いたご飯は冷めてもとっても甘くて美味しかった。


 穏やかな天気の下、美味しいご飯を食べられるなんて、なんてぜいたくなんだろう。お腹もくちてきて、これがピクニックならばランチの後はお昼寝をしたいところだが、私たちはセネカとヒミカのお母さんを探しに行く目的があるのだ。先を急がなければ。私は震えてしまいそうな足を揉みながら、セネカとヒミカに出発しようと告げる。二人は嬉しそうにピョンピョンとびはねた。私は心の中でため息をついた。子供って何でこんなに元気なんだろう。私はレジャーシートと使い終わったスープジャーを消す。私が食べきれなかったおにぎり入りのタッパーと、飲みきれなかった麦茶のペットボトルはセネカのリュックサックに入れてもらった。そして私たちはまた歩き出す。



 それは私たちが歩き出してしばらくした時だった。前を歩いていたセネカとヒミカが急に立ち止まって、辺りを警戒し始めたのだ。二人はしきりに目をキョロキョロさせていた。どうしたの?という私の質問に、セネカは私を振り返らないで答える。


「もみじ、人間だ。武器を持ってる」


 私はセネカの言っている事がよくわからなかった。武器?猟銃とかのことかしら。山を歩いているという事は猟師かなにかかな。ヒミカも緊張しながら言った。


「三人いる。もうすぐここに来る」


 セネカもヒミカも何故人間が来るというだけでこんなに警戒するのだろうか。ガサリッ、草をかき分ける音がして三人の男たちが私たちの目の前に現れた。はっきり言って汚くて、ガラの悪い連中だった。先頭にいる男は背が高くて、鼻がやたら大きい男だった。後ろの二人はやせっぽちと太っちょ。三人の腰には大きな剣がさしてあった。私はセネカとヒミカをかばうように後ろに下がらせた。だけど私は恐怖で声も出なかった。鼻の大きな男が話し出す。私たちに話しかけるというよりも、独り言のようだ。


「やっぱりあの女、ガキを隠していやがった。しかも二匹、ついてるぜ。それに、黒真珠までいるじゃねぇか、若い女だ。高く売れる」


 鼻の大きな男の言っているガキというのは、どうやらヒミカとセネカらしい。そして黒真珠というのはもしかしたら私の事なのだろうか。子供たちだけじゃなく私も売られてしまうのかしら。この世界は一体どうなってるのかしら。混乱している私をおいてけぼりに、ガラの悪い男たちは大喜びをしている。太っちょが大きな鼻男に言った。


「マクサの兄貴の言った通りでしたね、獣人のガキがこの辺りにいるって」


 どうやらマクサと呼ばれた大きな鼻男がこの三人組のリーダー格らしい。マクサが子分たちに言う。


「ああ、火を使った煙がのぼっていたからな。あの女、何が死んだ子供の形見を取りに行きたいだとしゅうしょうな事言いやがって、やっぱりガキ共を隠したんだな」


 そう言ってマクサは腰の剣を抜いて私たちに向けた。私は恐怖で震えながらも必死に考えた。どうやらこの三人組は、セネカとヒミカのお母さんを捕まえて売りとばした張本人たちらしい。そして、私がお料理するために火を使った事が原因でセネカたちを見つけられてしまったらしい。セネカたちのお母さんが必死で子供たちを守ろうとしていたのに、私が捕まるきっかけを作ってしまった。マクサたちは剣を構えてニヤニヤといやらしい笑いを浮かべながら、私たちに近づいてくる。私は混乱しながら何とかセネカとヒミカを守りたいと思った。すると、私の手にはマクサが持っているのと同じ、大きな剣が握られていた。重い、私は心の中で悲鳴をあげた。私の手の中の剣は重すぎて持ち上げる事すらできなかった。マクサは私が突然剣を出現させたのを見てあざけるように言った。


