04 一週間後の水曜日

 それからの一週間は驚くほど早く、あっという間に過ぎ去っていった。

 いつもの退屈な日々とは違って、ぎゅっと充実感で詰まっていたからだろう。

 もう何度目となる地学室、先週とは打って変わって心地よく晴れた水曜日の放課後。集合時間に少しだけ遅れていた私は急いで扉をくぐると、それまではクールに澄ましていた顔をパッと明るく輝かせた。


「おはよう藤川さん!」


「放課後よ」


「それはそうだけど気分の問題。最初の挨拶はおはようって感じしない? 教室ではお互いに無視するし、今日最初のおはよー! が欲しいじゃん」


 共感してくれないらしく藤川さんは肩をすくめて深々とため息をついた。


「あなたたち、いつもこんなのと仲良くしているの?」


「ゆかりは最近ここに来るとテンションがおかしくなるんだよ」


「そうそう、ゆかりは藤川さんのこと大好きだから」


 愛と雪が苦笑交じりにそんなことを言う。

 なんてことを言うんだろう、この二人は。それじゃあまるで私ったら、藤川さんのことが好きで舞い上がっているみたいじゃないか。あんまり間違っているとも思えないから注意もできない。

 藤川さんはふんと鼻を鳴らして顔をそむけた。


「私じゃなくて、ここに来ればアイドルの話ができるからでしょう。アイドル馬鹿なのよ、彼女」


 なんだか言葉に険がある。

 アイドル馬鹿なのはお互い様なのに。


「藤川さん、今日はいつにもましてテンションが低くない? それとも昨日までは昼休みだったから元気だっただけ? 放課後が使えるのは水曜日だけなんだから、もっとテンション上げてこうよ」


「……いいから練習を始めましょう? さ、今日は何?」


 藤川さんは私を無視して愛と雪にそう言った。

 これはどうやら本格的に機嫌が悪いらしい。

 まるで教室での私と藤川さんではないか。


「ごめん。私、もしかして何か変なこと言ったかな?」


 すでに背を向けられていて藤川さんには見えないだろうけれど、謝るときの常として私は頭を下げた。どうして怒っているのかわからないけれど、自覚がないときに限ってひどいことをしていることもある。

 なんにしても理由がわからなければ対処のしようはない。

 おとなしく彼女からの言葉を待っていると、ため息をついた藤川さんは振り返らずに口を開いた。


「……私が、せっかく、あなたと組んであげたのに」


「……え?」


 予想外の返答のせいで、ずいぶん間の抜けた声を出してしまった。

 私と組んでくれた? 文化祭でやると決めたアイドルライブのことを言っているのだろうか?

 そう考えたところで、ここに来ていきなり彼女がへそを曲げる原因となった事柄には何も思い当たらず、より詳しい話を聞けそうにないこともあって、いよいよ私にはどうしようもなくなった。

 このまま何度も頭を下げて謝り続ければ、いつか機嫌を直してくれるだろうか。そんなわけないか。いい加減な謝罪ほど怒っている人の神経を逆なでする行為もあるまい。

 万策尽きたと落ち込んで肩を落としたら、それを見た愛がそっと寄ってきて私に耳打ちした。


「体育のあれじゃない?」


「ああ、あれか……」


 私はポンと手を打って思い出した。体育のあれ。そう、あれだ。あれしか言ってないが覚えてないわけじゃない。

 たまたま今日はいつも組んでいるグループの女子が何人か欠席や見学をしていたせいで、体育の時間に私と藤川さんは二人組を作る相手がすぐには見当たらなかった。以前までならば他のペアを解体して、意地でも別の相手と組んでいたであろう私たちだったけれど、今日は腰に手を当てたままの藤川さんが「しょーがないから私と組む?」って来たから、みんなの前では仲がいいことは秘密なんだっけと思いつつ、私はそっけなく「どーぞ」と答えた。

 授業はバスケ。最初にやるストレッチからパスの練習まで、どんな顔をしていいのかわからず私たち二人はずっとむっとしたままやり切った。

 それから即席のチームに分かれて試合をすることになって、ここでも引き続き私と藤川さんは同じチームを組んだけれど、やっぱり仲が悪い演技は続けなくちゃならない。しかも文化祭アイドルライブ計画を問題なく実行するために万全を期すならば、現時点で私たちが少しでも馴れ合ったらアウトなのだ。

