第4話 職 人 尽 く し 絵
船頭修行の一方で、喜市は香具師の元締めである親父と共に、着なれぬ羽織を着て普請奉行さまのお屋敷を訪ねたり、普請方の与力や同心と言われる人達を招いての宴会を催したりと忙しく動いていた。所謂、根回しというやつである。
近江屋からもらった礼金の一部で、喜市は喜の字組の手拭を作ることにした。
歌舞伎の役者が、自分の名前を図案化した浴衣や手拭を作って売ったり配ったりしているのを真似て、喜の字を四角く図案化、これを石畳模様にして、蘇芳色となす紺、それに榛色の三食をそれぞれ百本づつ染めさせた。
これを一本一本、喜の字組と記した奉書紙で包み、お武家には茄子紺を、商家には蘇芳色、大家や番屋などには榛色をと使い分けて、挨拶代わりに配った。
そんな中、実際普請場を取り仕切る下っ端役人たちと顔つなぎの宴会を催したとき、役人の一人がいやに親しげに寄ってきて、
「守銭奴の誓いとやらを立てている喜市というはその方か」
と、声を潜めながら、面白そうに笑った。
「宗助の奴がお世話になってますんで?」
こちらも小声で答えると、
「守銭奴はよいが、小桜組のような阿漕な真似はするなよ」
と肩を叩いて、役人はくすくす笑った。
宗助の奴、あっちこっちで言い触らしてやがるとむかっ腹をたてたが、その木島と言う同心が実務を担当しているようで、小桜組の杜撰な仕事ぶりも調査の上、早速梅雨明けに予定されている普請を任せてもらえることになった。
近江屋という大看板を背負った宗助の”根回し”もあったかもしれない、
“根回し”と言うのがとにかく大事だと聞いてはいたが、さすがに観音屋の元締め、小桜組の頭はもちろん、その後ろ盾である赤不動の寅蔵にも筋を通したし、普請場の辺りを取り締まっている岡っ引きや担当の定街回り同心、近辺の町役人に町年寄り、石や材木を置かせてもらう空地の大家はもちろん周囲の家々にまで、手拭はもちろん手土産やらお捻りを携えて挨拶に回る。
「あっしが毎日出張りゃあいいんですが、何しろ寄る年波で・・」
などと笑わしておいて、さりげなく喜市が現場を仕切ると紹介する。その狸親父ぶりに喜市は舌を巻いた。
そんなこんなで船頭修行はすっかり疎かになっていた。今日も親父と一緒に帰ってくると観音屋の戸口の辺りからボロを着た十ばかりの小僧が中を覗っている。
「誰かに用かい?」
荷物持ちの若い衆が声をかけると、喜市に言伝だという。
「船頭の粂二さんが明日朝五つ、小屋まで来いって。そういえば分かるって」
「わかった。ご苦労だったな」
と懐から駄賃を出そうとすると、
「明日って爺さん言ったけど、すぐ行ったほうがいいと思うよ。腰を痛めたみたいで、もう何日も食べてないんじゃないかなあ」
ぎょっとした。あの寒々しい小屋に粂爺ぃは一人で住んでいる。腰を痛めて動けなくなっていれば大変なことになる。
「親父・・」
「うむ、すぐに行け。源の字はいるか?」
奥から源兄いが顔を出した。
「粂爺ぃが腰を痛めてるって」
「いっしょに行け」
親父の一言で、喜市と源兄いは駆け出した。
途中、気付いて、喜市は戻って言伝の小僧の手を引いた。
名を竹という小僧は、はしっこく、よくついて走った。
粂爺ぃは小屋の中で干乾びていた。いや、干乾びたように横になっていた。
あれほど船の手入れに熱心だったのに杭に舫ったまま何日も放置されているたようで。茣蓙も汚れたのを敷いたまま。
「粂さん」
「すまねえ粂爺ぃ」
抱き起すと粂爺ぃ、ひび割れた口でニッと笑って一言、水、と言った。
喜市が汲んできた水を旨そうに飲み干し、お代りと言った頃には粂爺ぃ、少し元気になっていた。
「なに、このままおっ死んでもよかったんだが明日は二十日、板橋まで行かにゃあならねえ。で。竹に言伝頼んだのよ」
「ありがとうな、竹。家は近所なのかい?」
源兄いが尋ねると、粂爺ぃが答えた、
