第21話 追加依頼、動き出した二人

 ヒトミは脱いだ制服とスカートをきちんと畳んでランドリーバスケットに入れ、ブラを外し、両手でパンツをずらし、片足立ちで、ダンスのようにしなやかな動きで下着を脱いだ。


 長い髪を巻き上がったヒトミは扉を開いて、バスルームに入いた。ミルク色の素肌は、まるでホタテ貝の上に立つアフロディーテのようだった。絵と違うのは、母性を象徴する豊かな胸、鍛錬されよく引き締まった腹部、欧米系特有の丸く大きい美尻。ヒトミはお風呂場を見て、大声ではしゃいだ。


 「うわ~凄い!何これ!!」


 浴室はヒトミが想像していたよりずっと広い。左の壁に一つのシャワーレバーが着いている。天井にある複数の小さい穴から水が降ってくる。シャワースペースを通り過ぎると、10帖程の風呂場がある。中央には四、五人の家族で入っても余裕だろう桧の湯舟があり、奥にもうひとつ、一人で入る小さい木桶形の湯舟があった。三面を見わたせるガラス壁に囲まれて、風呂に浸かりながら遠くまでの夜景を楽しめる。浴槽には既に湯が満ちていた。循環式らしい。ヒトミはシャワーは浴びず、そのまま風呂に入った。温度計は95℃を示している。それに対し、奥の湯船の温度は−30℃、過冷却水の水風呂だ。どちらも、普通の人間には入れない。


 遼介の日常修練の一環であった。源気を上手く使えば、体はまるで見えない服を着ているように、高熱や低温の環境にも耐えられる。闘士ウォリーアの源気は水蒸気のように発散し、物質に付与して強化させることもできる。さらに、源で体の細胞を強化させ、あらゆる衝撃やダメージを軽減させられる。究める者の中には、数千万℃の高温、又は絶対零度に耐える者もあるらしい。そう考えたら、これは簡単に入れる温度だった。


 ヒトミは戸惑いなく湯に入った。


 「あぁ~気持ちいい!毎日一人でこんな素敵なお風呂を独占して、こんな贅沢な日常を送るなんて罰が当たりそう」


 アトランス界にも入浴の習慣がある。ヒトミのいた学園の学生寮には露天風呂もあったが、一人で独占するのは不可能だった。こんな過ごし方はあまりにも贅沢だった。


 こんな男を挫折させるなんて、そう簡単にはできなさそうだ。ヒトミは仰向けになって湯舟の縁に首を置き、天井の窓を見ながら考えていた。


 ヒトミは鶴見学院長と話したことを思い出した。それは鶴見の書斎茶寮で、遼介の幼い頃の成長記録を見た時の話だった。


 ヒトミが見たのは、遼介が厳しい修行を受けている映像だった。三才の時に大きな熊と戦っている姿、絶壁の山頂で複数の木杭の上に片足立ちながら站樁の技を修練している姿、碁石を並べ、棋譜と兵法書を開いて囲碁を勉強している姿、10才の時に初めて武恒武術大会で優勝を獲った姿。数分間の中で、遼介の修行づくめの半生を見た。


 それとマスターポロタストカードに立体の個人情報データも一緒に並んでいる。不思議な文字、その横に漢字を映している。名前 光野遼介、身長178センチ、種族:人間、アース界在住、コード名「火爆闘神スサノオ」。年齢に対して鍛え抜かれた体格の少年の姿が投影されている。


「まさかこの人が英雄ヘィドロス光野和真みつのかずまの子なんて、ちょっと

信じ難いです。学院長先生のお孫さんなんですよね?」 


 空気が凍りついた。鶴見はヒトミの目を見つめる。ヒトミは、もしかしたら自分は聞いてはいけないことに触れてしまったのかもしれないと気付き、体を硬直させた。数秒の間を置いて、鶴見が薄く笑った。 


