くよくよするな丼

アイク杣人

くよくよするな丼

 ちょっとだけマズい状況になってしまった。


 いやクリティカルにマズいかと問われれば、生命が脅かされるほどのことでもないのだが、かといってこのまま帰宅してカシュッ!と缶ビールを開け、YouTubeを見つつのんびり……なんてことをやるには少々厳しい状況だった。


 事の起こりは数時間前。

 若干テンション高めのお客様からお誘い……という名のクレーム対応をなんとか終わらせて帰社した時の事だった。三寒四温という言葉がジャストフィットする時期だったので、ほんのりと暖房の温かみが残っている誰もいない社内にセコムを解除して入る。


「……そりゃ、まあ、誰もいないよな」

 俺は自分のパソコンを立ち上げて先ほどの報告書を作ろうとするが、なかなかキーボードをたたく指にスピードが乗らない。人間、誰だって嫌な事をするスピードは遅いものだ。

 80%ほど書き終えて時計を見ると21時くらい。うわぁ、ビール飲みたいなぁ……などと、一人であることをいいことに大声で叫びつつ無理やり指を動かしていた。


 すると、こんな時間なのにオートロックが開いたような音が聞こえる。うん、明らかにオートロックの解除音だ。

 えっえっ、ひょっとして強盗?泥棒?それとも春先に良く出る話の通じない少々アグレッシブな人?

 俺は近くに武器になりそうなモノがないかを探しつつ、ジョジョ立ちでドアを見つめ居ていた。


「ビ!ビルじゃないか!な、何してんだよこんな時間まで」

 そこに現れたのは打ちくたびれた同僚の姿だった。

「オー!コージさんじゃないですか!!お疲れさまデス。電車、止まってましたよ。ジンシン……かな?3時間くらい電車に乗ってました」

 そこには来日8年目で入社4年目のビルがいた。どうやら乗っていた電車が人身事故にあって、しばらく閉じ込められていたようだ。

 彼はジェスチャで疲れを表現しつつ、ハリウッド俳優のように整った金髪碧眼の顔を、これでもかと言うくらいしかめて自分の席に座り込んだ。

「もう、本当に最悪デスよ。今日こそ早く帰って野球を見ようと思ったのに」

「さすがにこの時間だと、もう8回裏くらいだな」

「帰ったら終わってマスね……はぁ、早くサンプルを置いて帰りマス」


 ビルの今日の仕事は取引先にサンプルをもらいに行くことだったらしく、それさえなければ直帰出来たものを、家に持ち帰ることも出来ない商品なので、覚悟を決めてなんとか帰社したとのこと。

「しかも、見積もりを間違えて出しちゃって、ヘヴィな感じで怒られまシタ……」

「ああ、分かる。いろいろ立て込んでいる時って、どんなに注意してたりメモったりしても抜けちゃうんだよな。たぶん、神様がそう設計してるんだと思うよ」

「私は熱心なキリスト教徒ではありませンが、神はそんなことしません。やはり全ては私がいけないのです」

 普段から感情表現が仰々しいビルだが、今回の一件は割とダメージが大きいようで、身体から出ている負のオーラが凄まじかった。


「まあ、気にすんなって。良くあることだし、さっさと帰ってYouTubeで試合のハイライトでも見ようぜ」

「……そうデスね。気分を切り替えマス」

 そう言ってビルが弱々しく笑ってこちらを向いた時の事だった。


フッ!カシャン!パッ!


「ん?今、瞬停したな」

「シュンテイ?」

「ああ、一瞬だけ停電したってことだ」

「そういえば一瞬だけ電気が消えましたネ」

 それはいいが、電気が消えて再び付くまでの間の『カシャン!』という音が気になった。きっと何でもない……という希望を抱きつつフロアを調べながら歩く。

 俺が奥の方を見て回っていると、入り口の方に向かったビルが叫び声をあげた。

「マイガッッッ!!コージさん!ドアに鍵がかかってますよ!」

 いやいや、オートロックなんだから鍵がかかってて当たり前だろ、と思いつつ入口へ向かいドアを調べた。


「何を言ってるんだよ、鍵はこうやって開ける……ん?ロックが解除されない……」

「ほら!言ったでショ!」

 通電はしているし何かしらの反応はあるので、どうやら俺やビルのキーでは開かないだけのようだ。

 先程の停電のせいで、オートロックのシステムに不具合が発生したのかも……やれやれ、こういう疲れ切った時に限って事件は発生するもんだ。俺は途方に暮れそうになったが、その時、以前のセキュリティ講習で聞いたことを思い出した。