「竹は気まぐれ同居人だ。ふらっと来て泊まって行く」
「爺さんが呼んでるような気がして来てみたらこのザマだ。まったく」
竹は偉そうに腕組みして胸を張った。
どうやら家も家族もないようだ。
「お礼に美味い物を食わせてやる。附いてきてくれ」
「どこへ・・」
竹は及び腰になった。普段、かっぱらいや置き引きなんかしているのだろう。
「心配するな。粂さんを医者に診せる、それから飯だが、粂さんは粥からだな。竹は何が好きだ?」
「おいらは・・えーと、えーと」
竹が考え込んでいる間に、源兄ぃが粂爺ぃを背負い、喜市が壊巻らしきものを抱え上げる。
小屋の中を見回すと、隅に置いた小盆の上に位牌替わりか、石が二つ乗せてあった。
「竹、粂爺ぃの着替え・・はいいや。それ、これに包んで持って来い」
と、懐から出した赤い手拭を手渡した。
喜市は源兄ぃを追い抜いて、船に壊巻を敷いた。それから雪駄を脱いで懐から出した草鞋に履き替え、船に乗る。粂爺ぃを抱き取って、壊巻に包んだ。
粂爺ぃが鼻先で笑った。
観音屋は通りに面して四間ほどと大きくはないが、存外奥が深い。店を兼ねる二階建ての母屋の向かって左端に若い衆が寝泊まりするやはり二階建ての棟が奥まで続いている。
中庭を挟んで、向かい側には蔵を挟んで棟割の四軒長屋が一棟、母屋の中庭を挟んだ正面には左側の若い衆の棟から渡り廊下で行ける離れが二棟建っている。
正月の獅子舞や三河万歳、越後獅子など地方から出てくる香具師たちはそれぞれ宿をとるのが原則だが、川止めなどで出てくるのが遅れ、宿が満員になってしまうことがある。また、宿代も無く知人もいない門付の芸人などを一時保護するための長屋であった。
また、旅の絵師や俳諧の師匠、ちょっと訳ありの{たとえば仇討など}お武家などは離れにお泊めすることもある。
そんな離れに粂爺ぃを担ぎ込み、医者を呼んだ。
竹は・・痩せ細った手足が日焼けと汚れで真っ黒なのが、牛蒡娘を思い出させ、放っておけなかった。
喜市は自分の小さいころの着物と真新しい下着を取り出すと、帰りに蕎麦でも食って来いと若い衆に銭を託して湯屋へ連れて行ってもらった。離れに上げるのも躊躇われたからだ。
生きのいい若い衆が多い観音屋では、湯屋も医者も月極めで金を払っている。
嫌な顔一つ見せずに駆けつけた医者は、粂爺ぃを(ぎっくり腰)と診たて、膏薬と痛み止めを処方して帰った。
まずは、と薄い粥を出したら粂爺ぃ。
「白飯がいいなぁ、それと酒だ」
と嘯いた。
それでも痛み止めが効いたのか、粥を食べるとすぐ眠ってしまう。
竹は頭の先から爪先までぴかぴかになって帰ってきた。
「こいつ、おいらが笊一枚手繰ってる間に、天麩羅蕎麦三杯も平らげたんですよ」
と若い衆が竹のおでこをピンと弾いた。
「あんな温かくて旨えもん、初めて食った」
と、初めての天麩羅蕎麦に感無量の態だったが、今一つ元気がない。
どうした、と聞くと
「夢中で食っちまったけど、最後の一杯は残しといて、みんなに食わしてやりたかった」
と言う。
「みんなって何人で、どこにいる?」
「増えたり減ったりするけど、いつもいるのは・・チビ入れて五人。今日はたぶん天神さんの床下に居る」
と、指を折りながら答えた。
「よし、竹。お前ぇ、今夜粂爺さんの看病しろ。厠へ行くってったら連れてくんだぞ。そんで、明日はおいらと板橋だ。五つには出るから寝てる暇はねえ。そしたら、五人まとめておいらが天麩羅蕎麦食わしてやる」
「お・・おいらみたいに三杯食っても?」
「おうっ。三杯でも四杯でも、食えるだけ食わせてやるよ」
「こ・・これから行って知らせてやってもいいかな」
「ついでに、ここへ連れて来い」
「い・・いいのかい?」
と、いうわけで、その日のうちに、真っ黒な五人、一人はまだ二才ばかりで負ぶわれていたから、四人とおまけが一人、観音屋の中庭にやってきた。