 「別に隠すことでもない。私が教えた子の中でもあの子は抜群の素質を持ってるじゃ」

 「どんな素質ですか?」


 「完全記憶と瞬間記憶の力があるから、何でもすぐ覚えて、人より早く要領を掴む。それだけじゃない。覚えたことを活用し、その欠点を見つけて修正し、最善の答えにたどり着く。その才能のおかげで、誰よりも早く術の極意に達したんじゃよ」


 「よく分からないんですけど、彼は10才の時には既にアース界の武恒連盟武術大会で優勝してるんですよね?こんな凄い力を持つ人材を、どうして入学させないんですか?」


 「宗家の事情で入学させないようにしたんじゃよ。。英雄の子じゃ。しばらくアース界で社会勉強させるつもりだったが、。まだまだ未熟なのに、その傲慢さゆえに生き方を顧みない。恥ずかしいことじゃの」


 「まさか、源神諭心流に別の継承者がいるなんて、驚きました」

 「それだけではない。光野家次世代の継承者たちの中でも、あの子は最も流派の真髄を活かせるかもしれないんじゃ」

 「しかし、たとえどんな優れた力を持つ者でも、ウィルターの資格が認められないかぎり、ヘラドクシ扱いされるかもしれないですよね?」

 「あんたの言う通り、あの子は常に自分で考えて動く。行動力も高い。普通の闘士よりも感受性が高いから、事件性を感じたらすぐ介入し、過激な戦い方でヘラドロクシを倒す。相手の命を奪うこともあった。ウィルターにとって、どんな道を歩くかは、人生の一つの課題じゃが、このままでは、あの子は道を間違えるかもしれない」


 ヒトミは英雄の子である遼介のことが気になって、任務の実行人として棗苗に協力したいと思った。


 「何か私にできることはありますか?」

 「ええ。それが、わしがあんたを呼んだもう一つの目的。あの子に、挫折を与えて欲しいんじゃ」


 それはあまりに漠然としすぎる要望であった。ヒトミが聞き返す。


 「挫折…ですか?」

 「宗家はあの子を継承者として、両親が居ない環境で厳しく育て上げた。やがて、あの子は屈強な闘士になった。そのせいで、あの子は自分に厳しく、常に全ての責任を背負い込むようになった。あまりに執着しすぎて、入ってはいけない境界に足を踏み入れた」

 「武術帝王になったことですか?でもそれは学院長が期待していたことなのでは?」

 「武術大会に参加させたのは早かった。普通の武道家にとって一生をかけて歩むような道じゃが、彼は僅か10歳でそこにたどり着いた。4連続優勝までした。一般人にとって難しいどんなことでも、あの子にとってはいとも容易い。まだ色んな可能性を追い始めるような年頃に、色んな優勝トロフィを獲ってきた」

 「お孫さんがそんな成果を挙げるのは、喜ばしいことじゃないんですか?」

 「むしろそのせいであの子の足りない所は埋まらないままなんじゃ。若くして栄光を掴んだせいで、あの子は他人の努力、苦しさ、悔しさ、そういう類の感情に対する共感が乏しい。たとえどんな大会で優勝しようと、その先の道にあるのは孤独と傲慢だけなのじゃ。わし光野家は諭心流がもとめる継承者は、無情残虐な魔王ではない。あの子には失敗の経験があまりにも足りていないのじゃ。プライドだけで作り上げた器じゃ本物の王者にはなれない。それは邪道というものじゃ。今ならまだ間に合う。できれば、あの子にもっと挫折をさせて欲しいのじゃ」

 「分かりました。任務の実行事項には書いてませんけど、彼がもし英雄ヘィドロスの子なら、微力ながらお役に立てるなら喜んでやります」


 棗苗にはそう言っていたし本当にそう思ってもいたが、いざ本物の遼介に接触すると、彼は思った以上の存在だった。本当にこんな男を挫折させることができるのか?また、こんな完璧超人になぜ警護が必要なのか?疑問に思った。いや、これだけの能力を持った人間が悪に力を貸したとしたら、機関にとっては厄介なことになるだろ。


 また、黄竜の予言いわく自分が遼介に惚れるということだったが、それも、何かの間違いだ。その占いを認めたくないヒトミは、頭を激しく振った。


 (私はあんな男なんかに絶対に惚れたりしない!!)


