09 近づいてきた文化祭

 時は流れて十月がやってきた。

 待ちに待った文化祭は十一月、いよいよ来月である。

 水曜日の放課後に地学室を練習場所としてきた私たちも、徐々に迫りつつある本番を意識してモチベーションが高かった。ただでさえ張り切っていて無駄にテンションが上がりつつあったのに、この日はことさら気分を上昇させる出来事が私たちを迎えていた。


「本番で着るアイドル衣装だ!」


 そう、ついに私たちがライブで着用するアイドル衣装が完成したのである。

 これで気持ちが盛り上がらないわけがない。


「おかしなところがあったら言ってね」


「そんなところ一切ないよ! お疲れ様! ありがとうね、雪!」


 これは裁縫が得意な雪が私たちの意見を取り入れながら、夏休みの中盤ごろから製作を担当してくれた渾身のアイドル衣装である。私と愛も手伝おうと申し出たけれど、試しに作ってみた練習着が二人そろってボロボロだったので、邪魔しないでと追い払われた悲しい過去がある。

 藤川さんは裁縫が得意そうで実際に上手だったが、私たちと同じように彼女も助力を申し出たところ、雪は自分でみんなの分を作ってプレゼントしたいと言い張ったので引き下がった。

 ……と、思っていたのだが。


「はい、雪」


「……ありがとう。嬉しい」


 たった今この場で知ったことだけれど、なんと雪の分の衣装を藤川さんが作っていたらしい。

 隠れて二人でそんなやり取りをしていたとは。

 お互いに手製の衣装を交換し合っていて、正直うらやましい。


「私たちも裁縫ちゃんと練習しておけばよかったね」


「まさにそれ」


 疎外感という名の寂しさに心を吹かれた私と愛は二人で肩を組み合って後悔を共にする。

 今さら悔いたところで後の祭りだ。文化祭の前なのに。


「だけどおかげで私が二人にプレゼントできるんだもん」


 そう言って雪が私と愛に衣装を手渡してくる。

 こうしてプレゼントできることを喜んでくれるとは、なんて最高の友達を持ったのだろう私は。

 彼女からの友情がたっぷりと詰まっているに違いない衣装を受け取った私は大満足だ。

 こちらからも友情を少しでも返そうと思い、やめてと嫌がる彼女に無理やりハグして感謝を伝えてから、改めて衣装を眺める。


「素敵だ……」


 いやあ、どうだろう。それにしても素晴らしい衣装である。

 全体的にはピンク色を使って可愛さを演出しつつ、部分的にあしらわれた黒色がラインを引き締めていて、ひらひらするフリルがアイドル感満載だ。プリーツのあるスカートはやや短め。どうせ下には短パンなりスパッツなり着用するから、脚を見せることに抵抗さえなければどれだけ短くてもいい。

 本当は四人で別々の色を担当する案もあり、色とりどりの花が咲き誇るように舞台をカラフルに演出する計画も立てていた。

 けれど、今回は全員が同じ色の衣装を着ることで生まれてくるであろう統一感を重視したのだ。なんたって、これが最初で最後のステージなのである。

 ステージに立つ私たちが普段から仲のいいグループなのだと、どこの誰が見ても一目で感じてもらえるのが一番だろう。


「それじゃあ早速みんなで着てみようか。まさか本番当日までお預けってことはないよね?」


「今から着るの? ここで?」


「そのつもりだけど……。もしかして藤川さん、これ着るの嫌なの?」


「そうじゃないけど……」


 などと口では言うが、どう見ても着替えることに抵抗を感じている様子だ。

 ちなみに私が彼女を「藤川さん」と呼んでいることからわかるように、夏休みに出かけた握手会の別れ際にお互いのことを「ゆかり」や「ミッチー」と呼び合ったことは、結局のところ私たち二人だけの秘密になっている。なかったことにしているのではなくて、あの現場にいなかった愛や雪の前でそう呼び合うのを二人して恥ずかしがっているのだ。

 二学期になって一度ゆかりと呼ばれて、そう呼んだ藤川さんともども私たちは顔を不自然に赤くしてしまった。なので、しばらく封印した次第である。

 今もうっすらと頬を朱色に染めている藤川さんはアイドル衣装をぎゅっと胸に抱き寄せる。


「もしこれを身にまとっているところを誰かに見られたら……」


 可愛いって評判になるんじゃないかな……。

 でも、なるほど。つまり藤川さんは学校でアイドル衣装に着替えるのを恥ずかしがっているのか。

 確かに彼女の懸念は理解できる。いくら四階の果てに位置する地学室といえども、ふらっと誰かがやってくる可能性はゼロではない。今まで練習中に誰も来なかったのは幸運でしかなかった。地学教師は人のいいおじいちゃん先生だから見つかっても大丈夫だけれど、たとえば口の軽い噂の好きな生徒がたまたま地学が大好きで、この放課後に地学室を見学しに来る可能性もなくはないのだ。

