第2話 プロローグ ② 

 自分の人指し指に付ける指輪型の時計を見るとヒトミは答えた。


「はい、まだ大丈夫です」

「お茶でも飲むかい?この任務はあんたに沢山迷惑かけてしまうかもしれないなぁ…」


 そう語る彼女はハイニオス現任の学院長、鶴見棗苗つるみなつめ。いつも学院のイベントや重要式典で厳しい口調で講話する、その厳格なイメージと違い、まるで

学寮の親しいお婆ちゃんみたいな立たずまいでお茶を入れている。息を軽く吐き、

リラックスをしてヒトミは頷いた。


「はい、お言葉に甘えて」


 和室の座布団に座るヒトミは茶托ちゃたくを左手にのせて、お茶の色と薫りを堪能する。


「良い薫りですね、これは紅茶ですか?」

「いかにも。今年の新茶でじっくり火入りした逸品じゃよ」


 ヒトミは右手で茶杯を持ち上げ一口啜り、安堵の表情を浮かべた。棗苗は澄んだ眼差しでヒトミを見つめて言う。


「わしの良く知っている、スカウト資格を持つコディセミトの中で、あんたの実績はかなりの物じゃ」

「いいえ、それは精一杯努力した結果です」


「謙遜しとるんじゃよ!今まで遂行した25件の依頼任務の中には救援任務8件、偵察任務8件、異端ヘラドクシー犯罪の退治9件、たとえA級の三年生でも、これ程の実績を上げた者はおらんじゃろう」


 学院長に褒められても、慢心を抑えて苦笑いで対応するヒトミ。学院の大物にこんなシークレットの場所に呼び出されて、きっと重要な話だろう。ヒトミは返事をした。


「その実績は全てが私の力ではありません。先輩や一緒に任務を受けた仲間、皆お陰で出来たことです」


 右手で急須の蓋を取って、巧みな手つきで蓋を左手に移し、次にボーフラを持ち上げ湯を入れる。学院長は動きを止めずに問いかける。


「機関があんたを指名する理由は、わしには分からんが、警護任務はあんたにとって初めてのことじゃろう?」

「確かに、警護任務は私にとって初めてですが、学院長先生には何か心当たりありますか?」

「この任務は単純な警護任務ではない、防犯監視の意味もある。万一最悪の状況では、あんたの名誉が傷つくかもしれん。それでもこの任務を受けるつもりかね?」


 軽い口調問だが、凄まじいプレイシャーを掛けられ、ヒトミは息を詰めて、言葉を吐き出す。


「わたしにとって、どんな任務にもリスクがあります。過去の英雄と先輩達は全ての責任を負い、多いの難事件を解決したでしょう。もし己の名誉が汚れることが怖いのなら、任務を受けるより安全な場所で安易に過ごしたほうがましだと思います」


「あんた、生存試煉期間中はこの任務に専念するつもりじゃろう?」


 生存試煉はこのセントフェラスト学園四年生心苗、全員が受ける最終テストだ。一年間に外で実績を挙げてながら、生残って学校に戻す人はウィルター資格を貰えるのを認めることだ。


「はい」 

「ここアトランス界の一年は、アース界の4年半じゃ。もし、あんたが生存試煉に合格したら、その後はどうするつもりじゃ?」

「今はそこまで深く考えていないですが、卒業したら、私はラテントプロス機関の源将尖兵マジィスターになりたいです!」

「そうかね」


 学院長は何かを深く考えた顔でお茶を注ぐ。そんな空気を察したとヒトミは慌てて訊ねる。


「もしかして、学院長は、私にはこの任務が不適任と考えておられますか?」


 二杯目の茶杯を渡し、棗苗は落ち着いた声で応じた。


「いや、機関が選んだ尖兵スカウトリストの中じゃあんたが一番適任じゃよ。わしはただあんた本当の意志を聞きたい。この警護目標の情報を読んでみるかい?」

「既にローテントロプス機関から貰ったデータを読みましたが」

「いいや、これは機関に記録されてない私人秘密情報じゃよ。少しでも任務実行に役立てばと思ってな」

「はい、拝見させて頂きます」


 警護目標の少年の記録映像を見ながら、ヒトミは深く考えていた。周りに何か強い存在が近寄ってくるのを感じた。


「お主、なかなか立派な女だな」


 振り向くと、白く細長い、蛇の様な生き物が宙を泳いでいる。頭部に四つの角を持ち、背には金色の毛を生えている。腹から前後四つの足がのび。まるでワニのような口の上に鬚が生えている。


