08 二学期のある日

 夏休みが明けて二学期になると、いよいよ文化祭が近づいてきたのだと実感する。

 クラスによっては二学期が始まると同時に文化祭の準備が本格的に始まることもあるが、私たちのクラスはカフェっぽい何かをするということで話がまとまっていたので、それほど急いで準備を始める必要もなく、どちらかといえばのんびりしているように感じられた。

 もちろんそれには私と藤川さんを軸とするクラスの対立が影響しているのだけど、普段から対立しているがゆえ、不必要なことで事を荒立てないように妥協案を模索する暗黙のルールがうまく働くことだってある。

 ちなみにクラスとは別で進めている私たちのアイドルライブに関しては、もう最低限の形にはなっている。あとは完成度を高めていくだけの段階だ。この”だけ”が一番難しいというのはライブに限らずなんでもそうだけど、完成形が近づいてくるにつれ自信がついてくるのもまた確か。

 私たちは油断なく、やりすぎず、決して楽しさを忘れることなく日々の練習に打ち込んでいた。

 けれど人生というのは難しい。仲のいい友達同士ならうまくやれることであっても、ところ変われば全然ちっともうまくいかなくなるなんてことがある。

 二学期が始まって数週間が経過したころ、それは部活中に始まった。


「あなたたちとは一緒にやっていられない!」


 初めに説明しておくと私たちはラケット片手にシャトルを打ち合うバドミントン部であり、一年生のころからずっと藤川さんも一緒の部活動だ。一緒とはいえ、全員が一丸となってバドミントンに打ち込んでいるような熱心な部活ではない。

 ありていに言えば、やる気のあるAチームとやる気のないBチームにはっきり別れていて、あろうことか両陣営のトップがそれぞれ私と藤川さんなのだ。

 どういうわけか私が真面目チームの代表格であり、藤川さんがエンジョイ勢の代表格である。

 真面目だろうが不真面目だろうが使えるコートの数は限られている。その結果、不真面目なグループが遊び感覚で一つのコートを占有していることを、ちゃんと練習したい真面目グループの部員たちが問題視しているのだ。


「だってそれおかしいでしょう!」


 いつしか男子も女子も混ざって、部を二分する激しい言い争いへと発展した。

 一学期まではエンジョイ勢に発言力のある三年生が多かったので黙認していた真面目グループだが、新体制になり、二学期に入ってとうとう爆発したのだ。

 このままでは練習どころではないし、対立が深まれば部の存続にも関わる一大事である。ただの緩衝役として部長の座に祭り上げられていた私は、まぁまぁとみんなをなだめる。


「ゆかり、部長としてちゃんと言ってやって!」


 全然なだまらなかった。

 むしろ背を叩かれて、押し出されるようにして矢面に立たされた。


「ほらほら、ミッチーも負けないで!」


 向こうは向こうでリーダー格の藤川さんが押し出されている。

 結果として私たちはそれぞれのグループを背にして二人で向かい合った。


「えっと……。ちゃんと練習しよう」


 と言えば、


「みんなやっているわ」


 と返ってくる。

 こちらにはこちらの言い分があり、あちらにはあちらの言い分があるだろうから、実は裏で仲良くやっている私たちが勝手に妥協してお互いの手を取ることもできない。

 そもそも我が部は県大会どころか規模の小さい市の大会でさえ序盤にみんな敗退してしまうような弱小部で、先輩に聞くところ、伝統的にも熱心に練習してきた部活ではなかった。というか、もともと数年前に先生の許可を得て趣味で作られたサークル感覚の部活だったらしい。

 だから私たち真面目に頑張りたいグループは誇れる実績が一つもないせいで、あまり強く言い出せない事情がある。でも今より一つでも多く勝てるようになりたいから練習したいというのは本心なので、そこを理解してもらうしかないのだ。

 とはいえ一方で私にもエンジョイ勢の気持ちがよくわかる。彼女たちは純粋にバドミントンが大好きで、勝負のために競技そのものの楽しさをオミットする厳しい練習を嫌っているのだ。高校生活はただでさえ忙しい。好きで入った部活くらいサークル感覚で楽しませてくれよ、という彼ら彼女らの言い分だって決して無視はできない。あくまでも場所を使っているだけで、こちらの練習の邪魔まではしてこないのだ。

 それぞれの立場を代表する私と藤川さんは表面上は険悪の様相で反目し合って見せながら、心の内では譲歩し合って妥協案を模索した。

 そしてそれはひとまずの成果を導き出した。


「コートの使用比率を考え直そう」


 使えるコートを二つのグループで単純に分けるのではなく、たとえば時間制などによって、臨機応変に使用制限を加えようというのだ。

 もちろんどちらが優先的にコートを使えるのかはこれから決める。

 具体的には代表者同士の勝負によって決めることになった。

 つまり私と藤川さんの勝負に託されたのである。


「本気でやって」


 あれよあれよとセッティングされていく試合の前に私たちが交わした言葉は、すれ違いざまに藤川さんがそっと耳打ちしたそれ一つ。だから八百長の計画や事前の段取りなんて打ち合わせる余裕はない。

