第3話  礼  金

 四つ半{十一時}を過ぎてから始まった捕り物は、あっという間に終わった。

近江屋に忍び込んだ盗人七人と手引きした女一人、二艘の荷足舟は小半刻もしないうちに、役人と小者に抑えられ。引き上げられていった。

宗助が二階の窓から顔を出して、きょろきょろしていたので、赤い手拭を振ってやると、身を乗り出して大きく手を振ってきた。


近江屋への押し込み騒動は、しばらく町の噂になった。瓦版も出た。

それによると、あの日近江屋の蔵には二万両という途轍もない金額の小判が一時的に保管されていたらしい。もとより預り金なので、翌日には運び出す算段で、このことを知っているのは主と一番番頭の二人だけ。それが、漏れていた。

どこから漏れたのかは一時幕閣を揺るがすほどの大騒動になり、しかし、例のごとくどこかの誰かが切腹し、どこかのお家が改易になって、ようよう静かになったのは一月の余も過ぎてのことだった。

実行犯である盗賊は“世直し狐”を名乗る凶悪犯で、世直しに犠牲は付きものとばかり女・子供まで手にかける残虐非道な悪党だった、らしい。

余罪も数々あったらしく、頭目と主だった手下二人が斬首に、手引きの女を含む残りは遠島と、お裁きも早々とすんだ、らしい。

そして、すっかり忘れ果てたころ、近江屋主より粂爺と喜市に丁重な招待状が届いた。

とはいえ、届けに来たのが宗助では胡散臭くはある。

「今さら料理屋に招待なんて、間が抜けてるとしか言いようがない」

このところ忙しい喜市は憮然として言った。

粂爺もそっぽを向いて煙草を吹かしている。

「そう言わないで、受けておくれよ。これでも御番所の方々や用心棒の先生方より早いんだよ。まず一番はお二人だって」

「お気持ちだけで十分だ」

すると宗助、喜市の耳元で呪文を唱える。

「守銭奴、守銭奴・・。お礼金が出るんだ」

そして、パット両手を広げる。

「十文ってこたあねえな。十朱・・は二分半か。十分は二両半、ってえと十両か?」

思わず声が大きくなった。

宗助がもっともらしく頷く。

「粂爺ぃ、五両ありゃ正坊とおっかさんの墓、建ててやれるぜ」

粂爺がぎょっとして振り返った。

「お前え・・」

「石の位牌もいいが、ちゃんとした墓ぁ作って、回向もしてもらおう」

そ、そんな・・粂爺が呟いて立ち上がろうとして珍しく舟が揺れた。

舟の手入れを手伝ううち、粂爺ぃの塒を覗いた喜市は、小屋の隅に小さな盆に大切そうに載せた黒い大きな石と半分ほどの小さな白い石を見ていた。

粂爺ぃがその石に手を合わせているのも知っている。

喜市が竿で揺れを抑えながら宗助に聞く。

「永代供養ってのは幾らぐらいするんだ、宗ちゃん、知ってるか?」

粂爺ぃは舟底にべったり座ってしまった。


守銭奴の誓い。その経緯を粂爺ぃに打ち明けると、宴席に出るのを嫌がっていた粂爺ぃも、渋々同行してくれることになった。

近江屋も、あまり高級な料理屋では気づまりだろうと、ほどほどの店をえらんでくれていたから、形を改めることもせず気軽に出向いて行った。

一通りの礼の言葉と、三方に乗せた紫の袱紗包みを差し出すと、近江屋の主と番頭は気をきかせて一足早く退出し、後は宗助を含む三人での飲み食いになった。

「そ・・宗ちゃん、こ、これ十両だよ」

喜市が袱紗の中を覗いて頓狂な声をあげた。

「そう言ったじゃないか」

「おいら・・二人で十両だと・・」

「旦那様はそっけなくお帰りになったけど、喜市っちゃんと粂二さんには本当に感謝してらしたんだ。素早く手配りできたのも、二人のおかげだって」

「正直言うとさ、あれが宗ちゃんのお店じゃなかったら、あの女も怪しい猪牙舟も見過ごしてたな」

「へえ、そうなのかい?」

「賊が押し込んで、宗ちゃんが怪我でもしたら大変だと思ってよ」

思わず笑いが漏れた。

そして、瓦版には書かれなかった内輪の話。

例えば、雇い人の素性にはうるさい近江屋が引き込みの女を易々と受け入れたのは、二十年も賄を務めた女が、肩を痛めたので温泉に行くことになった、代わりに、と自分の姪と称して連れてきたのが、あの女だった。

調べてみると姪でもなんでもなく、同じ長屋に引っ越してきた引き込み女の兄・・ちょっといい男だったらしい・・が度々訪ねてきては賄い女に言いより、一緒に温泉に行こうと誘ったらしい。

賄いの仕事は私が代わってあげると親切ごかしに”妹”に言われ、姪だと紹介したようだ。

温泉で、兄と称する男はドロンを決め込み、置き去りにされた賄い女が這う這うの体で戻ってみると、押し込みの片棒をかつがされたことになっていた。

「可哀そうだけど奉公払いになったよ。押し込みが成功してたら、一味とみなされてお仕置きを受けたかもしれないんだからね」

「こういうのも色仕掛けって言うのかな、粂爺ぃ」

「さあな」

言いながら粂爺ぃは自分の三方から喜市の三方に袱紗包みを移そうとする。

「これで身請けの金の半分ができたぜ」

喜市と宗助は顔を見合わせて、同時にかぶりを振った。

「駄目なんだよ、粂爺ぃ。お圭がさ、言うんだよ。まっとうに稼いだ金じゃないと、身請けされてやらないって」

「そうなんですよ、人にもらったり借りたりしたお金じゃ駄目だって」

「妙な女だな」

粂爺ぃの言葉に、喜市と宗助は同時に首を縦に振った。

「そうなんです」

「変な女なんです」

またまた大笑いになった。

「だからこれは、正坊とおっかさんの永代供養につかいましょう」

「けど、俺っちは何にもしてねえ」

喜市はかぶりをふった。

「おいら一人だったら、盗人と思わなかったと思いやす。粂爺ぃがあれは悪党だと言ってくれたから、知らせに行ったんです」

すると、宗助が一膝下がって深々と頭を下げた。

「おかげさまで近江屋は誰一人命も落とさず金も、何よりも大切な信用も失くさずに済みました。主に成り代わりまして、改めてお礼申し上げます」

預かった金を奪われれば、二万両は近江屋が立て替えなければならない。金高が大きいから、いくら近江屋でもすぐには揃えられない。つまり、期限が遅れるわけで、その損料も支払わねばならない上に、信用が失墜する。

悪いのは盗みに入った強盗だと言っても、商家としては通用しない。

「成程、それじゃあ礼金が十両ってのは安いよな、もっとがっつりねだればよかった」

粂爺ぃが、そう言いながら袱紗包みを懐に入れると、再再度の大笑いになった。


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