「ほぉ黒真珠、お前魔女なのか?だが持ち上げられもしない剣でどうするつもりだ?」


 マクサが私に近づこうとした瞬間、私の後ろにいたセネカが狼になって飛び出していった。セネカは剣を構えたマクサの腕に噛み付いた。ギャァ。マクサが叫び声を上げる。私の前には狼になったヒミカが私を守るように唸り声をあげている。


「この、獣人がぁ!」


 マクサは右手に持っていた剣を左手に持ち替えて、右腕に噛み付いているセネカの背中に刺した。私はキャアッと悲鳴をあげた。セネカがマクサの腕から落ちる。マクサはさらにセネカに刃を振り下ろそうとした。その時狼になったヒミカがマクサの前に飛び出して、ガウッと咆哮した。すると驚いた事に、マクサが後ろに吹っ飛んだのだ。リーダーの負傷に驚いた太っちょとやせっぽちも同時に私たちに斬りかかってくる。すると倒れていたセネカが太っちょに咆哮した。やはりマクサの時と同じように太っちょは吹っ飛んだ。どうやらセネカとヒミカが狼の咆哮をすると、空気の弾丸のようなものが発生して、敵を吹き飛ばすようだ。最後に残ったやせっぽちは、剣を握りしめながら震えていた。そこに狼のヒミカがおどり出て、やせっぽちを押し倒し、のど笛に噛みつかんばかりのいかくのうなり声を上げた。私は手に持った重たすぎる剣を引きずりながら、仰向けに倒れたやせっぽちの側まで来ると低い声で言った。


「この子たちのお母さんをどこにやったの?!言いなさい!」


 私はやせっぽちの首の辺りに剣を持っていった。勿論切るフリだ。だけど私はすごく怒っていた、突然現れた人間たちがセネカを傷つけた事に、そして何もできなかった私の不甲斐なさに。早くセネカの側に行きたい。でも私はこの男に聞かなければいけない。セネカとヒミカのお母さんの居場所を。やせっぽちはうわずったかすれた声で話し出す。


「獣人の女はブラックラグーンに売った。なぁ、ちゃんとしゃべったんだらか命だけは助けてくれ」


 どうやらやせっぽちはとんだ臆病者のようだ。ヒミカはやせっぽちの腹に咆哮の弾丸をぶつけると、やせっぽちを気絶させた。私は持ち上げられない剣を消すと、ヒミカと共にセネカの元に走った。セネカは狼から人間に戻って、うつ伏せに倒れていた。背中から真っ赤な血が流れていた。


「セネカ!」


 私は悲鳴のような声でセネカを呼んだ。私のせいだ、私を助けるためにセネカは怪我をしたのだ。可哀想にセネカの背中には大きな刀傷が出来ていた、血もどんどん吹き出してくる。私は完全にパニックになった。大学では子供が怪我した場合の応急処置も学んだ。早く止血をしなければ、そして救急車を呼ばなければ。でもこの世界には電話も救急車も無い。私は無力だ。私の能力ちからは役に立たない剣を取り出したり、お醤油を取り出したりするだけだ。泣き出しそうな私にヒミカが声をかける。


「大丈夫だよもみじ、私たちはこんな傷、すぐに治っちゃうから」


 そう言って、ヒミカはセネカの傷口を手でふさいで、血が流れないようにした。セネカは私の顔を見て弱々しく笑う。セネカもヒミカもまだ子供なのに、私に心配かけまいと気丈に振る舞っていた。私は耐えきれなくなって泣き出してしまった。ごめんねセネカ、私は大人なのに守ってあげられなくて。ごめんね、痛い思いをさせて。私の目からは涙がぼろぼろ流れ出し、セネカの身体にポタポタと落ちた。すると、セネカの身体ばパァッと輝き出した。驚いた事に、セネカの傷口がみるみるふさがっていったのだ。セネカも驚いたらしく、不思議そうに消えてしまった傷口に手を当てていた。ヒミカが喜んで声をあげた。


「もみじすごい!ケガを治しちゃった」


 私は驚きながらもホッとしてセネカを思わず抱きしめた。セネカの手がおずおずと私の背中に回った。とても小さな手だった。


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