第5話
不思議な感覚だった。
森の中に魔物の影が無数に蠢いているというのに、大地が揺らされる気配がない。実体があるようなないような存在であるため、質量が見た目に比例しないのだろう。
悠二も、ゴブリンをぶっ飛ばした時のイメージと手応えの差に違和感を覚えたことを思い出す。
そうして待っていると、何かに追い立てられるように森の中から魔物が溢れ出し始める。
「数は多くない! 魔物は本能的に陽の光を避ける習性があるものが多いから、この時間なら無理をする必要もないはずだ。だが、いつまでこれが続くかわからんから、深追いだけはするんじゃないぞ!」
山仕事を生業にしているアントニーの案内はどんぴしゃで、魔物を迎え撃つことができた。団長の指揮に従い、森から出てきた魔物の群れを追い立てる。それは、戦いというよりは、誘導に近い動きだ。森から森への移動を促すための。
中には陽の光を気にせず行動するものもいるため、時折激しい戦闘になることもあったが、ゴブリンよりも強いとはいえ、多勢に無勢で対処できる程度であったため、ソラを守る悠二の仕事も今のところない。
しかし、それも徐々に慌ただしさが増していく。
森から湧き出てくる魔物の勢いは増すばかりで、どんどん陽は傾いていくからだ。
「マズイ! 威嚇を頼む!」
前線で踏ん張る自警団を抜ける魔物も出始め、ついに後方で待ち構えていた人員にも出番が回って来た。
……のだが。
「え?」
武器で戦うのは苦手だが、魔法なら使えると張り切っていた人物が、魔物に向かってファイアーボールを放ったのだが、熊を思わせる大型の魔物の顔面に向かってふわふわゆらゆらと頼りなく飛んでいったソフトボールサイズの火の玉がポフンと当たってふわりと消えてしまっただけだった。
シャボン玉を飛ばして顔にぶつけたのと同じようなもので、正しく威嚇にはなっていたのだが、悠二が想像していた魔法とは、だいぶ違った。思わず「ショボっ!」と、つぶやいてしまったほどだ。
それでも、周囲の反応は上々で、彼の腕が悪いというわけではないらしい。
「え? 魔法って、ああいうものなんですか?」
ソラに尋ねる。
「ああいうもの?」
「もっと、こう。びゃー! っと、おっきな火の玉で丸焦げにするとか、炎の渦に閉じ込めて一網打尽にするとか、じゃないんですか? だいたい、あんな鈍いんじゃ、簡単に避けられちゃいません?」
「いえ、そんなことしたら、一度に魔力が枯渇してしまいますよ。それに、魔法はコントロールが難しく、当てることができるだけでも一人前とされるほどなんですよ? なので、ああやって足止めに使う程度で、討伐は他の方に任せるのが一般的ですね」
更に、あまり強力な魔法を使ってしまうと、周囲の仲間にまで被害が出てしまうので、使いたくても使えないことも多いそうだ。
村で起こった火災も、ゴブリンを狙って使われたファイアーボールが引火してしまったものも少なくないらしい。更に、森が近いため、火の魔法は気をつけて使わなければ、山火事の原因になりかねない。
「明確なイメージ、じゅうぶんな魔力、正確なコントロールがなければ、ユージ様のおっしゃるようなことは難しいでしょうね。それに、魔力は消耗も激しいので、ああやって魔法を放てるだけの魔力量がない人だと、身体強化に使う程度しかできませんから」
「身体強化?」
「そうですね……。魔力をコップの中の水だとしますね。水がたくさん入っている人であれば、コップを少し傾けるだけで外にこぼして使うこともできるのですが、少ない方だとコップを逆さまにしてもこぼすことは難しくなります。そこで、こぼすのではなく、コップそのものを強化するために使うんです。そうすれば、コップの中の水が減る速度も抑えられますから。それでも、そもそもの魔力量が少ないので、あまり大きな効果は得られないんですけどね」
「なら、ああやって魔法を放つよりも、身体強化に使った方が活躍できるのでは?」
「ああ……ははは。そうなんですけど、魔力は知性に宿るといわれていて、体を鍛えることと知識を身につけることの両立は、なかなか難しいものなんです。その点、ユージ様の魔力量から推し量るに、立派な体躯でありながら、かなりの賢人でいらっしゃるようですね」
「賢人? いや、どちらかといえばバカと呼ばれる方が多かったですよ?」
バカはバカでも野球バカであり、それも彼レベルとなれば嘲笑の意味合いよりも感嘆の意味合いで使われる。また、彼自身勉強が嫌いなわけではない。授業中眠そうにしていることも多いとはいえ、変に成績が悪く、補習などで余計な時間を奪われたくないという理由で成績も良かったが、単純に知識欲も高かった。
そして、その根源にあるのは、野球に対する向上心である。
投げたボールが変化する理由、理屈、理論といったものを正しく理解するためには知識が必要だった。
最新のスポーツ理論を学ぶためなら外国語だって必死に勉強した。
数学、物理学、生理学、栄養学、語学、心理学、気象学、などなどなど。野球をする上で役に立ちそうなものなら何でも手を出し、取り入れられるものは取り入れてきたのだ。
それは、この魔法が存在する世界では成立しないものから、活用できるものまで千差万別であるが、そもそも義務教育の範囲だけでも、ソラと同等の魔力を得るにはじゅうぶんなものである。
そして、その義務教育に相当するものはこの世界では上流階級にしか存在せず、知識を身につけるよりも、生きていくために働かざるを得ない者との格差も自然と広がっていく。
ソラのように能力を買われて派遣されるでもない限り、辺境の村に魔法の使い手が突然現れることは滅多にない。
先ほど威嚇の魔法を放った人物も、村長の家系の者で、辺境の村にあっては上流階級に属する人物だった。ただ、あくまでも辺境の村における上流階級であるので、働かずとも生きていけるほどではない。
稼業に必要な知識が、一般の者よりも少し豊富なだけであり、肉体労働者を雇う側の人間であるために、自らが鍛錬をする暇はない。かといって、身体強化で他を圧倒できるほどの魔力があるわけでもない。
「世界的に見ても、武を重んじれば魔が育たず、魔を重んじれば武が育たない。両立させようとすれば、どっちつかずになるからやめておきなさいとか、武芸を軽んじるなとか、魔法の探求に相応しくないとか、散々ないわれようなので……」
ソラの説明を受けながら、野球の二刀流がバカにされていたのと同じようなことが言われてるんだろうなと薄っすら感じ取る悠二なのであった。
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