8.過去の片鱗

 それからの二日間もほぼ同様の作業を繰り返すことになった。

 初日の翌日、つまり一昨日にはサンルームの片づけもどうにか終え、この日も用意された昼食は前日よりまともな環境で戴くことができた。

 昨日は花壇の修復に、思うより時間を取られた。

 草刈りや落ち葉拾いのように誰にでもできる作業なら深津にも容易いが、DIY的なもの自体やったことがない。おまけに直す材料も手元になかった。

 その旨を告げると杉川には万札を数枚渡され、家から歩いて数十分のホームセンターまで出向いた。

 店員にアドバイスを貰いながら必要なものを調達して戻り、傍に立って口だけは出す杉川に困らされながらも、破損した煉瓦を取り替え、痩せた土を肥料入りのものに入れ換え、指定されていた花々を植えていく。

 初めての作業はまあまあの出来でしかないと深津は評価したが、思いの外杉川は気に入ってくれたようで、日が暮れるまでサンルームのチェアから眺めていた。


 この数日で屋敷の様相は大分まともになった。同時進行だった草刈りと落ち葉拾いも、今日の午前にようやく終えた。

 しかし多少見られるようになったとは言え、家の外観自体が変化した訳ではなく、幽霊屋敷然とした雰囲気が払拭された訳でもない。けれど深津としては希薄になりつつあった生の気配が、僅かながらも取り戻されているように感じていた。

「爺さんに言われてた作業は終わったよ。これで終了か?」

 落ち葉入りの袋を他のものとまとめた深津は杉川に訊ねた。

 今日も花壇を眺めていた杉川は、呼びかけに夢から醒めたような顔をした後に思い出したように答えた。

「……いや、次は家の中をやってもらおう」

「家の中?」

「全部をどうにかしろとは言わん。俺が今も使ってるのは、寝室とリビングとキッチンぐらいだ。寝室とキッチンは他人には触らせたくないから、お前はリビングを片づけてくれればいい。今、昼飯を持ってくる。作業は食ってからでいい」

「ああ、了解」


 口調は変わらずぶっきらぼうだが、出会った頃より言葉端が柔らかくなってきた気がしないでもない。

 それにこの四日の間、杉川は必ず昼食を用意してくれていた。

 十二時に必ず運ばれるそれは、どの日も見た目も美しいイタリア料理だった。

 どれも杉川のような年代の男性が家庭で簡単に作れるものではなく、故に深津は彼が以前料理人だったのではないかと考えていた。

 だからか彼は食事中、いつも傍でこちらの様子を見ていた。それは料理人ならではの特性と考えていたが、そう思っていたのも二日前までだった。

 隣でグラスを傾ける表情は、どこか懐かしいものを見つめているようにも映る。そのように感じ始めたのは昨日だったが、それは今日も変わらない。

 杉川の真意は分からなかった。でも何かを訊ねる気もなかった。料理を平らげた後の満足そうな表情を毎度目に映せば、全てを知ることだけがいいという訳ではない思いが過ぎった。


「ごちそうさん、今日も美味かった」

「お前、飽きずに毎回美味そうに食うな」

「だってこれ美味いじゃないか。だったら美味そうに食わない理由はないだろ?」

「言いたいことは分かるが、相変わらずの阿呆そうな受け答えだ。もうちょっと洒落た褒め言葉は浮かばんのか」

「美味いものは美味い。慣れない言葉で語っても何かを伝えられる気がしない」

「そうだな。できもしないことをお前に求めたこっちが愚かだったよ」

「でも俺、昔は飯なんて何でもいいと思ってた。けどこうやって昼飯を食わせてくれる爺さんみたいにこんな俺にも飯を作ってくれる奴がいて、その度にそいつにも爺さんにも感謝のようなものは感じてるよ」

「へぇ、お前なんぞに飯を作ってくれる人がいるのか」

「ああ、爺さんみたいに凝ったものは作らないけど美味いよ」

「それは恋人か?」

「いや、残念ながら同居人のお節介焼きの男」

「でもお前にとって大事な相手か?」

「大事? うん、まぁ大事は大事かもな。飯は作ってくれるし、家賃のほとんどを出してもらってるし……」

「いや、そういう意味で言って……いいや、この話はもういい。ここは俺が後で片しておくから、こっちに来い、怜」

 急に立ち上がった杉川を追うと、彼はリビングに向かった。これまでもトイレを借りに何度か屋内に立ち入ったことはあったが、深津がこうして生活を感じられる部分に足を踏み入れたのは初めてだった。


「やるのは天井辺りの埃取りと、窓拭きと床に掃除機をかけるくらいでいい。用具は階段下の納戸にある。俺はサンルームにいるから、終わったら声をかけてくれ」

 言い伝えると杉川は廊下を戻っていった。

 リビング見回すと、ここだけで二十畳はありそうな広さがある。

 大きな窓に古びた暖炉、部屋のあちこちに置かれた美術品の数々。重厚な雰囲気はあるが、暮らしている者の気配はあまり感じない。酒瓶や読みかけの本が放置された様子には多少それが感じられるが、他には何もなく、写真すら飾られていなかった。

 そのせいかどこか寒々と感じる。でもそれは建物の造りのせいかもしれなかった。実際空調設備がなくても外より格段に涼しく、そのおかげで作業も捗り、約一時間ほどで言い渡された作業は終了した。

 掃除用具を戻し、深津はサンルームに向かった。

 しかし、そこに杉川の姿がない。

 テーブルにはグラスと空のボトル。トイレかと思って行ってみたが姿はなく、もしや外にいるのかと庭を捜したがどこにもその姿はなかった。

 室内に戻ったが、勝手にあちこち探れば機嫌を損ねる怖れもある。

 だが昏倒した姿を発見したのは四日前。酒を飲み続け、悪態をつき続ける姿に時に忘れてしまうが、彼は重い病を患っている。

 深津は思い直すと、屋内の捜索を始めた。

 

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