「あなたは。まさか、うちの学院の守護聖霊ではないですか?」

「そうさ、余はこの学院で最強の守護聖霊、黄竜エンペラティスドラゴンだ!」

「うそよ。毎回学校の行事に現れるあの巨大な黄竜がこんなちっちゃいわけないですもの」


「失礼なこと言うな!余はこんな姿でも力はまったく変わらないぞ」

「すみません、あまりに小さい過ぎますので……」


 竜の姿が小さすぎて、どやら稀有品種の鰻に見違えてしまう。機嫌が悪そうに鼻から空気を強く息を出し、ヒトミに告げる。


「ふん、言っておくが、お主はこれから大変な事になるぞ。まさしく大凶の兆というべきだろう」


 その言葉を聞いて、ヒトミは首を傾け、疑いの眼差し言った。


「私の事ですか?私は占いを全く信じませんよ」


 それを聞いて学園長が言う。


「あんた、アドバイスとして聞いておくんじゃ。うちの学校の守護聖霊の予言は当ることが多いんじゃよ」

「アース界の事も分かるのですか?」

「余を舐めんなよ!よく聞け、この任務は受けても、決してこの男に恋には堕ちるなよ」


 突然恋の話をされ、その美しい顔は紅くに染まった。ヒトミ自分でも信じられない強弁した。


「急にバカな事言わないでください!私は自分より年下の男には興味がありません!」


 黄龍は彼女のことをよく知ったように、平然と爪で鬚を触りながら偉そうなふりをして忠告した。 


「そんな思いをずっと保てたらいいが、な。例えお主らがどれほど深い絆を結んでも、必ず離ればれになり、難しい立場になるだろう」


 そもそも彼女は恋なんて全く求めてない。あり得ない事を必死に弁解した。


「私は恋の事なんか考えことは、少しもありません!」


 ヒトミはたとえ聖霊の忠告でも強気に拒絶する。黄竜はヒトミの目の前に近寄る。その霊気が一杯の目線まるで神が小さい人間を見下ろすかのように厳しく告げた。


「余は主ら男女のちっぽけ情けのために啓示しているのではない。これは世の形勢が崩れる導火線になるだろう」


  自分の事ではなく、世の淀みになる。そこまで考えていなかった、神の言葉を聞いて、ヒトミは僅かに動揺した。


「そんな厳しい状況になるのですか?」


 茶杯の中のお茶にヒトミの動揺した顔が映る。彼女は口をつむぎ重く考える。空気は数秒間シーンとした。代わりに学院長は質問を投げかけた。


「こうちゃん、もしそんな事態になったらと、どうすれば良いのじゃ?」

「一つだけ言おう。信頼と絆が災いを防ぐ。厳しい状況を打開する鍵は、お主しかあるまい」


 先の見えない、何が起こるも分からない、神の言葉など信じられないヒトミは、自分の力を信じ、心細い気持ちを断ち切って顔を上げた。


「未来に何が起こっても、私は決して諦めません!」


 学院長は目蓋を軽く閉じて頷いた。


「なかなかの気合いじゃ!良かろう、全身全霊を注ぎ、やり遂げなさい。そろそろ時間じゃろう。もう出発じゃな?」

「はい、お茶ありがとうございました。学院長」

「ここから中央学園部は少し遠い、あんたをより近い場所まで送ろう」


 学院長は手前のたんすの上に置いている扇子を取り上げて、障子に向かって指し、自動で開いた。その向こう側には、さっきの廊下空間はなく、何処の高い庭園だった。


「ありがとうございます。行ってきます!」


 ヒトミは立ち上がって、踵を反し事務室を去った。


 障子を閉じると、黄竜の視線は棗苗に移された。


「結局、お主は彼女を止めなかったな」


 棗苗は目を閉じて、無言のまま茶席を外し、机へ向かい歩く。黄竜は追い掛けて、彼女の側まで泳いだ。


「その先の災は止められんぞ!」

「わしは若い者を信じる。もしそれが彼女の意志なら、わしは尊重したい。それがわしら教育者としてやるべきことじゃ。本当に大きな災いが起こる前に、より厳しい試煉を受けることが次世代の若者を磨くよいチャンスじゃよ!それが試煉ということなのじゃ」

「お主らの血筋はあの女を受け入れつもりはないだろ?」


 うちわ形の窓からハイニオス学院の景色を眺める。心苗コティセミト立の生き生きとした姿を見ながら、棗苗が薄い笑みを浮かべて言う。


「わしは彼らを試したいのじゃ。寿命が長いわしらウィルターにとって、男女の間に生じる情は、熱いが儚いものじゃ。遼介が彼女と結ぶ絆はどうなるか、どう決める、彼に次第。わしは彼らの熱い青春を見送るつもりじゃよ!」


 爪で自分の目を塞いだ黄龍は、嫌な予感のする言葉を残した。


「どんな事になっても、余は知らんぞ」

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