 そうだ!社内にはそういう時のためにマスターキーが置いてあったはずだ。

「ビル!確か部長の机の中にマスターキーがあったはずだ!……状況が状況だし勝手に机を探させてもらおうか」

「ちょ、ちょっと待ってくだサイ。一応連絡した方がいいと思いますよ。あの人はそういうとこをネチネチと突いてきますカラ」

 ふむ、こいつもかなり弊社のことを理解してきたな。


 俺は仕方なく会社携帯を取り出して部長に電話をかける。出来れば二度とかけたくない番号だ。

「あっ、夜分遅くすいません、営業の栗栖くりすです」

「あん?どうしたのかね、こんな時間に」

 明らかに不機嫌そうな声だが、まあ、俺でもこんな時間に部下から電話がかかってきたらこんな声になるだろう。

「いえ、実は社内のオートロックシステムが故障したらしく、鍵が開かずに閉じ込められてしまったんですよ。それで、部長がマスターキーをお持ちのはずだったので、どこに置いておられるのかな……と、申し訳ないとは思いつつお電話させていただきました」

「……」

 えっ、何その沈黙。

「手元にある」

「えっ?どういう……」

「大事なモノだから手元に置いてあるんだよ!」

 なんだその理論。

「じゃ、じゃあ、どうすれば……」

「あー、ゴホン。明日まで待ちたまえ。こんな時間だし、どうせ明日も出勤だろう。ちょうど良いではないか」

 いや、良くねえよ!

「今日は会社での宿泊を許可する。一応、セキュリティ会社には連絡しておくから、安心するがいい」

「えっと……あの……」

「それじゃ、お疲れさん」


 俺はドラマのように受話器を見つめて、首を振りながら眉間に皺を寄せる。ビルは俺のその顔を見てある程度は理解したようで、電話の内容を彼に伝えると、何かを悟ったような顔をしてこう言った。

「……彼の者の家がソドムとゴモラの如く、いつしか悪徳と頽廃たいはいの巣になり果てるように、そして神罰により慈悲無く燼滅じんめつするように」

 なんで呪詛を吐く時だけ俺より流暢に難しい日本語を話せるんだよ。


 ちょっとだけマズい状況になってしまった。


 というわけで、最初の一文に戻るわけだ。一応、電気は問題なく来ているし、食材を扱う会社なのでそれなりのキッチンもある。そして応接室にはソファもある。風呂に入れないのはダメージだけど、給湯器のお湯で身体を拭くくらいは出来るだろう。

 まあ、明日になればセキュリティの会社が来て開けてくれるし……っつか、部長が朝一番に来いよ、っていう話だ。


「ビルは帰れなくても大丈夫そうか」

「ええ、私は一人暮らしですし、ペットもいませんカラ」

 二人でありったけの呪詛を吐いた後、それぞれ自分の席に戻ってから今後の事を考えることにしたのだが、まあ、今後の事と言ってもとりあえずは夕飯だろう。


 時間はもう22時近い。いつもならYouTubeに飽きてゲームでもしようかなと思ってる頃合いだ。先ほども言ったが、食材関係の会社なので社内の冷凍庫・冷蔵庫にはお取引先様から頂いたサンプルなどが、いつの頃からかかなりの量で眠っている。

 商品の賞味期限?『袋や容器を開けないままで、書かれた保存方法を守って保存していた場合に、この「年月日」まで、「品質が変わらずにおいしく食べられる期限」のこと』だろ。うるせー!非常事態なんだよ!


「よーし!とりあえずは夕飯だな。ビル、さっさとキッチンに行って冷凍庫と冷蔵庫を漁るぞ!」

 俺はテンションを無理やり上げて叫んだ。

「ちょっと待ってくだサイ。コージさん、知らないんですか。一昨日くらいにキッチンルームの在庫を整理したんですよ」


「ふぁっ!?」


 そういえば、この数日間はずっと外回り&直帰で会社に戻ってくるのは久しぶりだった。俺の知らない間にそんなことになっていたとは。っつか、その在庫はどうしたんだ?

