第13話     嘘

 源兄いが顔の半分を茜色に染めて、探しに来たとき喜市はまだ冷たい土の上に座り込んでいた、灯篭にもたれ、くの字に立てた膝の上にある赤い手拭の包みに目を止めた源兄ぃは、そっと近づいて傍らにしゃがみこんだ。

「小頭・・」

「うん」

「そいつは・・」

喜市は黙って立ち上がり、少しよろめいて灯篭に縋った。

「今日で終わりにする。もう探してやらねえ」

それから源兄ぃに笑って見せた。


源兄ぃこと、木更津の源次はふいに思い出した。

十二・三年も前のことだ。

義理がどうの、仁義がどうのと、やくざ渡世の面倒な関わりあいがすっかり嫌になった源次が、観音屋に草鞋を脱いだのは、偶然だった。

ほんのしばらく”ほとぼり”を冷ましたらまた旅に出るつもりだった。

観音屋には、元締めと女将さん、それに四人の男兄弟がいた。

三人は二十歳でこぼこだが、末の弟は肩上げの取れない五つか六つ。

明らかに、母親が違う。

その日は法事とかで、元締め夫婦は早くから寺に出向いており、三人の兄たちも出かける支度をしていた。

末の息子も連れて行ってもらえるものと思って、兄たちの後をついて歩いていたが、戸口で、長兄に”喜市、今日はお前えは留守番だ”と、冷たく言われてしまった。

五つ・六つの餓鬼だ、泣くだろうと思った。

しかし、餓鬼は三和土に足を踏ん張って立ち、しばらく大息をついていたが、くるりと振り返って、にこりと笑った。

「兄ちゃんたち、今日は遊んでやらねえぞ」」

跡で聞いたことだが、その日の法事は女将さんの父親の三十三回忌で、当然、女将さん方の親戚が大勢集まる。妾の子は注目を集めるだろう。

だからこその留守番だったのだ。

元締めの女将さんは、こういう渡世には似合いの磊落な性格で、

「ほら喜市、兄ちゃんたちに苛められたら、この観音屋のおっ母さんにいうんだよ。ぶっとばしてやるからね」

などと、開けっぴろげに笑うお人だった。

自分のことは”観音屋のおっ母さん”と呼ばせ、実の母親は、”おっ母ちゃん”と呼び分けさせていた

源次はそれから喜市と言う餓鬼から目が離せなくなった。

餓鬼のくせに、駄々をこねたり泣きわめいたりしない。聞き分けの良い素直な餓鬼だが、底知れぬ強さを持っているように思えたのだ。

観音屋のおっ母さんが亡くなった時もそうだ。

「いいかい、喜市。あたいが・・この観音屋のおっ母さんが死んでも、お前は泣いちゃいけない。お前の涙はおっ母ちゃんのために取っておくんだ。いいかい、約束だよ」

喜市は数え八つだった。そして、約束を守った。ただ、葬儀のあと、明神様の手水舎の柱の陰でひっそり涙をこぼしていたのを源次は知っている。


あの時と同じだ、と源次は思う。喜市はここで、泣くだけ泣いたのだ。

そして、立ち上がった。それでこそ小頭。それでこそ、おいらの喜市っちゃんだ。


「お圭の親兄弟と宗助に、これ見せないとな」

ぼそりと喜市が呟いた。櫛と簪を包んだ赤い手拭が、かすかに震えていた。


武藤先生や朋絵様にも話さねばならない。

愁嘆場は一度でいい、と喜市が決めて一心庵に皆を呼び集めた。

一心庵は臨時の救護所の名残を留めて、まだ炊き出しをやっていた。

お圭のお父っつあんが足を引きずりながらなってきた。

宗助も、奉公中の忠太も許しを得てやってきた。お糸も浩太もいる。

皆が皆、やつれていた。

地揺るぎ以降、飯もろくに喉を通らなかったに違いない。

喜市は座り込んで、ぼんやり昔の女部屋を見ていた。

お糸を背負ったお圭がそこから出てくるのを待っているようだった。

そのままの姿勢で、喜市はぼそりと話し始める。

「皆に辛い話をしなくちゃならねえ。覚悟して聞いてくれ」

それから、やおら立って、昔の武藤のように前に立った。

「お圭に、最後に会った女が見つかった」

その時の様子を話し、赤い手拭に包まれた櫛と簪を見せる。

