05 さらに一週間後の水曜日
さらに一週間後の水曜日、これもまた放課後の地学室。
いつものように四人集まった私たちは楽しく一生懸命にライブの練習に打ち込んでいる……と言いたいところだけど、あいにく言えなかった。
「今日はもう帰ろう……」
愛でも雪でも藤川さんでもなく、うなだれて椅子に座りこんだ私はそう言った。
何を隠そう、そろそろ期末テストが目前に迫っているのだ。それだけなら別にいいが、今回はちょっと事情が異なる。
一学期を最後にして三年が引退する部活で、あろうことか次なる部長に私が任命されたのである。しかもこれが顧問の先生や引退する先輩に呼び出され、責任ある部長は定期テストにおいて全教科で平均点以上を取らなければならないと忠告された。一つでも下回れば、しっかり追試で平均点を越えるまで部活には参加禁止と意外にも厳しい。
赤点ならともかく平均点だ。部長として部員たちの模範となるためか、ほんのちょっぴり高めの点数を要求されている。これまでの個人的な成績から察するに、ちゃんと真面目に挑めば決して不可能なハードルではないけれど、正直に白状すれば英語と数学がちょっと怪しい。
いや、かなり。
そんなこともあって私は憂鬱なのだ。
家に帰ったらテストに向けて本気で勉強しなくちゃいけないのかと思うと、急に帰りたくもなくなる。でもこんな暗い気分で学校に残っていても練習に身が入りそうもない。
好きであるがゆえに妥協は許せず、気もそぞろな状態ではアイドルソングに向き合うのも難しい。
「勉強せずに頭よくなりたい……」
そんなこと無理だとわかっていても、そうつぶやかずにはいられない。
大事な本番を前にして迎えるナイーブな気持ちは、何もテストだけに限った話ではないだろう。
聞こえていたはずなのに誰も私の言葉には反応してくれないので、余計むなしく響く。
しょうがないから一人で所在なく寂しがっていると、藤川さんが私のそばに来てスマホを操作する。何をやっているのかと思えば、音楽プレーヤーのアプリを起動したらしい。
耳元で流れ始めたのはこの前出たばかりの新曲だ。我らがアイドルの最新ナンバーである。
しかもこれはなんと、私の愛する推しメンバーの子が結構いいソロパートを担当している素晴らしい歌なんですこれが!
いつもよりテンションを低くして三人の同情を引いてみたかった私だけど、無理だった。
「これほんといいよね! やっぱり藤川さんも買ったんだ!」
「ウェブストアで楽曲のダウンロードもしたし、ネット通販でCDも買った」
「ファンの鑑ったらないね! もちろん私もそうだけど!」
すでに繰り返して何度も聞いた大好きな曲だ。私のミスや勘違いがなければ完璧に歌詞も覚えている。
せっかくだから一番のサビまでじゃなくて、最後までたっぷり聴かせてくれればいいのに、藤川さんはスマホの画面を指でタッチして再生を停止した。
「そんなに元気なら大丈夫みたいね」
「うん元気。でも実際にプレッシャーを感じてるのは本当なんだってば!」
「プレッシャー? あなたが?」
そんなわけないでしょと言いたげな彼女だが、さすがに心外だ。
私の心だって繊細な部分はたくさんある。
たとえば藤川さんに冷たくされたときとかは、夜まで悩んで寝つきが悪くなっちゃうし。
「ま、しょうがないわね。あなたがしょげてると迷惑だし。程よく元気なくらいがちょうどいいわ」
「程よくってのが難しいよね。足りなかったり、やりすぎちゃったり……」
「はいはい」
そう言って藤川さんはうんうんと頷いた。
「そろそろ二曲目を決める頃合いだけど、あなたが決めてもいいわよ」
「え、本当?」
もしかして私を元気づけようとして言ってくれているのだろうか。
だとすれば落ち込んでみるものだね。
「どれにする?」
「ちょっと待って、うーん、あっ、よければ何日か待ってくれる? よく考えてから決めたいし……」
「これは次のテスト、しっかり平均点を下回りそうね」
確かにヤバイ。家に帰ってから教科書ではなく楽曲のリストに目を通すところだった。音楽のテストにアイドルの分野があれば私は真剣に音楽教師を目指したかもしれない。
いつの間にかそばにいた愛が藤川さんのスマホを指さして言う。
「さっきの新曲はどうなの? ゆかり楽しそうだったじゃん」
「うーん、それはそうなんだけどさ……」
