推し活で平和を

常盤木雀

推し活

 佐々木颯真は急いでいた。人々の間をすり抜けるようにして電車を降り、改札へ向かう。

 佐々木は、会社員である。新卒で大企業の子会社に入社し、三十歳でベンチャー企業に転職。安定した中小企業に成長した会社で、中間管理職をしている。街行く人の数割が親近感を覚えるような、自称でも現実にも、ごく一般的な男だ。

 駅を出た佐々木は足早に歩く。目指すのは『推し活エッグ』の店舗だ。



 今からおよそ三十年前、佐々木がまだ小学生の頃、『OSHIKATSUPEACE』を名乗る匿名集団が、世界中の銀行システムを停止させた。長く平和を享受していた先進国は狼狽した。いざというときのためのサイバー組織では、OSHIKATSUPEACEの技術力には勝てなかった。混乱が続いたが、

「次は生命に影響のない部分から医療システムを狙う」

という声明を受けて、世界は等しくOSHIKATSUPEACEの支配下に下った。

 OSHIKATSUPEACE――OPと略す――は、『OSHIKATSU PEACE PROJECT』(OPP)への参加を要求した。各国はふざけたことだと一蹴したかったが、システムを盾に取られては同意するしかなかった。日本は、FAXなどインターネットに依存しない運用が残っていたが、諸国と足並みを揃えることになった。


 OPが世界に求めたのは、ファン活動――いわゆる『推し活』を推進することだった。


 先進国では、人物や文化への推し活が推奨された。活動によって『推し活ポイント』が得られ、ポイントによって税の軽減や褒賞が受けられる。自分の好きなものへの感情を表現するだけで利益が得られるとして、すぐに一般的に広まった。

 またOPは、先進国に発展途上国への支援を義務付けた。世界中のすべての人が推し活をする余裕をもてるよう、早急に生活を安定させ、文化を広め、推し活の概念を広めた。これには当初数十年かかると想定されたが、大国がこぞって取り組んだために、十年程度で最低限の基盤が完成した。


 日本では、OPPの数年前からメディアで推し活が取り上げられていたこともあり、なじむのは早かった。『推し』の概念を掴むのが難しいという声もあったが、単にファンであり好んでいれば良いという解釈に落ち着いた。

 むしろ問題だったのは、生活環境である。OPP以前にも推し活を熱心に行う人々が存在した日本だが、OPは、健全な推し活には遠いとして、労働に関する取り締まりを強化した。

 定時退社の厳守。推し活に経済が動く。給与が上がる。新たなことを始めようとベンチャー企業が増える。労働者はより良い職場を求めて移動する。動き始めれば、良い循環が生じた。


 OPは世界を手に入れた。

 初めは経済や医療を盾にしていたが、次第に人々はOPPを失うことを恐れるようになったのだ。推し活が満足にできなくなることに耐えられない。OPによる推し活のためのOPPシステムを奪われたくない。そのためには、OPに従い続けるしかない。

 また、推し活により愛を表現することで、心が安定する効果があった。憎しみより愛が先に口を出るようになる。自分が愛するものを大切にし、人の愛するものを尊ぶ。他人を害することで、間接的に自分の推しが失われるかもしれないという恐怖によって、争いは次第に減少した。残る争いも、OPの

「OPPシステム接続権を失効させましょうか」

「我々の手には、OPPシステムのサーバーをゼロフィルするスイッチがありますよ」

というによって早期解消が常である。

 世界はとうとう平和を迎えたのだった。



 佐々木は『推し活エッグ』の店舗に着くと、すぐにIDカードを受付に提示した。

「三番エッグをご利用ください」

「ありがとう」

 推しにつながる可能性のある人すべてにお礼を言う。思春期にはOPPが始まっていた佐々木の世代には習慣になっていることだ。

 慣れた通路を進むと、高さ百五十センチメートルほどの卵型の装置が並んでいる。これが『推し活エッグ』である。

 佐々木はエッグの扉を開けると、中の座席に腰を下ろした。左横の棚に荷物を置き、備え付けのキャップを被る。次に壁にかかっている端子を指や手首に貼り付ける。最後にヘルメットを被った。


「ササキソウマ様、ログインしました」


 読み上げ音声が告げると同時に、佐々木は第二の我が家ともいえる部屋にいた。

 OPPシステムの基幹となる、VRによる仮想世界である。

 佐々木はドアを開けて外に出た。小走りで向かうのは『ギフトポスト』だ。一分もしないうちに、華やかな外装のギフトセンターに到着する。


「いらっしゃいませ、こんばんは」

「こんばんは」


 ああ、と佐々木は息を吐いた。間に合ったのだ。

 佐々木は視界を手元に切り替えると、棚に置いた鞄から封筒を取り出した。そしてまた仮想世界に戻ると、カウンターにその封筒を渡した。


「このファンレターを郵便で出す予定です」

「かしこまりました。確認いたしますね」


 この世界は、推し活を管理するためにある。この世界で確認を受けた推し活が推し活ポイントとしてカウントされ、優遇措置につながるのだ。

 もちろん確認を受けずに推し活を楽しんでも良い。ポイントを得たい場合のみ、ブログやSNSの投稿であろうと、メールだろうと、OPPシステムを一度経由する必要があるのだ。

 推し活に力を入れている人は、家にオープン型の『推し活エッグ』のような装置を導入している。OPPシステムの仮想世界でのみ有効なコンテンツを配信している人もいるからだ。しかし、推しへの気持ちの有無を判定する機能を含むため、大変高価であり、佐々木のような一般的な人々は『推し活エッグ』のような共用装置を使っている。


「確認がとれました。シールが出力されますので、封筒の裏面に貼って、ポストに投函してくださいね」

「ありがとう」

「こちらこそ、ご利用ありがとうございました。山崎が承りました」


 にっこりと笑う職員に、佐々木も笑みを返す。

 常識的に振る舞いながらも、佐々木は内心身悶えしていた。「山崎さんが今日も可愛い!」と叫び出したい気持ちである。

 この世界の人間は、外見こそ仮想であるものの、現実で人間が対応している。古くのコールセンターのようなものだ。可愛らしい見た目の職員の裏では、現実の女性が話し、操作し、手続きを行っているのだ。

 佐々木にとって、センター職員の山崎は特別だった。いつも優しくて、明るく笑顔で、丁寧に対応してくれる。今日も、山崎の勤務時間に間に合うように急いでいたのだ。もし混雑していて山崎が他の客の対応をしていたら、きっと会えなかっただろう。


「あの、山崎さん」

「はい、何でしょうか」


 首を傾げて目を瞬かせる仕草も可愛い。佐々木は自分を揺さぶる感情を呑み込み、息を大きく吸い込んだ。その拍子に、職員の後ろの時計が目に入る。

 時計は、長針が頂点をさそうとしていた。


「いや、いつもありがとう。今日もおつかれさま」


 山崎さんの勤務終了を妨げてはいけない、と佐々木は自分に言い聞かせた。決して怖気づいたわけではなく、配慮である。


 佐々木はセンターを出て、仮想世界の家へ戻る。これから今日の余韻に浸ってからメールの確認をして、ログアウトするのだ。

 この世界のメールは、システム通知だけではなく、自分あてのファンメールも届くことになっている。また最近では、政府企画で、推し活の趣味や行動が近い男女を紹介するメールが届くこともある。どうにか婚姻率を上げたいようだ。

 

 佐々木は、自分の気持ちが『推し』なのか、それとも別のものなのか、まだ分からない。幸せな気持ちと、わずかなもやもやを抱えて、メールボックスを開いた。



<終>

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