喫茶グレイビーへようこそ series 3

あん彩句

KAC20223 [ 第3回 お題:第六感 ]


 この店で占うと、全てがうまくいくらしい。店の名前は、喫茶グレイビー。オレはそこであくたと呼ばれ、住み込みで働いている。仕事は主に掃除、皿洗い、そしてパシリ。



 コンビニでセロハンテープを買ってこいと言われ、立ち読みしたり遠まりしたりしながら店へ戻ったら、奥の深緑色のベロアのソファで腕組みしていたオーナーのトムさんに呼ばれた。


 やばいちょっと遅すぎたか、セロハンテープが見つからなかった体で言い訳しようと準備していたけれど、どうやらそれじゃ時間的に足りないかもしれない。そこでお婆さんに道を聞かれた体もくっ付けることにした。なにしろ、その極太の腕で殴られるのは嫌だ。



「髪を切れ」


 トムさんが軽蔑した目をオレへ向けてそう言った。遅かったことに対しての小言ではないらしい。ちょっとほっとする。


「せめて小綺麗にしろ。そのぐしゃぐしゃな髪はポリシーなのか?」


「いや、ただ金がないだけです」


 正直に答える。そういえば三ヶ月くらい切っていなかった。元々あまり気にするタイプじゃないので、なんとも思っていなかった。だけどちゃんと寝癖は直している——ちょっと濡らすくらいだけど。


「芸人でもちょっとボサっとしてるのがいい奴もいるじゃないですか。だからいいかなって」


「そもそもお前には何の芸もねぇだろう。そんな奴が真似したところで個性にもならねぇんだよ。さっさと切れ」


「金、ないんで」


 そう繰り返した俺は本当に金がない。冷食とかカップ麺とか、たまにもらえる店のおこぼれで生きている。給料前借りできないだろうか、なんて恐ろしくて聞けるわけがない。



あや!」


 カウンターでパスタを食べていたその人は、トムさんに呼ばれるとイライラしながら振り返った。ニンニクのいい匂いがするのは、きっとペペロンチーノだろう。


「なんとかしろ」


 トムさんがそう言って顎でオレを示す。綾さんは怒りを露わにし、ケツのポケットからスマホを取り出した。そして、フォークをテーブルに叩きつけて背中を向けた。


「また作ってあげるからぁ」


 カウンターの中でエプロンをしたミサキさんが笑い、叩きつけられたフォークを拾ってパスタを絡める。一番まともそうなこの人も、綾さんやトムさんとあまり変わらない。綾さんには優しいけれど、他の誰にも興味がないんだ。


 皿のパスタを食べはじめたミサキさんの前で、綾さんがすっと背を伸ばした。



「——あ、たかちゃん?」



 その声を聞いて驚いた。普段は重低音でドスの効いた喧嘩腰な言葉しか使わないくせに、可愛らしい女の子の声だ。年相応、20代前半の音符でも飛んでいそうなふわふわした雰囲気で、心なしかその奇抜なブルーの髪色でさえ花のように見える。

 そうか、どう見ても綾さんはオレより年下だよなぁ。


「探してたカットモデル見つかった? うん——え、まだ? それならいい子がいるよ。何しても大丈夫って言ってるし、時間もたかちゃんの都合でいいって——うん、そうなの——うん、いいみたいだよ——わかった。じゃ、また後で連絡するね」


 ばいばーい、と可愛らしく電話を切り、振り返った綾さんはやっぱりいつもの綾さんだった。出会った時のままの目つきは最高に悪い。きっとさっきの女の子が幻聴だ。


「てめぇ、余計なこと話したら鼻に糸通して窓から吊るすからな」


 ここは3階だ。口は固く閉じたままがいいだろう。



 そういうわけで、オレはタダで髪を切ってもらえることになった。定休日の月曜にサロンでと言われ、綾さんに時間だけはきっちり守れと念を押されて早めに到着した。

 コンビニの2階、レンガ調の階段を上がった先に店がある。でも嫌な予感しかしない。ガラス張りのそこを見上げる限り、アメリカ好きが経営するゴリゴリのバーバーだ。


 きっと『たかちゃん』は、太めの濃紺のジーンズにワークブーツを履いて、ギンガムチェックのシャツでも着ているに違いない。それにもしかしたら、腕に読めない形に崩された英文字のタトゥーが彫ってあるかもしれない。



 オレはなんとなく、約束の時間より数分遅れて店へ上がった。指定されたのは昼過ぎだった。勝手に入っていいと言われていたので、勝手にガラスの扉を開ける。


「お、約束通りじゃん。ちょっと待って、これ食っちゃうから」


 ぴったり予想通りの格好をした『たかちゃん』が、半分ほど食べてあるコロッケパン持ち上げた。ただし、残念ながら、タトゥーは腕ではなくて首だった。顎ひげにハンチングで、完璧だ。



「本当に好きにしていいの?」


 口の端のソースをペロリと舐めた後で、『たかちゃん』が聞く。オレは頷いて、綾さんに何度も暗唱させられた通りに答えた。


「はい。綾さんが『たかちゃんに任せとけば何にも心配いらない』って言うので、お任せします。あの、なんて呼べばいいですか? さすがにオレが『たかちゃん』じゃ、失礼なんで」


