第5話   朝 の 子

 神田明神の門前町はかなり広い。

東に少し行けば霊雲寺、そして湯島天神があり、さらにその先には不忍池があって、日中は人通りが絶えることがない。

そこを、五人の子供たちを引き連れて喜市が歩いている。

「ここで店を出している人たちにお前ぇらの名と顔を覚えてもらわなくちゃならねえ」

「何でだ?」

シゲが訊く。

「信用してもらうためだ。かっぱらいや置き引きはしねえ。万引きもしねえ。喧嘩もいざこざも起こさねえ、と思ってもらう」

「そいつはどうかな?」

と、今度は竹。

「観音屋は御救い小屋じゃねえ。役に立たねえ者を只で泊めて食わすわけにゃいかねえ。トラ、お前ぇならどうする?」

「や・・役に立ちゃいいんだろ?ううんと、うんと、掃除してやる」

「掃除か、なるほどな」

喜市は大きく頷いてやる。

「掃除なら店の人がやるぜ、手前ぇんちの前だけだけどよ」

「その通りだ。それに大勢でほうき使ったら埃がたってしょうがねえ」

「朝一で水撒きしたらどうかしら」

ハルがおずおずと口を挟む。

「そりゃあいいな。天気のいい日は朝だけじゃなく、昼と夕方、三度の水撒きはいい。で、大きな声で名前を呼び合うんだ。そしたら名と顔を覚えてもらえる」

「うへっ、水汲みが大変だ」

竹が首をすくめる。

「そうだな、何かうまい方法を考えよう。皆も考えてくれ。それと雨の日はどうするかもな」

長屋の一室に竹やシゲ達が住み着いて十日になる。

竹は粂爺ぃの腰がよくなるまで、源兄ぃと一緒にお涼と花の送迎に出かけるという仕事があったが、他のものはたまに若い衆の手伝いをするくらいで、何もすることがなかった。

シゲとトラには、竹と同じく喜市のお下がりを、ユキとハルとショウタには古着を買ってやり、湯屋で、若い衆三人がかりで擦り上げて何とか身なりは整えたものの、いつまでもただ飯喰わせておくわけにはいかなかったのだ。

そこで喜市が考えたのが、門前町で名前と顔を売って、初手は何でも屋。使いっぱしり。それから食い物屋のお運びさんや下働き、上手く行けば包丁の使い方も学べるかも知れない、という筋書きだった・

「まずは挨拶だ。大きな声で元気よく。覚えられるならお店の名前、主や女将さんの名前を呼ぶと、もっといい。言葉にしなくとも、いつもお世話になってますと心の中で言うんだ。それが顔やら言葉に表れる」


離れで寝ている粂爺ぃにその話をしたら、手押し車に桶を乗せて、引いて歩いたらどうだと案を出してきた。観音屋の若い衆の中には手先の器用な者もいて、手ごろな桶を乗せて引いて歩ける車つきの台を三つ作ってくれた。

女の子二人には目についたゴミを拾って歩く、竹箸と竹かごが用意された。

観音屋の身内ではないから半纏は着せてやれないが、代わりに首に榛色の手拭を巻かせた。


朝一の門前町に水撒き隊が出動。埃っぽい道がしっとり湿るほどに水を撒く。

若い衆が教えたのだろう、柄杓を低い位置から降りながら撒く。こうすると、通りかかった人に水が掛かりにくいのだそうだ。

境内から鳥居前と、通りの両端から水撒きし大声で名前を呼び合いながらすれ違って、もう一度水を撒く

雨の日は水たまりに砂を撒いたり、板を渡したりした。挨拶も忘れない。

喜市の思惑とは裏腹に、一番に声がかかったのはのは年端もいかないユキだった。

門前の水茶屋で、お運びの口がかかったのだ。

ユキはおへちゃだが愛嬌がある。浅草辺りでは錦絵になった茶屋娘が人気を呼んでいたが、ここでは単なるお運びさんだ。

ついで、正太を負ぶったままでいいからと、境内の茶屋からハルにも声がかかった。

ここで、ぎっくり腰の癒えた粂爺ぃが動いた。

五人の親代わりを町役人に申し出て、明神下の裏長屋を借りたのだ。

近江屋からもらった礼金で、女房と子供の墓を建て、永代供養を頼んだ残りの金があったらしい。

「去年の暮だよ、俺っちが休んでると土手の上からガキの泣く声がしてな」

お腹すいたのは姉ちゃんも一緒だよ、泣かないでおくれよ、とあやしていたのがおハル。

そして、“そんなに泣くなら川に捨てるよ、正太”

「正太って言ったんだ、正太って」

鉄砲水で死んだ息子と同じ名前だった。

なけなしの銭をやったのが五人と知り合ったきっかけだった。

物貰いや乞食じゃねえ、と胸を張ったシゲもあのボロ小屋に寝泊まりする粂爺ぃには自分たちと同じ匂いを感じたのか、時々くれる銭や食い物目当てに顔を出すようになったという。

そのシゲが思いつめた顔で喜市の前に膝をそろえた。

「いつも行く湯屋で、釜焚きにならないかと言われた」

「ほう、見込まれたんだな」

「けど、おいら、断ったんだ。おいら、なりたいものができちまって・・」

「なんだ、なりたいものって」

「蕎麦屋・・」

ふふっと喜市は笑った。

「竹も同じこと言ってたそ」

二人とも、よほど天麩羅蕎麦がお気に召したようだ。

「観音屋のおいらが口きいたら雇ってもらえるかもしれねえが、そいつはお義理だ。本気で蕎麦屋になりてえんだったら、給金はいらねえ、下働きでいいから働かせてくれって飛び込んでみねえ。それでな・・」

「それで?」

「盗んで来い」

「へ?」

「かっぱらいはお手のもんだろうが。蕎麦打ちの仕方、出汁の取り方、具材のあれこれ、横目で盗め」

シゲはにやりと笑って頷いた。

シゲが去った後、喜市も立ち上って、庭に向かった。

「さてと、蕎麦打ちの道具、あったかな」

観音屋の蔵は、玉手箱だ。

金はあまり入ってないが、引退した香具師が置いて行った曲芸のたねや、道具、店仕舞いした食い物屋のあれこれ、売っても幾らにもならない物が詰まっている。

今日来て、すぐにでも店を始めたい者に貸し出すのだ、もちろん、鍋釜、布団などの所帯道具もある。ちょっとした損料屋だった。

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