9.少女と猫
「お節介」
「もうどうにかはなったのか?」
「まだなってない」
「だったら、手伝う。日暮れも近い。明日に繰り越すのは嫌だろ?」
受け入れ難いが、そう言われてしまうと返す言葉もない。
渋々承諾した体で早速二人がかりの捜索に取りかかるが、だからと言ってすぐに見つかる訳でもない。でも発見の確率は多少上がる。言葉にはしないが、正直なところ助かったという思いが大きかった。
通りの植え込みの陰や家の間など、二人で手分けして再度の捜索に当たる。
深津は自分の持ち回り箇所を再び念入りに捜したが、状況を変えることはできなかった。二度目の捜索も残念な結果に終わり、足取りも重く待ち合わせの公園に向かうと、藍野はもう来ている。
けれども彼は一人ではなかった。
ベンチにいる藍野の隣に、小学生くらいの少女の姿がある。
腕には猫を抱いている。特徴のある模様、アメリカンショートヘア。見覚えのある銀色の飾りがついた青色の首輪をしていた。
「藍野」
深津が呼びかけると、藍野は少女に断ってから歩み寄る。
彼女を窺いつつ、深津は訊ねた。
「なぁ、あの猫」
「ああ、お前に聞いてた特徴に合ってる。多分そうだろう」
「あの猫を捜してたってもう言ったのか?」
「いや、まだ」
「親しげに話してたみたいだが、よく警戒されなかったな。そんな強面のくせに」
「最初はされたさ。でも次第に慣れたみたいだ。あの子の名前は
「はぁ? こんな短時間にそこまで話したのか? 相変わらず子供や小動物には無条件に好かれる奴だ」
「それは褒め言葉として受け取っておく」
再度ベンチに目を遣ると、少女、岡本花は優しく猫を抱いている。
猫も腕の中で目を瞑って、安心したように喉を鳴らしている。
名前の認識も曖昧な新しい飼い主の元を飛び出し、知らない住宅地を彷徨い続けて、ようやく安住の地に辿りついたようにも見えた。
「こんちは。ここいい?」
深津は藍野と歩み寄ると、少女に声をかけて隣に座った。
途端その表情に警戒心が過ぎるのが見えたがそれは当然の反応でしかなく、逆に賢明な子だと深津は思った。
しかし藍野が傍に立つとそれもすぐに弛む。いいところを全て持っていかれている気もしたがそれも当然と言えば当然だった。
「俺の名前は深津。こっちの怖い顔したお兄さんの友達」
「えっと、藍野さんの?」
「そう」
答えると少女は腕の中にいる猫を見下ろす。その横顔には何かを察した表情が浮かび上がるが、じきに顔をこちらに向けた。
大きな瞳に、利発そうな表情。
少し清菜を思い出させる女の子だった。
「この子、お兄さんの猫?」
「いいや、俺のじゃないけど、捜してた」
「それじゃ藍野さんの猫?」
「あいつのでもないけど、一緒に捜してた」
「そっか。あのね、この子、ここにひとりぼっちでいて寂しかったみたい。おいでって言ったら抱きついてきたから。でももうお迎えが来たから、寂しくないよね。よかったね、リリちゃん」
「リリ?」
「うん。首輪に名前が書いてあったよ。この子の名前はリリちゃん」
少女に言われて深津が見てみると、首輪の飾りに確かに記してある。
ララだのミケだの、あの馬鹿兄妹が言った名はどちらも正しくなかった。こんな分かり易い場所に記してあるのに気づかなかったり間違えているのは、車の代償でしかないこの猫に関心が本当にないからか。
車にしか目がない。
新木戸の言葉が蘇る。
でも自分がやらなければならないのは、あのどちらかに猫を渡すことだ。
元の飼い主の思いを汲み取るのは、自分の役目ではないはずだった。
「それじゃ猫を」
「深津」
猫を受け取ろうと手を伸ばすがその声が届いた。
深津が目を向けると、藍野は少し離れた場所に立っている。
歩み寄ると苦い表情をしているのがより分かる。何を言おうとしているか察したが、それに同意するつもりはなかった。
「お前の言いたいことは分かるが、猫はあの兄妹に渡す」
