4.死神男からのメモ

 深津の最近の日課は、連続殺人の新たな犠牲者が出ていないのを確認することだった。

 週末土曜、昼のニュースでそれを確認し終えた深津はソファに横になった。

 世間を騒がすこの事件に警察も全力で取り組んでいるようだが、捜査が大きく動いた様子はまだない。それは憂慮すべきものかもしれないが、事件が進行していないことにはとりあえず安堵する。

 でもこの件とは別に深津個人として、新たな気がかりが昨夜から増えていた。

 昨日金曜は藍野が戻る予定だった。しかし彼は帰ってこなかった。

 律儀な彼にしては連絡もなく、こちらから電話を掛けてみたがどうしてか電源が切られている。充電切れかもしれず、とにかく実家に連絡しようとしたが番号を知らない。番号を残そうとした藍野の申し出を拒まなければよかったと今更のように思うが、大の大人が一日連絡が取れないからと騒き出すのも違う気もする。


 ぼんやり眺めるテレビではグルメ特集をやっていた。けれど美味そうな料理が並んでも腹も空かなければ興味も湧かない。三十分もそうした後、深津はソファから身を起こすとテレビ消し、部屋を出た。

 自分になくとも、実夜には連絡しているかもしれない。もやもやした状態では何も手に着かなかった。雨夜に到着すると、実夜は何やら熱心に語り続ける常連客の話を聞いている。

 なかなか話しかけられずにいたが、注文したコーヒーを出してくれた彼女に藍野から連絡がなかったかさりげなく問うと、思いがけない返事が戻った。

「え?」

「昨日だったか、珍しくメールだったが連絡があったよ。久しぶりに実家に戻ったからもう一、二日辺りを回ってから帰るそうだ」

「……あ、そう」

 気が抜けたと言えばその通りだった。

 特に何かが起きていた訳ではなく、自分勝手に心配していただけだった。

 深津は脱力した表情でコーヒーを啜った。

 事実を知れば何を心配していたのか、何を考えていたのかよく分からなくなる。

 殺人事件と東仙をどこかで結びつけようとしている。その中で藍野の所在が分からなくなり、連鎖的に全てが怪しく思えて、必要もない心配に腐心していた。

 確かに疑惑はある。でも現在あるのは自らの直感だけで、その疑惑を立証する強固な確証がある訳でもない。故に結論も出ず、その結論も出ないものをぐるぐると考えてばかりいる。

 この状態を払拭するには認めたくはないが、あの死神男を頼るのが一番にも思えた。しかし彼は今現在も不在だった。だがたとえいたとしても、理に合わない代償を背負いそうでそれはできれば避けたいことだった。


「もう帰るのか、怜」

「ああ、またな、実夜」

 ここにいた方が気が紛れる気がしたが、深津は席を立った。

 昨日もあまり眠れなかった。

 無理をして無駄なことを考え続けるより、家に戻って無理矢理にでも睡眠を取った方が多少はマシになるかもしれなかった。

 深津は雨夜を出るとアパートに足を向けた。いつものように住宅街を通り、道路を渡ってしばらく行くと耳にその声が届いた。

「ちょっとそこの人」

 それは最初自分に向けられたものとは思わなかった。

「ねぇちょっと、あんた無視すんじゃないよ、そこの兄さん」

 でも再び届いた声の元を辿る。

 随分前に廃業した煙草屋の陰、そこに一人の女性が立っている。いつもとは違う場所で目にしたので最初は分からなかったが、そのやたらと露出の多い服装には見覚えがある。

 新木戸の住処であるホテル海溝で時折見かける妙齢女性だった。

「やっと気づいた?」

 彼女は吸っていた煙草を地面に投げ捨てると、不機嫌そうに髪を掻き上げながら近づいてくる。

 その姿には嫌な予感を覚える。無意識に身構えてしまったが、その反応も予感も多分間違っていなかった。

「早速だけどさ、あんた、いくら出す?」

「は?」

「新木戸の奴からさぁ、あんたに渡すように伝言を預かってんだよね。だけどわざわざ私をこんな所にまで出向かせた挙げ句に、まさかタダって訳にはいかないよね? ねぇ、いくらなら出す? さっさと返事して」

 深津はその言葉に目眩を覚えた。

 今対峙するのは久しく会っていなかった人種だった。

 恐らくだが彼女は新木戸からも駄賃として金を巻き上げている。それを欠片も窺わせずに、こっちからも巻き上げようとしている。

 彼女にとって全てが自分ルール。

 それに相手が従わなければ、従うまで我を通す。

 それが理不尽でしかないとしてもこちらの言い分が届く訳はなく、何をしようが結局徒労に終わる。このやり取りを終わらせるには向こうのルールに従うしか道はなかった。


「分かったよ、これでいいか?」

「何よ、物分かりがいいじゃない。はーい、毎度ありー」

 深津がなけなしの紙幣数枚を差し出すと、相手は引ったくるように奪い去る。胸の谷間から折りたたまれたメモを取り出すと、放るように手渡した。

「確かに渡したからね。受け取ってないとか後から言っても一切聞き入れないから。ああ、それとあんたさ、今度新木戸に会ったら言っといてくれない? 私の子供を面白がってしょっちゅう泣かすなってね。何が目的なのか知らないけど、今度やったら部屋に乗り込んで股間を蹴り上げてやるから」

 彼女は最後に物騒な台詞を放って去っていった。

 彼女に股間を蹴り上げられる死神男の姿を想像すると多少笑いが漏れたが、それはそれであの男を悦ばせるだけのようにも思う。

 深津は受け取ったメモを開いた。

 そこには名前と住所が書かれてある。


〈東仙環(トウセン・タマキ)自宅〉


 新木戸がどんな思惑で、このメモを渡してきたのか分からなかった。

 彼は何かを知っているのだろうか。

 深津はその場で思案するが、いつまで悩んでも答えが出る訳もない。

 今出せる結論はこの住所に向かうことだけだった。

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