「みんなでジャンケンして持ち帰りました。あっ!私はテバサキをもらったんですよ!某社のカレー味付けです。カレー、美味しいデスよね。サワディークラッ!」

 いやいや、それはタイ語で『こんにちは』だ。確かにタイのカレーも美味しいけど、お前が言わんとしたいのはたぶん『ナマステ』だろ。

「マジかよ……とりあえず見に行ってみるか……」


 社内でも割と広めの部屋をあてがわれたキッチンルームで、俺たち二人は6面の冷凍冷蔵庫を漁っていた。だが在庫整理の後ということもあって、いつもに比べて余裕のあるその冷凍冷蔵庫には目ぼしい食材など無いに等しい。

「ほら、言ったでショ。すっからかんですヨ」

 あったのは、昨日、取引先の商社からいただいた豚コマ肉と高菜の真空パックくらいだった。

 これは困った。会社にごちそうがあると思ってテンションを上げてた俺は、仕方なく鶏肉をレンジで解凍しつつビルに話しかける。


「そういえば、ビルは何か買ってきてたみたいだけど……」

 ひょっとしたらビックリするような食材を買ってきているかもしれないからな。

「コレです。スーパーで買ってきたサ〇ウのごはんデス。レトルトなのにビックリするくらい美味しい」

 ……いや、確かにね、一人暮らしだし必要なモノだけど、ここでそれを出されるとちょっと困ってしまう。だが、彼に罪は無いし、ましてやサ〇ウのごはんに罪など全くない。

「解る。一人暮らしには必須だよ。食べたい時に短時間で温かいご飯を食べられるなんて、もはや革命的発明だよな」

「オー!さすがコージさんだ。すごいデス!聞いてますよ。もう長いこと一人暮らしらしいデスね!」

 こいつには日本語で言う『皮肉』という概念を、もっと教え込まなければならないと思った。


 俺が買ってきたのはツマミにしようと思った「スルメ」とビールくらいだ。なんとかこれを晩飯にしたいけど。

「私もビール買ってきましたよ!アサヒィスゥパァドゥルァァァァイ……は高いので買えませんでしたが、アサヒ第三のザ・リッチとかいうヤツです」

「ビルはアサヒ派だったのか。俺はサッポロ黒ラベル!……は同じく高くて買えなかったのでゴールドスター。やっぱり男は黙ってサッポロやで!」

 意味なく語尾を関西弁っぽくして熱く語ってやったが、二人とも買ってきたのが第三のビールだったので悲しい一体感を覚えた。


「それは良いけど、どうするんデスか。これで晩御飯作るんデスか?」

「ああ、任せておけ。とびっきりジャンクなのを作ってやるよ」


 俺はテンションを上げるため、ゴールドスター(1本目)をカシュッ!と開けておもむろに飲み始めた。

「あっ!ずるい!私も飲みます」

 二人で缶ビールに口をつけ無言で半分ほど飲み恒例の音声を発する。

「「プハー!」」

 幸い、二人とも350mlを4本ずつ買ってきているので、ビールがすぐになくなるということはなさそうだ。


「でも、コージさんがいて良かったデス。見積もりで怒られるし帰りは電車に閉じ込められるし、本当に散々でしたヨ」

「重なる時は重なるからな」

「ハァ……今回はちょっと、というかかなり自信を無くしました」

「十年以上やっててもそれくらいのことは良くある。大切なのはその後のリカバリーだよ。ミスは誰だってするから、ミスを起こさないことより、起きた時にどうするか?の方を重視した方が結果的には上手くいったりするよ」


 珍しく落ち込んでいたビルの顔が、その言葉を聞いて変わった気がする。たぶん、きっと良い方に変わったと思う。

「……まさか、コージさんがそんな素敵でポジティブなことを言える人だとは思ってませんでした。いつも、スベリ芸を重ねて無理やり笑わせてくるような……」

「ちょ、ちょっと待て。そんな普段のネタ批評とかいらないから。ほら、感動する場面じゃん。そういうのは割と心にくるからやめて、マジで」

 危うく俺の方が落ち込んでしまうところだった。とりあえず料理を始めよう。


「よーし、まずは豚コマ肉だな。これを醤油と味醂と酒で少しグツグツさせる。その後、味が染み込んだと思ったら卵を絡ませる」

 冷蔵庫を良く探してみると調味料や卵などが入っていたので、ここぞとばかりに使わせてもらう。

「それからこの高菜だ。これはすでに味付けされているし濃い味付けなので、そのまま使うことにしよう」

 高菜は普通にスーパーで売られている商品で、弊社が小売チェーンのお店にプレゼンする予定のモノだった。


「そしてここからが真骨頂!」

「シンコッチョウ?」

「なんだよ、知らないのか。climaxってことだよ」

「オー!なるほど!最初からclimaxデスね!」

 そっか、こいつは特撮好きだったな。反応すると面倒くさそうなので軽くスルーした後、俺は買ってきたスルメを取り出し、豚コマをグツグツさせてたタレに浸してレンジにかけた。こうすると味も染みて柔らくなるはずだ。