「俺はまだ何も言ってない」
「言おうとしたろ? あの子に猫を渡した方がいいんじゃないかって」
「お前が来る前にあの子と話したんだ。彼女が飼ってた猫が二ヶ月前に死んだそうだ。同じアメリカンショートヘア、名前はニコ。家族みんなで可愛がっていたらしいから、受け入れる態勢は充分にある」
「ほら、やっぱり言った」
「名前すら知らない飼い主よりあの子の方が、多分あの猫を幸せにできる。亡くなった元の飼い主もそれを望んでたんじゃないのか?」
「そんなこと俺は知らない。今更面倒なことを言って事態を複雑にするな。俺はあの兄妹に猫を渡す。その後はあいつらがどうにでもするはずだ」
「お前はそれでいいのか?」
「いいも何も、それは俺が決めることか?」
深津は藍野に背を向けると、少女の元に戻った。
敢えて言われなくても、何がいいかは分かっていた。
でもこの世には思い通りにならないことが多々ある。これもその一つに過ぎない。
猫を所有する権利を持つのは血縁のあるあの兄妹のどちらかで、家族として大事に迎え入れてくれそうなこの少女ではない。
「なぁ、その猫を渡してくれ」
深津は少女に歩み寄ると声をかけた。
彼女は寂しそうな表情を一瞬見せたが、ゆっくり立ち上がった。
その時、腕の中にいた猫が目を開けて見上げる。
〝彼女〟の碧の瞳には、自らを愛おしく見つめる少女の姿が映っている。
深津は自分にも、かつて同じように慕ってくれた相手がいたことを思い出す。
『猫のためにこの話を俺に頼んだと思えばいい』
清菜にはそう告げたが、この顛末を包み隠さず語れるとは思えない。
かつての相手と同じく、こんな自分に信頼のようなものを寄せてくれている彼女に語れない決断をしようとしている自分しかここにはいなかった。
「いや、やっぱりいい」
「え?」
「その猫はあんたにやる」
「えっ?」
少女は驚きの声を上げたが、深津自身も驚いていた。
だが言葉を取り消す気はなかった。
何がよくて何が駄目なのか、考えることはやめた。今やればいいと感じたことをすればいいと、少々投げやり気味に自分に言い聞かせた。
「その猫の飼い主だった婆さんは一週間前に死んだ。でもその猫を大事にしてくれる人がいることを死ぬまで願ってた。多分婆さんがあんたとその猫……リリを巡り合わせて、そしてリリはあんたを選んだ。死んだ婆さんが導いてリリが望んだなら、もう誰も文句は言わない」
言葉を受け取った少女はしばらく黙っていたが、顔を上げる。
瞳には涙が滲んでいたが、どんな感情が彼女の胸を過ぎったかまでは深津には分からなかった。
「藍野、お前、名刺持ってるか?」
「ああ、持ってる」
意図を察した藍野は、取り出した名刺に何かを書き込んでから少女に渡した。
「これは俺の名刺。表には俺、裏には深津の携帯電話の番号が書いてある。もし家族に猫のことを訊かれて困ったら、いつでも掛けていいから」
「……ありがとう、藍野さん。それと深津さん」
少女は名刺を大事にしまうと、長いお辞儀をする。
再び上げた顔には今日初めて見せた安堵が浮かんでいた。
この場を去る相手を見送ると、より陽が傾く。
弱い夕陽に反射した猫の瞳が最後にきらりと光ったのが見えた。
「深津、この後はどうするんだ?」
振り返った藍野が訊ねていた。
もう既にあの兄妹のことなどどうでもいい気もしたが、清菜を思えばそうする訳にもいかない。
「適当なことを言って誤魔化す」
「それで大丈夫か?」
「まぁどうにかなる、大丈夫だ。ここからは一人でやるから、藍野は先に帰っててくれ」
自ら事態を面倒にして複雑にした。
深津はそんな自分に苦笑する。
あの二人の前に言い訳を並べなければならないこの先の展開も面倒でしかないはずだったが、唇からは苦笑とは異なる笑みが零れた。
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