「湯屋も蕎麦屋ももう仕舞っちまったから、明日のお楽しみだ。今夜は残り物で悪いが雑炊だ。雑炊ならチビも食えるだろ」
四棟長屋の一部屋に有り合わせの壊巻を寄せ集めて、真ん中に雑炊の鍋を置いた。
「熱いから、火傷するなよ」
鍋を運んできた若い衆が、これも寄せ集めの箸と茶碗を配る。
すると、一番年かさに見える・・といっても十二・三か・・少年が下からねめつけるような嫌な目つきで、
「こんなことして、俺たちに何させようってんだ?」
すかさず喜市が返す。
「何ができる?」
「俺たちゃ女・子供を守らにゃならねえ。危ねえこたあごめんだぜ」
喜市は鍋やら壊巻やらを用意した若い衆に
「聞いたかみんな。こんな立派なセリフ、お前ぇに言えるか?」
すると年かさの少年が怒り出した。
「馬鹿にするな。おいらたちゃ乞食でも物乞いでもねえ。竹が来いってえから来てみたが食い物で釣って、おいらたちを好きに使おうってんならまっぴら御免だ。みんな、帰るぞ」
喜市は少年の前に膝をついて頭をさげた。
「すまねえ。おいらの悪ふざけが過ぎた」
そして、名を名乗った。
「おいらぁ喜市という。お前ぇは?」
「シゲだ。このころころしてんのがトラで、女がハルとユキ。ハルの背負ってるのがショウタ」
「あ、粂爺ぃの亡くなった坊と同じ名か」
粂爺ぃを知っているのかと、口々に言う。
自分は粂爺さんの船頭の弟子で、爺さんは向こうの離れにぎっくり腰で寝ていると言うと、ようやく信用してもらえた。
そのころになると、雑炊も旨い具合に冷めていて、みんなで一しきり掻き込む音がした。
「またシゲが怒るのを承知で聞くぞ。お前ぇら何ができる?」
喜市は真剣な顔で問うた。
翌朝、竹はむくんだ顔で現れた。
「寝過ごして来ねえかと思った」
「一宿一飯の恩義ってやつだ」
仏頂面して言う。
「難しい言葉、知ってんだな」
「ガキだと思って甘くみるなよ。シゲが胡散臭え仕事なら隙見て逃げろっていったけど、まあ湯屋にもつれていってもらったし、旨えもん食わせてもらったしなあ」
ともったいぶって頷いた。
「板橋まで女の人を送り迎えするんだ。汚い恰好じゃまずいだろう」
すると竹、訳知り顔に頷いて小指を立て
「兄ちゃんのコレか」
で、頭をぽかりと叩いてやった。
板橋では竹は存外大人しかった。運び込まれた大量の花と枝、それを仕分けるお涼さんの手際に目を見張っていた。
一軒目の腰乃家、二軒目の平清でもそうだったが、三軒目の山善でも明らかにいつもとは様子が違っていた。仲居さんと言うのか女中さんというのか、入れ替わり立ち代わり姿を見せる女の人が前よりも多いのだ。それも何人かで固まって、喜市と竹が花を運んだり、お涼が手桶に分けたりするのを囁き交わしながら眺めている。
「何でしょう、薄気味悪い」
お涼も気にしている。
「竹のことですかね」
それぐらいしか思いつかない。
次の常葉楼でも同様で、最後の船宿。風舞でとうとうお涼が、訳を聞きに行った。
すると、
「あの若い船頭さん、おなまえは?どこの船宿の船頭さん?」
反対に聞き返されてしまった。
お涼が呆気にとられていると、若い仲居は懐から大事そうに紙を取り出し、広げて見せた。
江戸職人尽くし絵。大工や鳶、纏持ちなど江戸で人気の粋な男を描いた錦絵だ。
そこには明らかに日本橋近くの舟寄せで、竿を掴んですっくと立つ船頭が描かれていた。
「首に巻いた赤い手拭い、あの人よね」
「ねえ、どこに行けばあの人の舟に乗れるの?」
「さ、さあわかりません」
お涼が這う這うの体で逃げてくると、竹がすいと後ろについて、
「兄ちゃん、すんだみたいだよ」
と大声をあげ、振り向いて赤んべえをした。
赤い手拭を首に巻いた若い船頭は、その後川筋から消えた。
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