 頼まれたからには本気でやる。それが誠意というものだ。

 他校との試合ではなかなか勝てない私たちだが、真面目に練習しているだけあって部活内では上位を占める。だから手を抜かず普通にやれば、私たちが不真面目なグループを相手に負けることはない。

 たとえそれが藤川さんであっても。たとえ彼女が本気であっても。

 片方には期待され、もう片方には危惧されていた波乱はなく、どちらかと言えば淡々と試合は進んで、実力にふさわしく危なげなく私の勝利が近づいてくる。汗をにじませている藤川さんは依然として無得点のままだ。あまりにも一方的な試合展開で、周囲からは歓声も応援の声もない。

 誰もが私の勝利を確信して、一人残らず藤川さんの敗北を悟っていた。

 なのにラケットを握る藤川さんは諦めてくれない。勝ち負けなんて二の次で、バドミントンなんて楽しければそれでいいはずなのに、懸命に食らいついてくる。負けたくないという気持ちをむき出しにして、終わりが近づいてきても闘志を燃やして気合を入れなおしてくる。

 これが部活に入って初めて藤川さんと一対一でやる真剣勝負なのに、こんなにも殺伐とした雰囲気の中でやらされるなんて、ちっとも楽しくない。最初はそう思っていた。

 負けず嫌いの彼女は絶対に私とは本気で戦ってくれないだろうとも思っていた。

 なのにコートの中で私は楽しんでいた。

 どちらも表情に笑顔こそないけれど、私と藤川さんは初めてみんなの前で一緒に同じことをして楽しんでいた。教室でも部活中でも休み時間でも、みんなの前では仲良く遊ぶことができない私たち。

 今だけは勝負に対して真剣に本気であるからこそ、それが不自然でなく、一生懸命に触れ合っていられる。

 アイドルがテーマでこそないけれど、こうして真正面から勝負を楽しめる。

 だから絶対に負けたくなかった。

 だから簡単に負けてほしくなかった。

 いよいよ迎えたマッチポイント。最後のサーブ。

 いくつかのラリーを右に左に前に後ろに繰り返して、あえなく打ち損じた致命的なミスで藤川さんが送った甘い一球。

 これを決めれば終わりと分かっていて、これで決まれば藤川さんが無得点のまま負けると分かっていて、スマッシュを打てる絶好のチャンスに私は一切手を緩めることなく全力で打ち込んだ。打ち返せるわけもないのに藤川さんは倒れこんでまで追いかけた。普段の彼女なら絶対にしないであろう勢いで。

 たった一点さえ与えることなく終わった完全試合。

 藤川さんは負けたのだ。

 まともに会話できないほど荒れていた息を整えるため長めの休憩を挟んでから、それぞれの陣営の代表者となっている私と藤川さんで事務的なやり取りを済ませる。その結果、勝負を始める前に約束した通り、コートの使用権は勝者である私たちが優先されることになった。

 エンジョイ勢のリーダーとして挑んだ私との試合に全力を出した藤川さんの頑張りのおかげもあって、あるいは彼女が率先して周囲の不満を抑え込んだのだろうか、どちらからも表立った異論が出てくることはなかった。

 終戦協定。

 ひとまず、これで部活に崩壊の危機をもたらした一つの対立は幕を閉じたのだ。

 けれども、おそらく、この出来事をきっかけにしてすべてが好転するわけではない。楽しむことが一番の目的だった彼女たちがいきなり練習に精を出すなんてことにはならないし、これまで一生懸命にやってこなかった彼女たちを私たち側が同じ部活の仲間だと認めて、これからは一緒に頑張ろうなどと手を伸ばすほど単純な話ではない。

 だけど、それでも……。

 私たちがコートを占拠して熱心に練習する姿を彼女たちは馬鹿にしなくなったし、限られた時間で彼女たちが楽しそうに興じているのを私たちが白い目で見ることもなくなった。

 とはいえ、これも所詮はひと時の平穏かもしれない。

 そのうちまた何かつまらない出来事をきっかけにして、対立が再燃することもあるだろう。

 でも、少なくとも今はお互いに妥協点をぎりぎりのセーフラインに打ち込んで、同じ部活の仲間であろうとする空気だけは固まってくれていた。

 私たちは致命的な分断を避けることができたのである。

 数日後の水曜日、部活のない放課後、地学室に愛と雪がいないのを見て藤川さんは私に軽くパンチ。


「体力つけたら私は強い」


 それが彼女なりの負け惜しみだと分かっていたので、余裕のある私は笑って相手にしなかった。

 二発目はちょっと痛かった。

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