 念には念を入れ、ぼろを出さないためには声もかけあわないほうがいい。いや、同じチームなのにそれは無理でしょと思ったなら、それは正しい懸念である。

 あっけなく私たちは試合に負けた。しかもなんだかいつも以上に険悪になった。

 アイドルを愛する者同士の絆はどうしたものやら、バチバチに火花を飛ばし合う寸前だったのは私だけの勘違いだったと思いたい。


「でも仕方ないじゃん」


 と言った後で、私は小走りになって藤川さんの前に回り込んだ。

 そして訴えかけるように弁明する。


「みんなの前では今まで通り険悪な関係を装っておこうって話でしょ?」


 大きく頷いて、ジトっと細くした目で私を見つめ返す藤川さん。


「そーよ。それにさらなる完璧さを求めるなら、みんなの前以外でもそうするってどう?」


「……それは冗談だよね?」


「冗談でないと言ったら?」


「私だって拗ねる」


 子供みたいに頬を膨らませて大真面目に言ってみると、しばらくにらみ合っていた内に藤川さんのほうが先にふふっと吹き出した。

 どうやら本気で怒っていたわけでもないらしい。

 半ば本気で焦っていた私はほっと胸をなでおろした。


「拗ねられても迷惑だし、さっさと着替えて練習を始めることにしましょう」


「ちょっとは元気になってくれたみたいだし、わかった」


 私と藤川さんはそう言って、動きやすい服装に着替えるため地学室の隅に移動する。愛と雪はすでに着替えを終えて練習が始まるのを待っているが、二人は二人で何やら楽しそうに話し込んでいるので、所在なく待ちぼうけている感じもない。

 さっと手早く制服を脱いで、ダンスの練習着として持ち込んだ無地のティーシャツに着替えている間、誰へともなく藤川さんがぼそっと一言。


「待ってたのに一度もパスなかった」


 そんなことを気にしていたのか。

 けど、それについては私にだって言い分がある。


「こっち見てくれないんだから投げらんなかったの。何度も出そうとしたのに」


 これには返事がない。言いたいことを言いっぱなしで気が済んだのかもしれない。彼女はそういうとこがある。言いたいことを言ってくれないよりは助かるから、不満って程じゃないけど。

 それきり会話もなく、微妙な気まずさを感じつつも黙々と手足を動かして黒のハーフパンツをはき、脱いだばかりのスカートをしまっていると、背中合わせの藤川さんが再び一言。


「心の中で応援してあげたのに、シュートも決めてくれなかった」


「それはまぁ……。かっこ悪かったと思うよ、自分でも」


 こればかりは頭をかいて誤魔化すしかない。喜んでくれればいいと藤川さんにかっこいいところを見せつけたくなって、いつもより積極的に行ったのが裏目に出た。身体に余計な力が入っているとスポーツはうまくいかないとはよく聞く話だ。

 スポーツに限らず何事もそうだもんなぁとか考えつつ、自分の荷物をまとめて机の上に置いておく。髪はまとめるほど長くない。さぁ行くぞと足を踏み出せば、それを呼び止めるように藤川さんが最後の一言。


「他の子とは楽しそうだったし……」


「それは藤川さんもじゃん」


 これはもしかして非難がましく聞こえただろうか。

 やや反省した面持ちで振り返って、藤川さんの準備が終わるのを待つ。


「やっぱり今のなし」


 着替え終わった藤川さんは立ち止まっていた私の背中をパシッとたたいて、そのまま愛と雪の待つ黒板前の広いスペースに走っていく。背中がヒリヒリするので今のは結構痛かった。

 おそらく悪気はないんだ。照れ隠しに力が入りすぎたんだろうと、海より広い心で大目に見ておくことにする。


「お待たせ!」


 わざとらしく大声でそう言って、広い心はどうしたと自分でも言いたげな私は隙だらけで立っていた藤川さんの背をバシッとたたいた。そんなに強くしたつもりはないけど完全に油断していたらしい彼女は「ひっ」と声を漏らして、瞬時に恨みがましい目で私を睨みつけてくる。

 さっきのお返しじゃん、と言ったつもりで右手を差し出す。

 そりゃどーも、と言われた感じで右手を打ち合わせられた。

 仲直りの握手にこそならなかったけれど、文字通りこれが手打ちで喧嘩両成敗。

 将来的な戦争の原因になりかねない遺恨を残さぬためにも、私から最大の譲歩を彼女に贈ろう。


「じゃあ一曲、藤川さんが好きなのを自由に選んでいいよ」


 もちろん選んでいいというのは、他でもなく文化祭のアイドルライブで私たちがやる曲のことだ。特別なメドレーにでもしない限り、文化祭ライブでは時間的に考えて二曲か三曲程度を披露することになるだろうが、その少ない枠の貴重な一つの選択権を彼女に譲ろうというのである。

 とはいえ私たちの愛するアイドルグループは結成して五年以上が経過しており、素人のライブ向きに限った候補曲だけでも少なく見積もって百曲以上はある。それぞれの曲にそれぞれの思い入れがある私みたいに年季の入ったファンなら、そもそも嫌いな曲がないので好きな曲をわずか数曲に絞るだけでも脳内会議は踊るばかりで時間がかかるものだ。

 いきなり一曲どうぞと言われてもカラオケの選曲じゃないんだから、これは長ければ数日かかるだろう。


「だったらこれやりたい」


 早すぎる。

 知らぬ間に私たちの間でお決まりのコール&レスポンスが成立していたのか?


