6.妹の心

「私は一緒に行かないよ。適当にその辺をぶらぶらした後はさっきのカフェで待ってる。終わったら連絡して」

 こちらも見ないアゲハにそう言い放たれ、深津は無言で頷くしかなかった。

 その後、彼女と別れて向かったのは若者が集まる街、その一角にある人気スイーツ店。

 ピンクの内装に水色と白のテーブルに椅子。周囲は年若い女性ばかりの店内で、深津は自分の居場所はここでないと念じながら、笑顔でケーキを頬張る可奈と同席していた。

「おいしー、これ。深津君も同じのを頼めばいいのに」

「俺、甘いものはあんまり。コーヒーで充分」

「あのさぁ、そういうのって一体何なの? そうやって選り好みしてると、人生の楽しい部分をいくつも放棄することになるよ。そんなのもったいないよ、人生は短いんだからさぁ」

「ああ、そうだな。その最後の部分にだけは同意するよ」

 十近くも年下の女の子に、深津は説教にも似た言葉を戴く。

 いつの間にか姉の上司の立場から友達のような立場に格下げされている気もするが、厳密に精査すれば最初から扱いはそう変わってないのかもしれなかった。


「ねぇ、それより深津君って結婚してるの? してなかったら彼女はいる?」

「いいや、してないし、いない」

「えー、割とモテそうな感じなのにー。それじゃ、いないってどれくらいいないの? 一年? 数ヶ月? 数週間?」

「それ、答えないと駄目か?」

「えー、教えてくれないのー? ケチだなぁー、減るものでもないのにー。じゃあさぁ、お姉ちゃんとは結局のところどうなの?」

「どうって?」

「実はお姉ちゃんの元彼でしたーとか? あのさ、傍で二人を見てるとちょっと違う空気感あるんだよね」

 深津はコーヒーカップに伸ばしかけた手を止めた。

 相手は子供だと思っていたが、意外に侮れないのかもしれない。

 しかし実際にアゲハとの間に何かがあるかと言え、ば伝えるものは何もない。でも改めて考え直せば、伝えるものがないのではなく、伝えられないだけだと深津は思った。


「だけど深津君ってお姉ちゃんに信頼されてるんだね。まぁ、店長さんっていうのもあるかもしれないけど」

「そうかな」

「そうだよ。私、お姉ちゃんのことは昔から見てるんだから分かるよ。仕種とか目線とか話し方とか。妹の目をあんまり舐めないでよね」

「そうか、でもそんなふうに彼女を見てるのに、会えばあんな感じになるのはどうしてなんだ?」

「えっ? どうしてって、もしかして深津君、怒ってる……?」

「いや、別に怒ってない。どうしてなのかと思っただけだよ」

「えっと……その辺のことは実は自分でも分かってるんだよね……だけどいつもああやって突っかかっちゃう。面と向かっては言わないけど、お姉ちゃんのことは本当に尊敬してる。高校の時から自分の進む道を決めて、それを叶えるために家を出て、実際にその夢に向けて今も頑張ってる。けど私はまだ何にも決められてないし、何になりたいかも分からないし、それ以前に自分の将来像が何も見えてきてない……だから自分と全然違うお姉ちゃんを見てると、焦りっていうか負い目っていうか、そんなのを感じて、いつもきつく当たっちゃうんだよね。そんなの駄目だって本当は分かってるんだけど……」

 少女は思いがけず心情を吐露した。

 先程までの小憎らしい態度や憎まれ口は、全て姉に対する思いの裏返しだった。

 だとしても随分曲がりくねった感情とも言えるが、姉を思っているのは確かなようだった。


「なーんて、深津君には思わず本心を語っちゃったけど、これ、お姉ちゃんには絶対内緒だからね」

「どうしてだ。彼女には言った方がいいんじゃないのか?」

「言わないよ。でも言わないのは意地悪なんじゃなくて、意地みたいなものかな? だって私、このままだとお姉ちゃんのずーっとずーっと後ろの方に置き去りにされたままだもの。だから私が進む道を見つけて今よりもっと頑張って、もっとお姉ちゃんに近づいてからじゃないと、何かやだ」

 深津はそう言って拗ねたように視線を逸らした相手を見た。

 そんな遠回りをせず、もっと素直に振る舞えばいいようにも思うが、彼女なりの思いもあるのだろう。

 前情報もあって最初はわがままで生意気な女の子という感想しかなかったが、それなりに姉や将来について真面目に考えている今時の女の子のように感じた。

「そろそろ戻るか」

「うん、お姉ちゃんも待ってるだろうしね」

 立ち上がって促すと、可奈は今日一番にも思える笑顔を見せる。

 店を出てアゲハに連絡を取りつつ約束の場所に向かうと、彼女は外のオープンカフェで待っていた。

 二人で歩み寄るとアゲハが立ち上がる。背後の妹をちらりと見て、彼女は申し訳なさそうな表情を浮かべた。

「ごめんね、色々迷惑かけたでしょ」

「いいや、結構楽しかったよ」

「そんな無理しなくていいよ。この子のわがまま加減は昔からよく知ってるから」

 アゲハはもう一度妹をちらりと見る。

 漂う雰囲気に不穏の影を感じないでもなかったが、その前に歩み出た可奈が口を挟んだ。


「お姉ちゃん、深津君は楽しかったって言ってるじゃない」

「あのね、気を遣ってそう言ってくれてるのも分からないの? この際だから言っとくけど可奈を中心に世の中が廻ってる訳じゃないからね。そういうところを直さなきゃ、この先苦労するのは可奈だから」

「何それ、随分上から目線だよね。そういう自分は何だって分かってるって言いたい訳?」

「少なくとも可奈よりは分かってる」

「あのさ、それ何かすごく偉そう。むかつく」

「偉くはないけど、可奈より少し多めに人生経験はしてるから、多少は言える」

「何よそれ……そんなの今ここで言われなくても分かってるよ……確かに私はお姉ちゃんのずーっと後ろにいるよ……だけどそれは好きでそこにいるんじゃない……だってお姉ちゃんがお姉ちゃんで、妹の私が妹でしかないのは、どうしようもないことなんだから! なのにそうやって言われてしまったら、私はどうやってお姉ちゃんに追いついたらいいのよ!」

「可奈、一体何を……」

「もう知らない! もういいよ! どうせ私なんかいなくなればいいんでしょ!」

「そんなことは言ってないわよ、ちょっと待って、可奈!」

 可奈は背を向けると、人混みを縫うように駆けていく。

 すぐにその姿を追おうとしたが、歩道を歩く人垣の向こうにあっという間に見えなくなってしまった。

「アゲハ!」

「う、うん……」

 振り返ってアゲハを促すが、彼女はうつむいて動く気配を見せない。

「どうした?」

「怜、私……可奈に何を言ってしまったのかな? 知らない間にあの子を傷つけるようなことを言っちゃったのかな……?」

「アゲハ……言いたいことは分かるが今は彼女を追った方がいい。悩むのはその後にすればいい」

「……うん、そうだね……」

 まだ茫然と立ち尽くす相手に声をかけて、深津は彼女と可奈を追った。

 しかし慣れない街のどこに迷い込んでしまったのか、周辺を隈無く捜してもその姿を見つけることはできなかった。

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