第17話 しつこい、愛しい来訪者 ③

  ヒトミは左で皿を持ち上げ、右手でカップの取っ手を持ち、香りを嗅いで一口すする。適度な酸味と品のある苦味があり、喉を通ったあとほのかに甘味が残る。 これは普通の高校生、ましてや乱暴な武人にできる芸当ではない。ヒトミは素直に褒めた。


「美味しい!あんたよくこんな上手に淹れられるわね」


「喫茶店でバイトしてた頃にコーヒーの焙煎と淹れ方を叩き込まれたからな」


「なるほどね。あのオーナーさん、きっと良い人ね。私にはわかる」


 ヒトミがさらにコーヒーをすする。


「お前は俺としたかった話って、それだけか?」


 ヒトミの表情が少し硬くなった。


「単刀直入に言うと、機関は私に、あんたを警護する任務を命じた」


 それを聞いて、遼介は大笑いした。自信に満ちた表情で告げる。


「アハハハー!俺に警護を?どんなブラックジョークだよ!確かに仇討ちと脅迫を売って来る連中は斬り終らないだが、俺は警護などいらない!」


 ヒトミは真剣なまま続ける。


「あんたを狙ってるのは、今あんたが認識している敵だけじゃない。奴らは巧妙な手段で獲物を誘う。ターゲットは知らず知らずのうちに罠にハマり、気付いた時にはもう、どんな強力な者でも彼らからは逃れられない。そうなったら全部手遅れよ!」


 その忠告は、殺人鬼の退治を始め、戦うことが日常茶飯事となった遼介にとって、まるで退屈な都市伝説のようだ。遼介は平然と告げた。


「面白い話だな!お前も試しただろ?お前と戦った時、俺は実力の2割も出してなかった。何の目的かは知らないが、本気で俺に刃向かうようなら、どんな連中でも潰すよ」


 どうやらまだ遼介は自分の置かれた状況の恐ろしさも、ウィルター社会の闇の深さも、わかっていないらしい。ヒトミは高笑いした。


「さすが武術帝王さま、世間知らずね!少しは力を持ってるかも知れないけど、そんな傲慢な考え方はいつかきっと身を滅ぼすわよ!」


「別に俺が最強だなんて思ってるわけじゃないけど、子供を扱いされるのは心外だな」


 遼介は自分の立場がわかっている。自信家ではあるが、過信はしていない。自分よりも強い者がいるのを知っている。祖父母だけではない。この世にはまだ巡り会えてない強者がいると信じている。


「まあ、もしあんたの力が低レベルなヘラドロクシと同程度なら機関は無視するでしょうね。だけどあんたみたいなA級レベルのイレギュラー要素、世の中を滅茶苦茶にしかねない。私もほっとけないわ」


「機関は俺を破壊神か何かだと思ってるのか?」


「だから、あんたの行動をこの目で確かめることが、この任務のもう一つの目的。警護と監視、ってわけ。これから先、もしこの世に悪影響をおよぼすような言動が見られた場合には……」


「場合には?」


「機関はあんたをヘラドロクシに認定するよりも先に、どんな手段を使ってでもあんたを止めるわ」


「なるほど。お前の仕事は尊重する。監視したいなら自分の目でよく見てみればいい。だが俺の特命派遣レッドオーダーの任務を邪魔して敵を助勢したり、人質や役人達に危害を及ぼすなら、お前を障害要因として一緒に排除する」


「私の立場としては、人質開放が優先ね。まあ、必要ならあんたの任務は協力するつもりよ」


「で、お前たちの目的は分かったけど、任期はいつまでなんだ?」


「機関が任務中止を命じるか、またはあんた自身の安全が確保されて、またあんたがアース界にとって危険性がないことも証明できた場合。あとは……」


「あとは?」


「私が死んだとき」


自分の死、それを口にした後でも、ヒトミの青い眼は一切揺らない。


「そうか。すぐ終わる任務じゃなさそうだなあ」


「そういうこと」


 二人の視線が合って、互いに興味深そうに笑みを浮かべる。ほどなくして、裏口の配達アラートが鳴った。


「何だ?こんな時間に郵便なんて来ないはずだが」


 遼介はソファーから立ち上がり、裏口に向かって行った。ヒトミは意味深そうな顔をしながら遼介の動きを目で追う。


 配送マシンが裏扉の外玄関ホームにいる。遼介がスイッチを押すと、グラス扉が開け。ダストを防ぐ気流が吹いている。いつの間にか、ヒトミは遼介の後ろに付いて来ていた。


 マシンの上にトンボの頭のような形状のセンサーが遼介の方を向き、話かけた。


<こんばんは、赤井引越し会社であります。10件の荷物をお預かりしております>


 遼介は困惑した表情を浮かべながら、胸の内に嫌な予感を抱え、マシンに問い掛けた。


「引越し?何かの間違いでは?」


 <いえ、弊社伝票に荷物のお届け住所は確かに赤坂エリア日枝三丁目10−1REAL赤坂外苑9001号。ここで間違いありません。届け人はミス 水戸・スーズン様でございます。この方、ここにいらっしゃいませんか?>


 それを止めたくても、拒否権がない。引越し依頼はとっくに終わっているし、宛先も間違っていない。


 今更気付いたところで手遅れなのだが、ヒトミ単なる機関のお遣いなどではない。ここまで用意周到に動いている。機関はウィルターを管理するため、また任務を遂行するために、アース連邦州政府からターゲットの居場所を始め個人情報を入手できる。


 こんなことも、機関のスカウトやエージェントにはいとも容易いのだ。


「えーと…あのですね......」


 ヒトミが歩を進め、まるでこの部屋の家主だといわんばかりの笑顔を浮かべた。


「はい!間違ってませんよ。私が水戸です。荷物はそこに適当に置いてください」


 <かしこまりました>


 マシンの扉が開き、4台の小型トロンマシンが荷物を裏口玄関に搬入した。スーツケースひとつとダンボール9箱。


 遼介は不測の事態に目を白黒させた。夕方の闘競の勝敗を問わず、ヒトミは最初からこの部屋に住むつもりがったのだ。それはまるでカササギの巣に住み着くハトのようだった。


 <ミス水戸様、これで荷物はすべて搬入できましたでしょうか?>


「はい、間違いありません」


 <では、ここのモニターにサインをしてください>


 ヒトミはマシンの上に備え付けられたテッチペンを取って受取欄にサインした。


 <弊社をご利用いただき、誠にありがとうございました。また何かありましたらお気軽にお訊ねください。赤井引越し会社はいつでもスピーディー、マイティー、フレンドリーの精神でサービスを提供しております>


 トロンマシンを回収して扉を閉じると、配送マシンはマンションから離れ、ブースターを起動させて飛び去った。


 ヒトミは手を振りながらマシンを見送った。


「ご苦労様でした、バイバ〜イ!」


 ヒトミが振り返ると、遼介がものすごい剣幕を浮かべている。


「ちょっと待て!そこで止まれ」


「なに?怖い顔して」


「お前、一体どういうつもりだ?」


「見た通りよ。ここに泊まるの」


 たとえどんな美少女だろうと、こんな勝手なことが許されるはずがない。

ヒトミは、女狐だった。


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