 いつもの練習着なら言い訳もたつけれど、アイドル衣装ともなると言い訳は難しい。


「だったら藤川さんは無理して着なくてもいいよ。家に帰ってからサイズとか確認してくれれば大丈夫だから」


 一方、私たち三人はリスクよりもリターンを選択した。

 もし誰かが地学室にやって来ても、文化祭でやるカフェの制服を考えていたとか言い訳すれば納得してくれるだろう。この時期はちょっとくらい変わったことをしていても、「文化祭のためだから」という言葉が大義名分として力を発揮するものなのだ。


「一緒に着てほしいって頼んでくれれば……」


「いいよ、藤川さん。嫌がってるのに無理やり着てもらうのは違う気がするもん」


 初めての時は自分の意志で袖を通してほしいから。

 そう言って三人で背を向けたら、いきなり藤川さんが爆発した。


「本心では着たがってるの! 察して! ためらいがちな私の背中を押して!」


「そこまで言えるのなら大丈夫じゃないかな! もうそれ、ほとんど自分で背中押せてるよね!」


「あと一押し! もう一押しだから! お願い!」


「わかったから一緒に着よう! 私だって本当はみんなで着たかったし!」


 ということで、全員そろってライブ衣装に着替えることになった。

 それから数分。

 はしゃいでいる愛と雪の二人は真っ先に着替え終わって、いつものように楽しそうに騒ぎながら見せ合っている。

 何を気にしているのか、自分が着替えるところを誰にも見られたくないという藤川さんは一人だけ部屋の隅に逃げ込んで、こちらに背を向けたまま着替え始めている。


「さて、と……」


 残る私も一人になって準備するのだけど……。

 制服を脱いで下着姿になったはいいが、その姿のままライブ衣装を手に取って私は動きを止めていた。

 このアイドル衣装をためらいなく着ることができなかったのだ。

 高ぶっていた感情が一人になって徐々に普段の冷静さを取り戻してくると、唐突な緊張感と恥ずかしさが全身をがんじがらめに縛り付けていた。

 なにしろ子供のころから今の今まで、とかくに私はクールだのボーイッシュだのと言われることが多かったのである。

 そんな私にこんなフリフリの衣装が似合うだろうか?

 可愛くなろうとしていいんだろうか?

 ……ああ、本音を言えば似合う女性が羨ましい。

 可愛くなりたかった私はいつしか、かわいらしくて小柄なアイドルに憧れを持つようになった。人には言えないけれど、女の子の持つ「女の子っぽさ」が大好きなのだ。今の時代のジェンダー論にはそぐわない古びた感情かもしれないけれど、それでも可愛いものに対する強烈な憧れがあった。それが自分には決して手に入らないものであったから。

 高校に入学して、けれど私は期待していたほど可愛くはなれなくて、はっきりと生物学的な性差が体に現れている周りの女子たちを目にするにつれ、そんな秘めた思いはますます強くなっていった。

 憧れとやっかみが私から素直さまで奪い取っていくようだった。

 一年生の時から同じクラスになった藤川さん。私は仲良くすることができなかった。

 なのに、いつだって気が付けば彼女を視線で追っていた。

 さすがに悔しくて、あまりに恥ずかしくて口に出しては言えないが、憧れでもあり理想でもある彼女の姿と振る舞いに、いつだってつい見とれてしまう私の心を止めることなどできない。

 最初に会ったころから直感的に藤川さんにはアイドル衣装が似合うとずっと思っていた。私が好きなアイドルグループの衣装をすべて、丁寧に一つずつ着て見せてほしかった。

 その姿をたった一目でいいから見たかった。

 それを好きな私のために。

 それになれない私の代わりに。


「ほら、なにぼーっとしているのよ? 一人で着るのが難しいってんなら、優しい私が手伝ってあげましょうか?」


 敵対する以前に憧れでもあった藤川さんが、私の前でようやく、初めてアイドルの衣装に身を包んでくれていた。

 そこにいた藤川さんは本当にかわいくてかっこよかった。

 想像以上に輝いて見えた。

 だから、そこに私なんかがいる余地はないんじゃないかと思えてくるけど……。

 でも、だからこそ私は彼女の隣に立ちたいと思った。

 自分が向いてるとか向いてないとかじゃなくて。

 友達だから。

 友達になれたから。


「ううん、大丈夫。そこで待ってて」


「早くしなさいよ? さっきからずっと待ってる」


 私はよし、と気合を入れて着替えを再開した。

 だって、これは自分で着ることに意味がある。

 家族にさえ隠れてこそこそとアイドルに夢を見ていた私が、生まれて初めて自分の意志でアイドルになろうと足を踏み出すのだ。それはプロの道につながらない所詮はごっこ遊びの世界かもしれないけれど、私の世界にとっては大きな意味を持つ一歩なのだから。

