4.杉川達郎
目的の屋敷に到着した時刻は、既に五時になろうとする頃だった。
陽は翳ったものの暑さの残る家の前で、深津は新木戸に渡された名刺を見下ろしていた。
簡素な作りのそれには名前と並んで『土地建物資産運用コンサルタント』とある。
持つ者が持てばそれなりに見える肩書きだが、自分のような人間が示したところでいかがわしさと胡散臭さが増すだけだった。
今日の服装を見下ろせば、シャツにジーンズ、スニーカー。説得力ゼロであるのは火を見るよりも明らかだった。
「だけどそれよりこれ、写真と全然違わないか?」
深津は呟きながら屋敷を見渡した。
渡された写真通りに立派な洋館であるのは間違いないが、目前の建物は見るも無惨に荒れ果てている。
取り囲む塀はあちこち補修が必要な状態であるのが窺え、門は片方の蝶番が外れて傾いている。建物には伸び放題の蔦が絡まり、風情どころか悪い方の雰囲気しか醸していない。誰の目をも惹く写真の中の姿は、かなり以前のものなのかもしれなかった。
深津は周囲に誰の姿もないのを確かめると、敷地内に足を踏み入れた。
門の内側に侵入すると、中の住人に気づかれないようにぐるりと一周してみる。
途中確かに、新木戸が語った庭やサンルームは確認できたが、緑溢れてもいなければ、光射し込んでもいなかった。あったのは長年放置された木々や、枯れた草花の残骸、幾年分も蓄積された落ち葉と黴に占領されたサンルームらしきもの。
屋内も覗ける範囲で窺ったが、どの部屋も暗く埃まみれなのが見えた。
その中に一室、整然と片づけられた部屋があったが、人の手が入っているのを感じられるのはその一部屋だけだった。
昔はよかったかもしれないが現在は荒れ果て、明らかに屋敷はこの住宅街の端で浮いている。
テレビでたまに見るゴミ屋敷とまでは言わないが、近所のガキ共が幽霊屋敷と囃し立てて騒いでも誰も否定できないと深津は思った。それに何よりこの建物自体に生きている気配を全く感じ取れなかった。
正面に戻ると深津は意を決して、呼び鈴に手を伸ばした。
でも何度か押してみるものの手応えもなければ、家の中で鳴っている気配もない。
仕方なくノックするが、頼りない音しか響かない。再度意を決して今度は拳で叩こうとした時、不意に扉が開いた。
「誰だ?」
扉の隙間から顔を覗かせたのは、七十に手が届きそうな老人だった。
渡された資料に記されていた家主の名は
身長は自分と同じくらいだと深津は思った。年齢の割に背筋も伸びていてガタイもいい。頭髪は大方が白くなっているが毛量はある。
バタ臭い顔立ちで、若い頃はそれなりに女性の目を惹いただろうが、それも今は気難しい表情に覆われている。
立ち退かせろと言われるくらいだから深津は頑固そうな老人を想像していたが、全くその通りだった。
「あ、俺……」
深津は早速偽の名刺を取り出して渡そうとしたが、相手の視線を感じて動きを止める。
杉川老人は何やら険しい表情で、こちらの顔を凝視している。
これからやらかすであろう不手際は多少予測しているが、まだ何もしていない。深津はなるべく下手に出る表情を作り上げて問いかけた。
「あの、何か?」
「お前、
「え……? いえ、いませんけど……」
意外な問いが戻って深津は惑うが、他に答えようがなかった。
後藤という親戚などいないはずだが、生前の記憶を頼りに答えても正しい返答ができているのか分からない。
返事に老人は「そうか……」と呟くと、押し黙っている。
問いの意図は気になるが、そんなことを考え続けても詮なかった。深津は気を取り直すと、もう一度相手に名刺を差し出した。
「俺……いや、私、こういう者で……」
頭を下げて目前の表情を窺う。
老人は名刺を一瞥してとりあえず受け取るが、秒を待たずに掌で握り潰した。
表情がより険しくなり、険悪な雰囲気が漂い始めているのにも気づいたが、ここで引く訳にもいかなかった。
「私、土地建物の資産運用コンサルタントをしております深津と申します。今回は杉川様の老後資金のお力になりたいと思いましてお邪魔させて……」
「深津とか言ったな」
「あ、はい」
「今すぐ帰れ。ここには二度と来るな」
「えっと……そう言われましても……」
「お前からは詐欺師の臭いしかしない。これまでの人生でお前と同じような輩に出会した経験はいくらでもある。相手が年寄りだと思って舐め切ってるのが見え見えだ! 大事な家をどこの馬の骨とも知れんお前なんぞに渡してたまるか! 金輪際、一歩たりとも俺の家の敷地内に立ち入るな! この阿呆が!」
数軒先まで響き渡るような音を立てて、扉は閉じられた。
深津が見上げた頭上を巣に帰るカラスが飛んでいく。
かぁと鳴く彼らが見下ろすのは、詐欺紛いの言葉しか吐けない詐欺師紛いの男。
溜息も呟きも漏れなかったが、諦めるのは自分には許されなかった。
「明日、出直すか……」
その呟きがようやく零れたのは、空に夕焼けが落ちようとする頃だった。
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