「スルメにそんなことを!」

「あたりめだったらなかなか柔らかくはならないけど、さきいかならレンチンだけでいい食材になる」


 その勢いでサ〇ウのご飯もレンチンして会社にあったどんぶり椀に入れる。その上には高菜、豚コマ肉、そしてスルメ。

「うわぁ!かなり身体に悪そうデス!」

「ははは、コイツぅ!もうちょっと褒め方ってのを覚えた方がいいぞ!まあ、確かに身体に悪そうなスーパージャンク丼だな。名付けて『くよくよするな丼』だ!」

「ヒャッフー!最高にネーミングがダサいデスね!」

「おおっと、それはもう半分以上悪口だな。そろそろワザとかなと思ってきたぞ」

 俺はビールの勢いで軽くツッコミつつ出来上がった料理の説明をし始めた。


「まず『くよくよするな丼』の『く』は豚肉の『く』だ!」

「いきなり厳しいデスね」

「うるせぇ!そして『する』はスルメ、『な』は高菜の『な』だ」

「……『よ』はどこに行ったんデスか?」

 俺はおもむろに冷蔵庫から取り出してテーブルの上に置く。

「マヨネーズの『よ』だ!」


 ご飯の上に高菜と豚コマ肉と柔らかくしたスルメ、最後にその上からマヨネーズをトッピングするという、人間の食卓に舞い降りた悪魔の所業に近い食べ物を、俺たちは自分たちの不運を呪いながら口にした。

「これ、美味しいデス!身体に悪そうな味がベリー美味しいデス!」

「そうだろ?いや、俺も今食べてビックリしたんだがな、まさか普通に美味しいとは思わなかったよ」

「自信なかったんデスか?」

「まあ、思いつきだったし作ったこともなかったしな」

「……な、なんですって?私を試しましたね?」

「いや、俺も食べてんだからいいだろ」

「まあ、今回は美味しかったのでオーケーですけど、そうじゃなかったら阪神タイガースが負けた後の阪神電車にムリヤリ乗せますヨ」

 あまりプロ野球を見ない人間に対して、その仕打ちはちょっと怖い。


 そんな話をしながらあっという間に二人でビールを4缶を開けてしまい、残ったスルメをガジガジしていると、ビルが常温倉庫から何か見つけてきたようだ。

「コージさん!お宝デスよ」

「おっ、何を見つけて来たんだ」

 ビルがホラ!と言いつつテーブルに置いたのは焼酎。これはサンプルではなくて、お歳暮とかそう言ったモノの余りのようだった。


「おおおお!さすがビル!トレジャーハンターだな!」

「イエス!海賊王に、俺はなる!」

 うーん、ちょっと違う気がするけど、まあこの際どうでもいいか。俺たちは二人はそのまま残った高菜などをツマミにして飲んでいた。


「しかし、こうなると逆に帰れなくてよかったな」

「ええ、そうデスよ。格安の飲み会みたいな感じデスし」

「逆に今、鍵を開けられても困る」

「どうせならこのまま朝まで飲んでもいいくらいデス」

「いや、さすがにそれはマズいだろ。明日、フロアがかなり酒臭いぞ」

 俺たちは二人で大笑いしながら、数時間前までには思いもよらなかった楽しい時間を過ごしていた。


 三杯目……くらいの焼酎ロックを作っていた頃だろうか、机の上に置いていた会社携帯が場の空気など読まずにいきなり震え始める。

「ちっ、誰だよ……って、部長じゃん!ビル、ちょっとbe quietな」

 俺は一度深呼吸をし、スピーカーモードにして電話に出る。

「ああ、私だ。栗栖くん、元気にやってるか」

「えっ、あ、はい。なんとか」

「先ほどセキュリティ会社から電話があって、すぐにそちらへ向かうということだ」

「えっ」

「保守契約の一部だそうだ。だからもうすぐ着く頃だと思うぞ。まだ終電がある時間だし良かったじゃないか。じゃあ、ちゃんと帰れよ」

「ちょ、えっ、まっ……」


 一方的に電話が切られた後、二人で顔を見合わせ呆然としていると、入り口の方でカシャン!という音が聞こえたのだった。

(完)

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