 そうしてついに着替えを済ませたなら一念発起。

 重圧のようにのしかかってくる恥ずかしさをこらえて、なるべく胸を張ってみんなのもとへ。

 待ちくたびれるほど待ち構えていた藤川さんは、至近距離で真正面から遠慮なく私の体を上から下まで眺めて感想を漏らす。


「やっぱり似合うわね……。負けてる気がして言いたくなかったけれど、私はずっとそう思ってた」


「……え?」


「あなたってずるい」


 たったそれだけ。

 それだけ言って彼女は顔をぷいっとそむけた。


「藤川さん……」


 今まで私は自分のことで精いっぱいだったけど……。

 ひょっとしたら、完璧な存在に見えていた彼女も私と同じような悩みを抱えて過ごしていたのかもしれない。

 だからこそ私たちは惹かれ合ったのか。

 それに気づいたら私はなんだか救われた気分になって、それ以上に幸せな気分にもなった。

 だって彼女は私に似ている。

 全然違うと思っていた私たちだったけれど、こうして私たちは同じ衣装を着て同じものを目指せる。

 私は思わず言った。


「ツーショット写真がほしい」


「え、私と?」


「うん。藤川さんとの写真がほしいな」


 聞きつけたらしい愛と雪が近寄ってきて私たちからスマホを奪い取る。


「私たちが撮ってあげるよ。せっかくの衣装だもんね!」


「ありがとう、お願い。何枚か撮ってくれると助かる」


「……確かに、アイドルといったらツーショット写真なとこあるけど」


 ぶつくさ言いながら藤川さんは私の腕を取った。強引にも思える身の寄せ方で、私たちはとんでもない仲良しカップルみたいにくっついた。

 アイドルが好きだと知った時から、お互いにずっとこうしたかったのだ。

 あるいは知る前からずっと。

 だから写真はきっと宝物になる。


「あ、そうそう、これこれ!」


 いろんなポーズでスマホを構えてプロのカメラマンごっこを堪能した愛が、はいこれすごいでしょうと私たちにスマホを返して写真を見てほしがってから数分後。

 やはり面白がっているように声を張り上げた彼女が大きな荷物入れから何かを取り出した。


「じゃじゃーん! そしてこれがライブで使う仮面だよ!」


「え、これをつけて踊るの?」


 愛が手に持っていたのは細長い形のお面。

 目の部分だけに二つの穴が開いていて、それ以外は輪郭ごと私たちの顔を隠す仮装用の仮面だ。

 まるで何かのカーニバルみたいに。


「中途半端にやるくらいなら、いっそこれくらい派手なほうがいいわ。私たちの集大成にはふさわしい仮面じゃない」


 最初は苦笑した藤川さんだったけれど、最後にはそう納得する。

 自分に対して言い聞かせているような彼女に同意を求められれば、私も納得するしかない。

 ぺたぺたと念入りに手触りを確かめていた藤川さんから「あなたもどうぞ」と仮面を受け取った私は、それを手にして誰にともなくつぶやいた。


「集大成かぁ……」


 思い返せば私たちは大好きな歌や踊りの練習をしながらも、やっぱり最初はアイドルっぽい振る舞いに気恥ずかしさがあった。

 それが半年にも及ぶ活動を通して平気になるどころか、今では自信さえついてきた。


「私たちの集大成、本気でやりたいな」


「もちろんよ!」


「……うん!」


 仮面を胸に抱く藤川さんの満面の笑みが、今までの積み重ねもあって私にたまらなく震えるほどの喜びをくれた。

 なのに同じタイミングで私は急激な寂しさに心をざわつかせた。

 こんなにもアイドルのことで盛り上がれる友達ができて嬉しい。

 でも、文化祭が終わったら……?

 もうこんな風にして私たちが一緒にいることはない?

 ステージの上で顔を隠すために用意された派手で大きな仮面を見て、コスプレができると楽しくはしゃぐ愛たちを尻目に私は浮かない気分になった。

 教室と地学室での私、仮面をつけているのはどっちだろう。

 文化祭のステージとこれからの毎日、仮面を付ける必要があるのはどっちなんだろう。

 本当はもっと素直になりたい。

 根っからの私らしく、着飾らない私たちらしく。

 それができたらどんなにいいか。





 十一月に入って最初の週に迎える金曜日に、休日である土日を含んで三日間の文化祭が始まる。

 いよいよ本番は目前だ。

 文化祭実行委員会による抽選を経て初日の午後と決まった私たちのライブが明後日に迫ったころ、苦手な科目である英語と数学に挟まれた陰鬱な休み時間にクラスの男子が騒ぎ始めた。

