9.三年前の出来事

――三年前のその日は、百瀬ももせ健一けんいちという男の最期の日だった。


 飲んだくれでろくでなしの父親も、守るべき幼い弟もとっくにこの世におらず、箍が外れたように犯罪に手を染める日々を繰り返し、その夜も小金を貯め込んでいると情報を得た質屋に盗みに入った。

 首尾は順調だった。単独での盗みは手間も段取りも必要だったが問題なく店の金品を奪い、その足で盗品専門のバイヤーの元に向かった。

 しかし順調だったのはそこまでだった。途中出会した警ら中のパトカーに怪しまれ、不必要な逃走劇をする羽目に陥った。どうにか逃げ切ったものの、ほとぼりが冷めるまで深夜のひと気のない道を無意味にドライブすることになった。

 でも今思えばこれら全ての出来事が、この後の結末へと導くためのものだったのかもしれない。


 ああなった原因はパトカーから逃げ切った気の弛みか、ただの運転ミスか。

 道路のセンターラインを割ったのが向こうかこちらか、今ではもう分からない。

 いきなり視界に飛び込んできた対向車。避け切れず正面衝突した。

 車は大破し、まるで天罰が下ったかのようにすぐさま炎上した。

 為せる手段もなく、せっかく盗んだ金や貴金属を置き去りにしたまま命からがら逃げ出すしかなかった。

 だが現状はそんなことを悔やんでいる場合でもなかった。

 視界は流血で滲み、右脚はあらぬ方向を向き、今にも全身がバラバラになりそうな痛みが身体中を覆っていた。

 誰もいない深夜の道路を、ただ呻きながら這い続けるしかなかった。


「……あいつを……あいつを逃がさないでくれ……」


 闇に火の粉が舞っていた。

 その声を辿れば同じように地面を這う男の姿があった。

 身体は屈強だったが、ダークグレーのスーツは同じく血にまみれていた。

 衝突した車にいた彼も、かなりの重傷を負っていた。

 闇の中、互いに地面を這い、互いに混乱した状態にあったが、互いに死が間近にあることだけは確実に感じ取っていた。

「あいつを……」

 彼の視線を追えば、一人の男が立っていた。

 顔は見えず、視界が捉えたのは背中だけだった。

 男はこちらを窺うことなく、一人悠々と炎上する車の向こうに消えた。

「頼む……あいつを……」

 そう言い残して彼は息絶えた。

 最期の言葉を受け取った百瀬健一も間もなく、同じ場所で死んだ。

 ろくでなしの二十二年を送り、人生の終わりに罪もない相手を巻き添えにした。

 死んでもこの罪は贖えるだろうかと彼が最期に思ったのはそれだったが、死自体許されることがなかった。

 この世に舞い戻り、新たな身体と新たな名を得ることになった。

 そしてあの夜出会った二人の素性も知ることになった。


 巻き添えにして殺した彼の名は上原たけし、殺人課の刑事。

 彼が死の間際まで追おうとしていた男は連続殺人犯、白石しらいし環次かんじ


 刑事は執念の捜査の末に逮捕した男を移送中だった。

 それに親一人子一人だった彼には、まだ中学生の娘がいた。

 死を許されずに舞い戻った男はあの夜刑事を殺して殺人犯を逃がしただけでなく、少女のたった一人の身内を奪ったことを知った。

 唯一の吉報は逃走した白石が事故時の怪我が元で後日遺体で発見されたことだったが、それが父親を失った少女の救いになるはずなどなかった……。




******




「あいつは、本当にあいつは……白石は死んでるのか……?」

 深津は歩きながら呟いた。

 自身があの夜に見た背中が、今夜目にしたものと被る。

 しかし抱いた疑念を確実にする材料は何もない。

 深津は未だ喧噪に包まれる公園を振り返るが、そこに答えはなかった。

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