「もっとよく考えたら?」


「考えてないと思う?」


「あ、いや、そんなわけないか」


 せっかくのチャンスに適当な受け答えで済ますなど、ほぼ完璧に曲の振り付けを覚えているレベルのファンが初歩的なミスをするわけがないのだ。どれがいいと即答できるマイベストがあるなら、それはまさしく考え抜かれたマイベスト。その愛情を疑うのは同じファンとして相手を下に見る失礼な行為に他ならない。


「で、どれ?」


「これ」


「お、いい曲! どれもそうだけど、これは特に私も好き! ……え、でもちょっと待って。これを私たちがやるの? みんなの前で?」


 子犬や子猫がじゃれ合っているような可愛さを笑顔で振りまく、ちょっとポップであざとい感じの曲だ。他人に見せつけるためのキュートさとはこういうものだと、太字で教科書に載っているような。

 ライブ映像も可愛いからファンとして見るのは大好きだが、これを自分がやるとなると精神的ハードルが高い。


「私が自由に選んでいいって言ったよね?」


「言ったけど、確かに言ったけれど……」


 まさか藤川さんがこの曲を選ぶとは。

 私がうじうじしていると、その姿が珍しく見えたのだろう。


「なになに、どんな奴?」


 二人での会話を切り上げた愛と雪がこちらの話に興味を持ってきたので、どんな曲だと口で説明するよりは早いとネットに公式がアップしているMVを見せてみることになった。


「キュンキュンするね」


 と言って、ニコニコする雪は楽しそうに見入っている。自分が好きな曲に友達が興味を持ってくれるなんてファンとしては最大限に喜ばしい出来事ではあるけれど、事情が事情だけに素直には頷けない。愛と雪の二人が気に入ってしまえば反対する人は私以外にいなくなって、みんなが見ているであろう文化祭のステージで私がこれを!

 かっこよさではなく、全力のかわいさを振りまくなんて!

 妄想に入り込んで赤面した私が悶絶しかかっていると、時を同じくしてミュージックビデオを見ていた藤川さんのテンションが上がったらしく、びしっとスマホの画面に指をさす。


「ほら、これ! この手でハートを作るやつ、一度やってみたかったの……!」


 ステージの前に出てきたアイドル二人が互いに肩を寄せ合って、それぞれが出した左手と右手を合わせて二人で一つのハートを作るポーズのことだ。なるほど一度やってみたかったというのは私にもよくわかる。他の振り付けとは違って鏡を使う以外に一人では完成できない仕草なのだから、身近にアイドルファンの友達がいてこそ初めて成就するハートマークだ。

 スマホを覗き込んでいた愛と雪の二人がそろって私を見て「やってあげたら?」みたいな顔をする。

 しょうがないから私は藤川さんの肩をつっついた。


「ほら」


「あ、うん」


 そして二人で出した手と手をくっつけてハートマーク。

 なんだか気恥ずかしい。


「私と藤川さんがこんなの練習してるなんて知ったら、みんな腰を抜かすんじゃないかしら」


「ますます秘密にしたほうがいいわね」


 そんなことを言い合っていると、不意に隣から、


「だけど実際のアイドルグループにだって、プライベートでは仲の悪いメンバーがいるんじゃないの?」


 などと、どこまでも能天気な顔をした愛が実におぞましいことを口走った。

 ガバッと羽を広げて顔に飛びかかってきた不快な虫を叩き落すように、


「そんなわけないじゃん」


「そうそう、そんなわけないから」


 と、鋭く眉を吊り上げた私と藤川さんは答えた。

 なすすべもなく私たち二人に詰め寄られた愛は「あ、はい……」とたじたじだ。

 でも今回ばかりは私も後には引けない。

 愛にとっては冗談だったとしても私や藤川さんが過敏に反応しちゃったことからわかるように、実のところそういった噂はある。誰それと誰それは実はあんまり仲がよくないんじゃないかっていう作り話みたいな信憑性の低い噂は、たびたびファンの間でも話題になるのだ。

 というかそれファンじゃないな。でも噂だけだ。絶対。

 それはそれとして、明日にも滅びろスキャンダル週刊誌!

 やめてくれ悪口はネット!

 いつだってネガティブな話題はその二つが大げさに騒ぎ立てながら運んでくる。好きでファンをやっている私たちはそういうのを見なければすむ話だけど、たぶんアイドルたちは完全に無頓着でいるわけにもいかないだろう。応援する私たちの声で掻き消えてくれていればいいが……。


「私たちがケンカしてていいと思う?」


 考えていたことを表情から読み取ったわけではないだろうけれど、ちょうど狙いすませたようなタイミングで藤川さんが私の肩に右手をポンと乗せてきた。

 同じアイドルを好きなファン同士がリスペクトもなく対立を深めるのは地獄以外の何物でもない。どちらが勝っても不毛な同士討ちだ。

 私は友達と同じものを同じように愛せる幸運をありがたいものだと思ってかみしめた。

 そしてピンと人差し指を立てる。


「一曲は決まりね」


 さて、そうと決まったら練習は本気で頑張ろう。

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