  そいて水の中に顔を突っ込んだ。


 その一方で、遼介はリビングで将棋を指し続けていた。危ない盤面を上手く防ぎ、勝勢を取り戻した。その時、トゥルルルと音が鳴った。チャンネル通話の着信音だ。チャンネルを接着を取ると、由希の半身姿が投影された。珍しい着信に、遼介は少し驚いた。


  「お前は、本多さんの親友…三井さんだったっけ?どうしたの?こんな時間に突然連絡するなんて」


 学生は誰もがMPディバイスを持っていて、組分け課題を作るためにそれぞれの連絡先を知っている。映像の由希はしくしくと泣いていた。


 『光野君…助けて!!』


 不穏な雰囲気が漂っている。なにか良くない予感に気付き、遼介は冷静に問い掛けた。


 「…どうした?」


 『スミっちが…スミレちゃんが誰かにさらわれたんです…私、どうしたらいいか分からなくて……うわあああ~ん』


 「落ち着いて。泣いても問題を解決できないだろ?一体何があったか、説明してくれないか?」

 『私たちが一緒にカラオケに行く途中で、スミっちは忘れ物を取りに行くって言って、一度別れたんです。その後に…家の用事で先に家に帰ったってメッセージが来て…』

 「それで?」


 『でもさっきスミっちのお母さんから連絡が来て…彼女はまだ家に帰ってないって』


 遼介は軽く握った手を顎に当てて熟考した。


 「確かに妙だな、俺の知ってる彼女はどこかをぶらつくような奴ではない……」


 『あとはね…さっき警察からスミレちゃんの両親がありました……報道もされてしてます……スミレちゃんが最後に居た場所はあまりよくない所だって……」


 「あの女、また無茶なことしやがったな?」


 『どうしよう…光野くんってウィルターなんでしょ?力を貸して欲しいの』


 遼介は拳を握りこみ、決意を固めた。


 20分後、ヒトミはお風呂場から上がり、胸元をタオルで隠しながら、開放感たっぷりにはしゃいだ。


 「はぁ~気持ちよかった!良い湯だったわ~遼介くん!」


 だが遼介の返事はなかった。彼はもうリビングにいない。


 「ん?おでかけ?」


 ヒトミはリビングに来た。誰もいないのにテレビがついている。ヒトミは湯上がり姿のままソファに腰を下ろし、軽く息を吐いた。


 「あのゲーム、結局あっさり負けたのかな?」


 ヒトミはテーブルを見る。対局は既に終わっており、勝利の文字が表示されていた。相手からのメッセージも残っていた。


 「やるじゃないか!次は三枚落ちでお願いしようかな?」


  低いテーブルから宙に遼介からのメッセージが投影されていた。


――


買い物に行く。行き先に興味があるならニュースは見ってみろ。

 花火を打ち上げたらそれが合図、首切りのジェスチャーは王手を打つのサイン。

                                    ――


 「なに?買い物?言ってくれればよかったのに。買いたい物がたくさんあるけど……」


 ふてくされながらテレビを見て、ヒトミは驚愕の表情を浮かべた。女性の失踪事件がまた発生したというニュースが放送されている。羽ヶ丘学院の生徒、本多スミレ(16)が行方不明。警察は捜査活動を拡大。


 「まさか?!」


 ヒトミは慌てて制服に着替え、裏玄関から飛び出し、遼介の源の気配が遠く去ったのを感じって、方角を確認すると遼介をを追い付くために、飛び去った。

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