第14話   お  糸

 女郎と言うのは籠の鳥で、不自由なものだと思っていたが、お糸がお圭から聞いた話では、それほどではなかったようだ、

もちろん、お圭の啖呵売で女郎屋が潤ったせいもあるだろうが、例えば、江戸から来る客に、読売や絵草子の土産をねだることもできたらしい。

「お姉ちゃん、肌身離さず持ってたらしいよ。」

喜市の例の錦絵と、宗助が算学志という算学の会で活躍しているという読売だった。

「お姉ちゃんと夜っぴて話してさ、楽しかった。楽しくてさ、ああこれが宗助さんや喜市さんに好かれる理由なんだなって」

喜市は薄く笑った。笑うしかなかった。

「例えば小豆さんの話。聞いてるよね、黒子の多いお女郎さんで、お客さんと黒子の数の当てっこしたって話。あの小豆さん、問屋場のご隠居さんに身請けされたんだって。それが、ご隠居さん、黒子の数を数えてると眠くなるって、何度試しても眠くなる。年とって寝つきが悪くなってたご隠居さんが眠り薬の代わりに身請けしたんだって」

いやに饒舌だ。何かごまかそうとしている。

「何が言いたい」

「あ、ああ、いえ・・あの。さっきの話、嘘じゃないけど・・」

「逃げたってぇ話か」

「逃げようかと思ったのは本当みたい。でも、お姉ちゃん、今まで逃げたことないから」

「そうだな」

喜市がそう言うと、お糸は立ち止まって頭を下げた。

「ごめんなさい。今まで隠してて。あたい、あの後、喜市さんと出会った後、お父っつあんを避難させてから、救護所とか御遺体の安置所とか、回ってみたんです」

そして、懐から袱紗に包んだ物を取り出して、

「御遺体の安置所で、これ、拾いました」

広げてみると、焼け焦げて半分になってしまった下駄。かろうじて鼻緒の一部が残っている。梅の模様か。

「あの日、お姉ちゃんはお父っつあんが作った新しい下駄、履いて出たんです。鼻緒はあたいが作った物で、お姉ちゃんの好きな梅の柄・・で」

喜市はそれを見ながら、うんうんと肯いた。

御遺体を一生懸命見たけど、どれがお姉ちゃんか分からなかった。だから、お父っつあんにそれを見せて、これをお姉ちゃんだと思って供養しようって」

「宗助が、喜んじまったんで、言い出せなかったんだな」

喜市は苦笑した。その宗助は、反動がきたみたいに陽気になった。

それも心配で、一心庵に預かってもらうことにした。

お圭の父親が比較的落ち着いていた訳も、今ならうなずける。

「下駄、脱げただけかもしれないし」

「そうだな、うん・・」

人騒がせだぜ、お圭。皆をこんなに心配させ、走り回らせて・・

「ここでいいです。喜市さん、いえ、喜の字組の小頭。今までお姉ちゃんが長いこと大層お世話になりました。ご迷惑もおかけしました。御恩は一生忘れません」

お糸が立ち止まり、深々と頭をさげた。

「私も逃げないでがんばります。もし道で出会ったら・・いえ、ご迷惑ならいいんですけど、あの・・声をかけてもいいでしょうか」

「そうしゃっちょこばらなくても、今までみたいに喜市っちゃんでいい。こっちからも気がついたら声をかける」

「本当ですか、本当に・・」

「ああ、じゃ、またな」

喜一が去って行くのを、お糸はいつまでも見送っていた。








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