第8話 爪伸び刹那 ①

  日暮れ頃、雨がやんでいった練馬エリアにある高級住宅地。道側の壁に『通り魔に注意』の手配状ポスターが投影されている。


 坊主頭で、身長186センチ。無骨な筋肉怪人のように見える。名前は草部尚文。


 道路にできた水たまりがスミレの姿を映している。彼女は鞄を右肩に掛けて、左手に紫の細長い布袋を持ちながら歩いている。剣道部の稽古が終わって家に帰る途中であった。


 スミレは誰かが後ろに付いて来る気配を察した。心細い彼女は歩く速度を上げて、T字路を右折すると、一人の男がそこに伏せていた。身長が高く、見た目は30才以上に見える。


 坊主頭で筋肉質な大柄の男。それを意識するとスミレは思わず足を一歩退く。


「あなたは、通り魔の、草部…尚文?」


「よう!お嬢ちゃん、その制服は確かに羽ヶ丘の学生だな?」


「それは…」


「大人しくすれば怪我はさせない。保障するぞ」


「保障ですって?」


「さっさと、MPディバイスを出せ。持っている金を俺のアカウントに振込むんだ」


スミレは不愉快な顔で拒絶した。


「あなたの思い通りになんかならない!覚悟しなさい、この犯罪者!」


 草部は左手で右腕を支え、その掌で頬を触りながらスミレの呼び方を訂正しようと告げた。


「どうやらお嬢ちゃんは勘違いしてるようだな。俺はただ皆の救済を求めたいだけだ」


 そのとぼける様子を見て眉をしかめ、スミレは勇気をしぼって言葉を放った。


「人に金を強要するのはただの犯罪よ!私があなたを止める!」


「ほお?『ガフ』のお嬢ちゃんが俺と渡り合うつもりか?」


 ガフはウィルター達の間で使われる言葉である。グラムを感じられない、あるいは源気を有効に操作できない人間を指す、揶揄する呼び方だ。


その言葉をスミレは知らなかったが、馬鹿にされたを察し、怒りが湧いた。


「私があなたを止めてみせる!本多家の名に懸けて!絶対に!」


 スミレは布袋を身の前に持ち出し、横に持ち替えて縄を解く。本多葵の家紋を刻んである柄を出し、右手で木製の柄を持ちながら左手で布袋を取り脱いだ。


 漆塗りの真黒の木刀が鋭く輝いた。


スミレは木刀を立てて持った。八相構えである。草部は大笑いした。


「何だそりゃ?真剣でも皮膚を切れない俺に木刀?笑わせんなよ!おい!」


 自分の真剣さを舐められている。スミレは眉を強くよせた。


「何がおかしい?あなたのような人は許さない!」


 一気にスミレが攻めていく。草部の胴体や肩や額を狙い打った。


 パッ!パッ!パッ!


 三回連続の剣撃はまるで効いていないようで、草部は事もなさげに立っていた。


「どうした?蚊に刺される程でもないぞ!」


 草部の体は屈強な筋肉に覆われ、鋼鉄並に硬い。急所を撃っても効かない。


(この硬さは何?この人は弱点がないの?)


 草部はその太い両腕を伸ばし攻めて来た。スミレは攻撃を見切り、小手を打ちながら後ろに引いた。


 すぐさま後ろ足を踏み込んで飛び進む。剣先は顎を狙っていたが、届かないうちに草部が握り止めた。


「ハハ!緩いぞ!お嬢ちゃん!」


「うそ?!」


 スミレは、自分の思いはまるで正義の星火を踏み潰されたような気持ちになった。スミレは自分と相手の実力の差が大きい事を理解した。


「剣道ごっこはそろそろ終わりだ!」


 草部は握った剣先を振り投げて、スミレは一旦後ろに跳び退いた。余計な動きがない彼の動作を見て、何らかの武術を習得しているのを察した。


 息を乱したスミレは、防御の態勢を取りながら策を講じている。少しずつ動きながら草部の動きを見る。突然、見えない何かが真正面からぶつかった。


「うわああっ!!」


 スミレは吹き飛ばされ、後ろのブロック塀に強く突っ込んだ。


 木刀が手から落ちた。


 何が何だか分からない。気がついたら塀にもたれて座り込んでいた。


(さっきのは、一体…?)


 背中の強い痛みは耐えられないほどで、彼女からはもう戦意が失せていた。


 草部が近づいてくる。その巨大な体を見て、スミレの心は恐怖に支配され、体が微かに震える。草部は左手でスミレの首を掴みあげ、壁に押し込み、大声で告げた。


「このガフ女!さっさと金をよこせ!さもないともっと恥をかかせるぞ!」


 スミレは両手で草部の手首を掴み、必死に抵抗した。


「いや…わたしは…あなたなんかに屈しない……」


「だったらこうしてやるよ!!」


 草部は右手を下に伸ばし、スミレのスカートをまくろうとした。


 その時、後ろから誰かの手が草部の右肩に置かれた。少年の声が聞こえる。


「おい、その手を止めな。彼女が嫌がるだろ?」


少年の姿に気づくと、スミレは気が動転した。彼女の目に強い光が揺れている。


(光野くん!?)