新曲もいいが、残念ながらこれは六人いないと様にならない。もちろん振り付けなどをアレンジすれば四人でも踊れる曲になるが、どうせなら四人でやるのにふさわしい曲を選びたい。上手くアレンジするのが難しいというのもあるけれど。
それに「聞くベスト」と「歌うベスト」も違うのだ。
好きな曲という時の「好き」には、実に様々な種類の「好き」がある。いくつもの指標があるのだから、たった一つのランキングでは測れない。
「あれもいいし、これもいいし……」
つまりこうやって迷うのだ。
そしてこうやって悩んで考えているときがファンにとっては楽しい時間なのが我ながら倒錯的だ。楽しいときに聴きたい曲とか、寂しい夜に聴きたい曲とか、そんな感じでオリジナルのランキングを作ったりするのも最高の趣味である。
いつか世界中のファンを集めて発表会をしたいくらい。
「ふーん」
そんなことを嬉々として説明したら、友達である雪から返ってきた反応がこれ。
冷たいなーと思っていたら興味がないわけではなくて、私の長い話を聞きながら彼女もいろいろ考えてくれていたらしい。
「だったら元気を出したいときに聴きたい曲ランキングの一位とかは? 文化祭のステージでやるんだもん。元気になれる楽しい曲がいいんじゃないかな」
「なるほど」
聴きたい曲と歌いたい曲は違うとはいえ、元気を出したいときの曲というのはいい。きっとライブで盛り上がる。アイドルのことを知らない人でも楽しめる曲とかはどうだろう。あまり難しくなく、いい意味で単純に盛り上がれるものだ。
私は脳内で最大規模の楽曲トーナメントを開催した。うーうー唸って考える私を取り囲む三人が不審な目で私を見ていたけど、歴史に残るベストマッチを繰り返して最後に一曲が残った。
「これとかどうかな」
たくさん存在する候補曲の中から選んだのは、ダンスに歌詞に、とにかく気持ちを盛り上げてくれる激しい曲。
曲調だけでなく動きまでアップテンポなので普通に歌いながら踊るのも大変だが、この曲による一体感や、最後まで歌い切った時の達成感はたまらない。
「面白そうじゃん」
「うん。うずうずするね」
とりあえずMVを見てもらえば、初めて聴いたという愛と雪はポジティブな反応で答えてくれる。
これは私の選曲センスを褒めるべきではなかろうか。
どれを選んでもダメなものがないくらい素晴らしい曲ばかりを作ってくれるアイドルを称賛するのが先ではあるが。
しかし何かおかしい。
先ほどから藤川さんの反応がない。
「どうしたの?」
「これ……私には無理かも。身体がついていかない」
「えっ?」
まさか藤川さんからそんな自信のないセリフを聞かされるなんて思わなかった。
というかあの日、私とダンス勝負をするとか言い張っていたのは何だったんだ。
「あのときは……ほら、意地を張ってただけだし」
「ごめんなさいして」
「ごめんなさい」
なんてことだろう。ほんとにしてくれた。
意地を張っても勝ち目がないと判断しているあたり、やはり彼女は体力のなさを自覚していたらしい。
かといって、このまま彼女に自信までなくしてもらうのは困る。今はもう敵ではなくて大切な仲間なのだから。
弱音を吐かないで一緒に頑張ろうよと励ますように、私は彼女に声をかけた。
「とにかく一度やってみよう?」
「やってみるけれど、できなかったからって馬鹿にしないでよ?」
「しないしない!」
「……なんか信用できない」
まさか本当に疑っているのか、彼女は私に感情のこもっていない半眼を向けている。
そんな顔をされるのは私だって不服だ。でも信用してもらうしかない。
「ほらほら、やってみようって!」
「わかったわよ……」
しぶしぶといった様子で藤川さんは首肯する。完全には乗り気でなかったとしても頷かせさえすれば、こっちのものだ。
言質をとれたので、やっぱり嫌だと言われる前に始めてしまおう。
歌詞や振り付けを覚えていない愛と雪には前のほうから見学してもらうことにして、熱心なファンらしく振り付けを覚えている私と藤川さんの二人でやってみることになった。
私が右側で、手を広げてもぶつからないくらいに離れて藤川さんが左側。
二人しかいないので、それぞれが好きなメンバーの振り付けを勝手に踊ることにする。
そして曲がスタートしておよそ五分後。
「はぁ、はぁ……!」
がっくりと膝に手をついてうつむいている藤川さんはというと、ぜえぜえと肩で呼吸するほど息が上がっていた。感想を聞きたいところだけれど、何かをしゃべる余裕もない。