そして大きく吐息を吐いた。


す・・すまねえっ、喉から絞り出すような声で、頭を下げたのはお圭の父親。

「せっかく身請けまでしてもらったのに、恩返しもしやがらねえで、あの馬鹿・・」

喜市はゆっくりかぶりを振ると、

「謝るのはおいら達かもしれねえ。あのまま品川にいりゃあ、地揺るぎなんてえもんに会わずに済んだかもしれねえんだ。なまじ身請けなんぞ・・」

もう一度喜市は唇を噛んで「大息を吐く。

姉ちゃん、お圭、お圭姉ちゃん・・口々に呼んでむせび泣く。

「忠太、浩太、これからはお前えたちが頼りだ。親父さん、連れて帰って休ませてやれ。お糸も・・」

すると、お糸は必死で涙をこらえながら、顔をあげた。

「あたい、宗助さんと喜市さんにお話があります。」

お糸のか細い体が震えていた。

朋絵様が後ろに回って、そっと支える、

「今でないとダメなの。」

「お姉ちゃんがいなくなったら、宗助さんとも喜市さんとも縁が切れてしまいます。その前に、どうしても言っておきたいことが・・」

朋絵様がどうする?と目で聞いてきた。

「じゃ、お糸はあとでおいらが送って行きます」


宗助は、と見ると、魂が抜けたような顔でべったり座り込んでいる。

お店者の宗助はいつも膝を崩さず、背筋をぴんと伸ばして座る。

それがだらしなく姿勢が定まらない。明らかに異常だった。

宗ちゃん・・思わず呼んだ。

「き、喜市っちゃん、変だよ、どうしたのさ。みんな泣いたりして」

宗助・・武藤が宗助の胸倉をつかむ。

「櫛と簪がどうしたって?それが、お圭が死んだ証拠?そんな馬鹿な」

眼が坐っていた。

喜市は武藤を押しのけて宗助を立たせると、いきなり往復びんたを三発喰らわせた。

お糸が悲鳴を上げ。朋絵様が顔を覆った。

倒れ掛かった宗助を抱きとめた喜市は、その衰弱した体に驚いた。

何日も、ほとんど食わず、眠らず、もんもんとしていたに違いない。

喜市と違って、お店者の宗助は自由にお圭を探しに行けなかった。

じれったかったに違いない。歯がゆかったに違いないと思う。

「すまねえ、宗助、痛かったな」

喜市が抱きしめると、宗助はただただ泣いていた。


「お姉ちゃんに久しぶりに会えて、嬉しくて、いっぱいおしゃべりしたんです」

お糸が囁くように話す。隣の部屋には宗助が横になっていて、朋絵様が介抱してくださっている。

「お姉ちゃんね、身請けなんてしてほしくなかったんだって」

なんと・・と武藤が唸る。

「お姉ちゃんは宗助さんも好きだけど、喜市さんがもっと好きになってたみたい。

それで迷ってるところへ身売りの話が来て、これでどっちか選ばなくてもすむって。つまり、逃げたんだって」

ううむ・・武藤がまた唸る。喜市は黙って目を閉じていた。

「まっとうに働いたお金でないと身請けされてやらないって話も、そう言えば二人とも諦めるだろうと思ってたらしいのね。それが・・」

武藤がおおきな溜息を吐く。

「それでね、品川からここへ戻る時、隙を見てまた逃げようかと思ってたんだって。

でも、お父っつあんや兄弟たちには合いたかったから、ひとまず実家に帰ってきた。それでね、あたい思うんだ。お姉ちゃん、地揺るぎに乗じて今度こそ逃げたんじゃないかって」

お糸が話し終える前に、がらりと襖が開いて、宗助がよろめき出てきた。

「そ・・それ、ほんと・・本当のことかい」

お糸が口を押えて、後ずさりする。

かまわず宗助、喜市に抱きつき、

「よかった、生きてる、生きてるんだ、お圭・・」

「お、おう、生きてるかもしれねえな」

「生きてるよ、お圭が死ぬわけないと思ってたんだ。よかったあ」

そして、布団に戻り、ことんと眠りに落ちた。

















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