「おー、気にすんな。後輩もみんな俺をたかちゃんって呼ぶし」


「あの、これよかったら飲んでください」


 なんとなくさっきコンビニで買っておいた缶コーヒーを差し出すと、たかちゃんは上機嫌で受け取った。なけなしの小銭で買ったコーヒーだ。これからしばらくはパンをふやかして食べて生き延びよう。店の牛乳はもらえるから、そこは助かる。



 たかちゃんは自分の好みを押し付けるわけでもなく、本当に練習したいらしいことを施した。

 いいの、なんて聞いておきながらその後はオレに何も聞いてこない。髪型の好みとかそういうのも聞かれないし、どんな髪型になるのかすら教えてはくれなかった。唯一、カラーはハデめねと、髪を染めるということは事前に教えてくれた。


 周りは刈り込み、癖毛とせっかく伸びた髪を活かして自分じゃ絶対にセットできないくしゃくしゃなヘアスタイル。

 髪は三回ブリーチしてからくすんだ茶色に——黄色味がどうとか、赤味がどうとか、意味のわからないうんちくは聞き流した。


 座りすぎて尻が平らになりそうだった。それでも鏡の中の自分が生まれ変わったように見えて嬉しくなった。


「すっげぇ! たかちゃん天才!」


「おまえ、適当に褒めただろ」


 そう言いつつもたかちゃんはまんざらでもない。その証拠に、たかちゃんは全部終わった後に、飯でも行くかと居酒屋に連れて行ってくれて、これは絶品だからと焼きそばをお土産にくれたくらいだった。


 久しぶりの酒だった。明日からのふやかしたパン生活でも乗り越えられる気がするくらい心地いい。こんな日が毎日続いたら天国だ。


 でも、自分の部屋のドアを開けたら地獄が待っていた。



 店のある廃墟のようなビルの1階がオレの部屋だ。キッチンと呼べるようなスペースは小さな流しとIHの一口コンロがあるだけ。だだっ広い部屋にベッドとテレビ、それに洋服をかけておくハンガーラックといくつかの段ボールがまだそのまま放ってあった。


 奥にあるユニットバスはシャワーしか浴びないのでそんなに汚れていないものの、収集日に出しそびれたゴミ袋が3つは溜まっている。

 あとは脱ぎ散らかした服と、何となくで買い込んだスナック菓子の袋が散乱し、食い終わったカップ麺が重なって端っこに寄せてある。



 綾さんとトムさんは、オレの部屋で腕を組んで停止していた。


 確かに、トムさんの部屋の数倍は汚いと認めよう。毎日のようにトムさんの部屋の便所掃除と風呂掃除をしているオレだからわかる。わかるけども、オレは今、ものすごく酔っていた。


「汚ねぇよ」


 まず手始めに綾さんが言った。


 いやいや、あなたこそめっちゃ部屋汚そうじゃんか、と思う正直な声は封印する。ものすごく酔っていても、泥酔ではない。


「10日でどうやったらこんなに汚れんだよ」


「引越しのゴミとかけっこうあって」


「まだ荷解き終わってもねぇじゃん」


 だらしない、とは誰も言っていないけれどそんな声が聞こえた気がする。実家住まいの時に母親によく言われた。


『だらしない、どうして使ったものを元通りにできないの? ゴミはゴミ箱へ、食べ終わった食器くらい洗いなさい。あんたは本当にだらしないんだから』


 使ったら使い終わった瞬間に意識が次へいく。だから片付けるのを忘れる。ゴミはゴミ箱へ捨ててる。たまに忘れるだけだ、そしてそれを見つけられちゃうだけ。食器は洗いたくない。だから今は使ってない。


「とにかく掃除しろ、明日中にな」


 トムさんが、「さもなければ」なんて脅し文句がつきそうな含みのある言い方をしてオレを見る。オレはしっかり頷いた。面倒臭ぇな、というぼやきは顔に出ないように気をつける。


 部屋を出て行こうとするトムさんに続きながら、綾さんがいつも剥き出しの怒りをそこまで放出せずに、でも呆れたような目を向けてオレを見下した。


「たかちゃんの懐にはするっと入りやがって——アイツはご機嫌にしとくとなんでも奢りたがるんだよ、先輩風吹かすのが大好きだからな。そういう勘だけはきっちり働くんだな」


 オレは今までそうやって生きてきたから——今だってそうだ。もっと飲んでベロベロになりたかったけど、帰ってトムさんや綾さんに会ったら何を言われるかと想像したらほどほどでやめておいた。


 二人が出て行ったドアが閉まって足音が完全に聞こえなくなるまでじっとそこにいた。そして、上の方でドアが閉まるような音が響いてきてからやっと鍵をかける。



 オレは占いによってここで働いている。素晴らしい的中率を誇る占い師のハルマキさんが言い当てたのはオレの性格だけで、別に『ここで働いたら全てがうまくいく』と宣言されたわけではない。

 トムさんが勝手に雇うと言い出した。トムさんになんのメリットがあるかは知らない。オレは給料がもらえればどうでもいい。


 でも——酔った気持ちいい脳みそでちょっとだけ真面目に考えた。オレが雇われた理由は『クズだから』だ。だけどオレはこう見えてちゃんと学んでいる。ここに来て10日、それが『全てうまくいく』につながるかは知らないが、その10日間でちゃんと学んだんだ。


 長い物には巻かれろ、と。




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