「何だと?」


 草部はスミレを放り出した。スミレは地面に倒れ、両手で自分の首を触りながら咳き込んだ。


「どこから来たか知らないが、邪魔するならくたばれ!」


 草部は振り向きざまに右肘を打ち込もうとした。遼介は攻撃を避け草部の肘をとり、下半身の回転だけで崩させた。草部は焦った。


「俺の技を受け止めただと!?」


「そんな程度の力で大した技術もないくせに一般人を虐めて、そんなに楽しいのか?」


「小僧!うるせええ!!」


 草部がパンチを次々と打ち出す。遼介は余裕の笑みを浮かべ、草部の攻撃を躱した。草部は、今度は遼介を投げ技で飛ばそうと、近づいた。


 遼介は軽く地面を蹴って、避けた。草部は遼介を捉えられない。一瞬にして、遼介は3メートルほどの間合いを取っていた。草部はやけになって、拳を撃ち出した。遼介はその右パンチを避け、掌で草部の肘を突き上げ、瞬時にステップを踏み込んで、拳で草部の腹を打った。


「ぐっ!!」


 草部は手で腹をおさえながら、二、三歩よろめいてから地面に脆いた。筋肉の塊のような男が無様な姿を見せている。


「ぐはあああっ!」


 草部は胃袋に残る液体を吐き出した。遼介に軽く撃たれた拳は想像以上に効いた。遼介は草部の様子を見ながら、スミレの側に寄った。


「大丈夫か?本多さん」


「うん…来てくれたの?光野くん」


「その木刀を借りても良い?」


 安心したスミレが頷く。


「うん、光野君なら使ってもいいよ」


 遼介は木刀を拾うと、片手で二回素振りして、その重さを確かめた。


「これはなかなかの逸品じゃないか、奴を倒すには十分だ!」


「その木刀であんなでっかい人を倒せるの?」


「ああ、お前は下がれ。こいつはお前にはとても無理だ。すぐに警察に通報してくれ」


「わかった!」


 スミレは背の痛みを我慢しながら立ち上がり、二人と10メートルほど離れた小路に身を隠した。少し頭を出し、二人の戦いを覗いている。


 遼介はうずくまる草部を見下ろして言った。


「立て!まだこんなもんじゃ終わらないだろ?」


 草部は大声で笑った。


「ハハッ、なるほど!お前が使ったのは発勁か?どの流派か知らないが、ぶっ殺す!」


 草部は立ち上がると、両手を伸ばし、何かを包みこむように構えた。源気グラムグラカを集めている。スミレには見えなかった物が遼介には見えていた。草部は、土色の気弾を持っている。それに対し、遼介は右手で木刀を軽く持ちながら、左の掌を上に向け、4本の指を来いっと曲げて草部を誘った。


「良いだろう、かかってこい」


「その妙な構えは何だ?お前は素人か!?」


「お前は知てる?狩りのうまい虎はな、襲いかかる寸前まで爪を出さないものだよ!」


草部には意味がまったく分からな、大声で叫んだ。


「それがどうした?!」


「剣術の構えは武術をやっていれば皆知っている、だが自由自在に、瞬時に構え共に敵を切り捨ててこそ達人だ」


「小僧!ベラベラとうるせええっ!」


 草部は両掌で次々と気弾を飛ばした。遼介は動きだし、気弾の動きを予測し、木刀を鋭く振って次々と斬り消した。


「空っぽな玉は幾ら撃っても所詮泡玉だ!」


「まだ終わってねえぞ!小僧!」


 草部は右拳で殴りかかった。その攻撃を先読みしていた遼介は、瞬時に木刀で草部の右腕を撃った。


「ぐわっ!腕が!!」


 草部は左手を右腕に添えた。まるで電撃を食らったように痺れている。遼介の方を見ると、彼が持っている木刀は凄まじい源気を発散していて、白い光が輝いている。


「経脈を狙い打った。その手は暫く使えないだろ?」


「だったらどうした!」


 草部は左手から気弾を撃ち出す。それを避けて遼介は反撃した。


「遅い!」


 パチッ!パチッ!パシャーッ!


 三回の連撃で草部の右耳を含め三つの箇所を撃った。草部は手でたじろいだ。少し間を空けて、点検するように首をさすり、頭を振った。ダメージは入ってないように見えた。


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