8.死神男とお節介男

 すぐに追ったはずだったが、どこにも猫の姿を見つけることはできなかった。

 それに名を呼んで捜そうにも、未だ猫の名はララなのかミケなのか確定していない。

 陽は傾き始めている。

 八方塞がり状態になりかけている自分に気づいて、深津は今日何度目か分からない溜息を零すしかなかった。

「どうもー、深津さん。ご機嫌いかが?」

 突然届いた声に深津は顔を顰めた。

 今一番会いたくない相手に遭遇してしまった。

 いや、遭遇と言うより向こうは多分、自分をからかうためにわざわざ来たのだろう。

 泣き面に蜂という言葉が浮かぶが、深津は力なく声の主を振り返った。


新木戸しんきど……」

「深津さん、今日も善行ご苦労様です。今回はどなたかの猫ちゃんを取り戻すって話でしたっけ? いや、猫捜しに変更になったんでしたっけ? まぁどちらでもいいですが、いい結果になるよう祈ってますよ。どんなことであろうと善行を行えば〝債務〟は減りますからねぇ」

 そこには三十代半ばの細身の男が立っている。

 シャツにネクタイにベスト、今日もそれらを微塵も着崩すことなく英国紳士のように決めている。

 一見気品ある顔立ちをしているが、一度ひとたび関わればその印象も掻き消えることになる。

 男の名は新木戸壱乃いちの、深津が密かに呼ぶ渾名は死神男。

 この男は三年前、深津に現在の姿と名を与え、今も時折善行に繋がる『指令』を出す。

 恐らく人間ではないと深津は思っている。だが似たような存在である自身も相手に何かを言える立場ではなく、けれども彼を好きでないという感情くらいは多少許されていいのではと時に思う。


「何しに来た?」

「何しにって、なんて冷たいお言葉。もちろんあなたの激励にですよ。思うに、この九ヶ月の深津さんの成長は目覚ましい。無気力にホームレスをしていた頃とは全然違いますよ。やはりこれは強面でありながら聖母の如き藍野君と清……」

「今忙しい。用が終わったなら帰ってくれ」

「ああ、相変わらずのデレのないツンですね。そういうところも私的には萌えますが、時にはデレも見たいというのが正直なところです。で、話は変わりますが深津さん」

「何だ」

「車は釣り餌ですが、願っていたのは本当です」

「は? 何だそれは? 何かの謎かけか?」

「彼らのお祖母様は誰かが本当に猫を可愛がってくれることを願っていたようです。しかしながら車にしか目がない残念なあのお二人が、それを叶えられるかはかなり疑問です」

「何が言いたい?」

「助言です。では私はこれで失礼、これからデートなので。お相手とは今日で会うのは三度目なので、きっと今晩はムフフな展開が……」

「早く帰れ」


 言い捨てると、死神男は笑みながら場を去った。

 神出鬼没なあの男を少しは信用してもいいのか、それとも全面的に懐疑的になればいいのか、深津は未だ判断をつけられていない。今現在確実に分かっているのは、あの男が随分と悪趣味な男であるということだけだった。

 陽はより傾いていくが、猫の発見には至っていなかった。

 時刻はじきに六時になろうとしていた。陽が沈んでしまえば捜し出すことはより困難になる。季節柄まだ猶予はあるが、それほど多くはないはずだった。

「こんな時に……」

 夕闇迫る住宅街を行き来していると携帯電話が鳴った。画面に表示される名を見て深津はためらいを覚えたが、結局誰に見せるでもない仕方ないという素振りを繰り出しつつ出ることにした。


「藍野、何用だ?」

『清菜ちゃんに頼まれて何かやってるそうだな』

 電話向こうの相手が早速訊ねてくる。

 情報の出所は予測できたが、一応訊ね返した。

「どうして知ってる?」

『群青に聞いた。それでどうだ? 大丈夫か?』

「そうだな、大丈夫か大丈夫じゃないかと言えば、今のところ大丈夫じゃないが、どうにかなる。でも今日は遅くなると思うから夕飯はいらない」

『そうか、手伝うか?』

「大丈夫だと言ったはずだが」

『なら、手伝いには行かないが、事情は聞かせてくれるか。行かないが』

「そんなことを言って来るつもりだろ? お前、お節介だから」

『それが分かってるなら、早く話せ』


 いつもこうやって押し切られている認識はある。故に電話に出るのもためらった。だが変わらぬ展開をいつも迎えてしまうのは、恐らくこの現状に甘えているからだろうと深津は自戒する。

 簡単に事情を説明すると、藍野は電話の向こうで頷いているようだった。

 しかし本当に来なくてよかった。迷惑では決してないが、ただこちらの感情の問題だった。

『そうか、話は分かった。でもその兄か妹、どちらに猫を渡しても結果はどうなんだって感じではあるな』

「それに関してはどうなろうが俺や藍野には関係ないよ。なぁ、一応事情は話したが本当に来なくていいからな。じゃ」

 深津は一方的に電話を切った。

 あのお節介な同居人が来ないことを望むが、彼は多分来るだろうと思った。その望まない予想通りにしばらくして長身で強面の男が、住宅街の向こうから現れた。

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