3.彼と彼女の友人

「実夜、今日はどうして俺を誘った? 何か理由があるんだろ?」


 散歩も終了間際、深津は実夜を呼び止めた。

 振り返った相手の顔には、普段見ない表情が一瞬掠める。

 困らせる気はなかったが気になる方が勝っていた。でも本当に踏み込んでよかったのか、こちらも後悔を過ぎらせると、彼女にしては珍しい言い倦ねた声が戻った。

「怜、依頼はこの散歩で最後だ。けど私からも頼みたいことが一つある。この後一緒に墓参りに行ってほしい」

「……墓参り?」

「怪訝に思うのは分かる。だがこれは清菜の件とは関係ない。彼女のことで色々口を挟むつもりもない。怜自身の考えがあるのは分かっている。だからこれも怜が断りたいなら、無理強いはしない。でもこれを頼みたくて今日誘い出したのは確かだ。それについては本当に謝るしかない。申し訳ないと思ってる」


 突然の告白に深津はしばらく無言でいた。

 墓参りと聞けば躊躇する状態にあるのは間違いない。しかし今日、彼女はらしくない方法まで使って頼み事をした。まだ語られていない思惑があるとしても、そんな彼女の頼みを無下に拒めるはずはなかった。

「そうか、実夜の言いたいことは分かったよ。理由はよく分からないし、とりあえず訊かないが墓参りには一緒に行く」

「いいのか? 怜」

「ああ。他ならぬ実夜の頼みだ。けど早く行かないと気が変わるかもな」

「分かった、それならすぐに行こう」

 犬の散歩を終了させ、実夜と徒歩で向かったのは住宅地や雨夜にも程近い小さな古寺だった。

「ここか?」

「ああ、でもそれほど広くないんだ。こっちだ」

 寺院の背後に広がる墓地は彼女が言う通り小規模なものだった。砂利の通路を進み、実夜は満開の百日紅さるすべりの木の下にある比較的新しい墓の前に立った。

 用意していたらしき蝋燭と線香を取り出すと、それらに火を灯す。

 花は既に飾られていた。窪田くぼた家と彫られた墓石に供えられていたのは二、三日も経っていない新しい花だった。


「実夜、これは誰の墓なんだ?」

「藍野と私の高校時代の友人の墓だ。彼の名前は窪田ゆう

「高校の友人って言うなら随分若くして亡くなったんだな。病気か?」

「いや、自殺だったよ。二年になる手前の春先だった。理由は今も分からない。私も藍野も彼が死を選ぶほど悩んでいたことに全く気づけなかった。今でも悔やむことばかりだ」

 届いたその言葉に深津は何も答えられなかった。

 悪い仲間なら自分にもいたが、友人と言い表せる者など一人もいなかった。

 無茶をしてバイクや車の事故で急にいなくなってもその死を悼むこともなく、それも日々流れていく出来事の一つでしかなかった。数年の時を経ても故人を思うなど、弟以外になかった。

「窪田がいなくなった後、藍野は酷く落ち込んだ。彼の方が窪田とは親しかったから、私以上に何も気づけなかったことを悔やみ続けていた。あの時の藍野は見ているのもつらかった」

 線香の煙が真上の空に昇っていく。

 それを見送った実夜はこちらに顔を向けた。


「怜」

「何だ?」

「以前藍野は私に怜と窪田を重ねていると言った。初めて会った夜、藍野の目には怜が『死にたそうに見えた』そうだ。そして彼が真っ先に思い出したのが窪田だった。だからその日知り合ったばかりの相手でも、放っておけなかった。でも一緒に暮らすようになった今も時折重ねてしまっている。そのことが気づかぬ間に怜の重荷になっているのではとも言っていた。どちらも藍野には口止めされていた話だが、私は怜に言いたかった」

「どうしてだ?」

「時々だが、ある日怜が不意にいなくなってしまうような気がしている。もしかしたら私も窪田と重ねているのかもしれない。ここに誘ったのと同様に狡いやり方と思うが、この話をして少しでも怜を引き留めておきたかったのかもしれない。こんなのはお節介で重荷でしかないと分かっている。だから今日は本当に謝るしかないな……」

 こちらを見る実夜の瞳に、亡くした友人の姿が映っている気がした。

 しかし彼女が誰かを通して自分を見ていようと、深津は構わなかった。

 相手の思いを強く感じ取れば言葉は悪いが、自分がどう扱われようがそれはどうでもいいことだった。


「実夜、そんなこと気にするなよ。俺は実夜をお節介とは思ってないし、藍野を重荷になんか感じてない。大体そんなふうに考えたこともなかった。ただ……」

「ただ?」

「藍野があの夜の俺を見て、そう感じてたとは知らなかった」

「違うのか?」

「いや、どうかな? もう俺にもよく分からない……」

 深津は言葉を濁すと墓石に目を遣った。

 曖昧には返したが、多分あの頃の自分は藍野が感じた通りだったのだろう。

 二度目の死は選べなかったが、生きていく気概もなかった。

 そんな自分に手を差し伸べてくれた彼が負い目を感じる必要など、欠片もなかった。

「それじゃこれで依頼は完了か? 実夜」

「ああ」

「このお代は今夜の夕飯を奢ってくれればいいよ」

「それならお安いご用だ。怜……今日は本当にありがとう」

「何だよそれ。俺、礼を言われることなんかしたか?」

 微かな笑みを返した実夜と深津は墓地を後にした。

 雨夜に着いた頃には夕方になっていた。店を再開する実夜は札を営業中に戻し、メモボードを外している。

 このまま寄るかと、訊ねる彼女に深津は一度家に戻ると答えたが、ふと足を止めてあることを訊いていた。


「東仙さん?」

「ああ、彼のことを何か知ってるか? 自宅はどこにあるかとか、どこに勤めてるかとか」

「いいや、勤め先は話の流れで一度訊ねたことがあるが、言いたくないのか答えてもらえなかった。奥さんや娘さんのことは自分からよく話されていたが」

「それは俺も聞いたことがある」

「それくらいだな。話好きな人だったが、自分のことはあまり語られなかった」

 深津は実夜と別れると家路を辿った。

 夕刻の道を歩きながらも、東仙のことが頭から離れなかった。

 彼の顔や姿は知っているが自分が認識するのは表面的なものばかりで、どんな男であるのか何一つ分からない。

 あの夜から彼に対する疑惑は継続していた。

 再び会うことが叶えば、その時は――。

「俺は一体、どうしたいんだ……?」

 降り落ちるように零れた呟きは夕闇に溶けていくだけだった。

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