 どうせまた馬鹿なことをやっているのだろうと相手にしなかった私だが、どうやらそれは聞き逃していられる平和な話題ではなかったらしい。

 トラブルがあって予定よりも製作が遅れていたらしく、今日の朝になってようやく全校生徒に配布された文化祭のパンフレット。

 それを輪になって眺めていた男子たちは、文化祭のステージイベントの一覧にアイドルライブがあると言って盛り上がっていたのだ。半分は楽しげに、もう半分は馬鹿にして。どちらでもいいのだ。単なる暇つぶしに話のタネにしている彼らにとっては。自分たちの知らない女子が率先して恥をかこうとしているだけだと思っているから。

 やがて藤川さん率いるクラスの一軍女子が話を聞きつけて男子と一緒に騒ぎ始める。こちらはほとんど馬鹿にして。

 世間的に人気が出ているプロのアイドルを表立っては馬鹿にしない彼女たちだけど、アイドルのオタクをやってる男は気持ち悪いと馬鹿にして、一方的に見下せる格好の相手だと思っているらしい。あるいは、そんなオタクに喜んで媚を売ろうとするアイドルを心のどこかでは一緒くたに馬鹿にしているのかもしれない。

 ありえないよねーとか、よくできるよねーとか、ねーねー同意を交わし合って嘲笑する。

 これに反応したのは、私をリーダーとする二軍グループに属する女子の一部だった。いつもこっちを小馬鹿にしてくる藤川さん勢力の女子を対象にした陰口をたたきながら、騒がしく浮かれつつある男子ともども批判する。

 同じようなものじゃん、なんて風に。

 売り言葉に買い言葉、それからは古今東西どこにでもよくある口喧嘩。

 ある意味ではキャッチーで、そこまで詳しくなくても意見しやすいアイドルの話題。それを口実というか一種の隠れ蓑にして、文化祭前の独特な非日常感が男子も女子も等しく浮足立たせたこともあり、クラスの中で普段からくすぶっていた両グループの対立がたまたま激しく燃えただけ。

 なのにそれが私の大好きなアイドルの話で、他でもない私たちのライブのことであったから、教室を飛び交う一つ一つの何気ないトゲや拒絶が私の心を傷つける。

 けれど、この異様に加熱しつつある流れを一般論で断ち切ることは、アイドルファンであることを馬鹿にされたくないからと、身分を隠したまま自己弁護するようなものだろうか。今この場で堂々と名乗り出ることができないなら、みんなの意見を自分にとって都合のいい方向へと誘導するのは卑怯な気がする。

 そう考えた私は口論を止められず、黙って聞いていることしかできなかった。

 いつもならよく響く藤川さんの声もしなかった。

 だから私たちは成り行きを見守るだけの存在だったのだろう。

 これがもし、男性受けを狙ったアイドルのものでなかったら。

 テレビやネットの広告で流れるかっこいいバンドの曲とか、クラスのみんなが知ってる人気の恋愛ソングなら、文化祭のステージを楽しみにして期待してくれるのだろうか。

 これが一部の有志による自由参加のステージではなく、クラス全体が一丸となって作るステージ発表だったなら。

 文化祭の思い出作りだからと、どんな馬鹿げたことをやったって好意的に歓迎されることもあったろう。

 だけどアイドルみたいに率先して目立ちたがる女子なんてものは、一歩間違えば「調子に乗ってる」なんて理由で嫌われかねない。頼まれもしないのにマイノリティなことをやって悪目立ちすれば、心無い観衆に「すべってる」なんて言われて馬鹿にされかねない。

 ただ好きでやるだけなのに。

 私たちは孤立して、ついには攻撃されるかもしれないのだ。


「ゆかり……」


 愛と雪がどうしようと言いたげな目で私を見つめる。

 文化祭でライブをやりたいと言い出したのは愛と雪の二人だったけど、それがアイドルライブになったのは間違いなく私たちのせいで、ある意味で二人は私と藤川さんのわがままに巻き込まれているようなものなのだ。

 なら、言いだしっぺである私が悩んでいちゃいけない。

 立ち上がった私は勇気を出して口を開いた。


「みんな、このステージ見に行こう!」


 もはやなるようになれという気分になった私が提案すると、誰よりも早く背中越しに応答があった。


「それは名案ね。せっかくだからクラス全員でよ。男子も誘って彼女らの品定めといきましょう」


 決定事項のように伝えた藤川さんの言葉が決め手となって、ほとんど異論なくそうすることになった。

 放課後に地学室で顔を突き合わせた私たちは自分たちで上乗せしてしまった追加のプレッシャーに押しつぶされそうになりながらも、武者震いしつつある手を取り合って戦うことを誓った。

 いよいよ本番は近い。

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