ワンテンポ遅れるどころか、途中からほとんど彼女は踊ってなかった。
「私、これは本当にだめかもしれない……」
元気なくしょげ返っているせいか、いつもより小さく見える。誰が相手だろうと常に堂々としていて自信に満ちている普段の姿もかっこよかったけれど、弱り切っている今の姿もまたかわいらしいものだ。
思わず声が優しくなる。
「無理なら諦める? 誰にでも苦手なものってあるし……」
よくよく考えれば、これは全曲の中でも一番ダンスが激しい曲だったかもしれない。しかもステージでは踊りながら歌わなければならないので、ますます厳しい。ハキハキと喋りながらマラソンをするのが難しいように。あちらもこちらも同時に成り立たせなければならない二正面作戦は、よほどうまくいかないと失敗してしまうものである。
押しつけがましくない程度に心配してあげていると、それを察した藤川さんが納得いかないと言いたげな雰囲気をにじませてつぶやく。
「なんか、さっきまでと立場が逆じゃない……?」
そう言われて私も気が付いた。確かに逆だ。地学室に入ってきたばかりの時は私のほうが落ち込んでいたけれど、今は藤川さんのほうが悲観と絶望に包まれている。
期末テストに対する不安やストレスが消えてなくなってしまったわけじゃないのに、すっかり一山越えた気分で精神に余裕が出てくるのが不思議だ。なかなか負けを認めてくれない彼女だからか、ここまではっきりと藤川さんより上に立っているような気分って気持ちいい。
とっさに自分の下顎に右手の人差し指を押し当てて、ちょっと見下すように顔を傾けて、
「プレッシャー? あなたが?」
とか言ってみる。
「それってまさか私の真似をした?」
そう言った藤川さんは眉をきゅっと立てて、それまでぜえぜえと上がっていた息が一瞬ですーっと整った。真顔だ。こちらを見る目が怖い。
えへへと笑って誤魔化す。
「わかる?」
「わかりたくなかった。だって、あなたが私をそう認識しているってことだものね?」
「そう認識しているって?」
「嫌味な女」
「……そんなわけないじゃん!」
「今ちょっと間があった。そういうの傷つく」
意外と繊細だ……。もしかして藤川さんにも私に冷たくされて寝つきが悪くなる夜があったりするんだろうか。ベッドの中で私のことを考えちゃうとか、夢にまで見ちゃうとか。
全然想像できないけど、そうだったら嬉しい。
「ね、なんで笑ってんの?」
「えっ、ごめん! 馬鹿にしたとかそういうんじゃないから安心して!」
「それはそれで急に笑い出したら怖いでしょ。情緒不安定なの?」
私はパンパンと自分の頬を叩いて表情を引き締めた。
するとそれが刺激になったのか名案が閃く。
「あ、いいこと思いついた!」
「どうせろくでもないことでしょうけど、せっかくだから試しに言ってみて」
「私は藤川さんのために、藤川さんは私のために!」
「……は?」
藤川さんが馬鹿を見る目で私を見る。
ちょっと言葉が足りなかったか。
「その、あのね? わかりやすく元気が出る曲だって言ってたけど、つまりこれっていわゆる応援ソングなわけじゃない?」
「そういう見方もできる」
いやに細分化されつつあるけれど、もともと音楽のジャンルとはそういうものだ。
聞く人の数だけ、いくらでも捉えようがある。
とにかくこれが一つの応援ソングであるならば。
「だからね、自分のために努力するってよりは……」
「誰かのためにって考えたほうが、より一生懸命になれるって?」
「うん……」
新年の抱負を発表するような勢いで自信をもって主張するつもりだったけれど、なんだか違っている気もしてきた。
けれど藤川さんは首を縦に振って同意してくれた。
「そうね、確かに私はあなたのことを意識しているときが一番頑張れる気がするわ」
それから彼女はそれが当然のことであるように力強く笑って、
「負けられないライバルとしてね!」
と、私の胸を指さした。
少し前の対立する関係にあった私たちであったなら、このようなライバル宣言はすなわち宣戦布告にも似た敵対宣言で、もはや絶縁をも意味する悲しい響きがあったけど。
けれど今の私たちの間で、それはネガティブな意味を有しない。
だってそれって。
「私だって負けないし!」
お互いを高め合う友達って意味だから。
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