7.最悪の兄妹

 ためらう京子をどうにか立たせて、再び晴彦の元に向かう。

 深津はこれでようやく道半ばだと思った。

 兄妹喧嘩の結末がどうなるかは知れないが、もし京子の手に猫が渡らなかったとしても最初から真実を語らなかった事実を指摘すれば、彼女の望み通りにならなかったことへの言い訳の糧にもなる。

 晴彦の家に到着すると、深津は相手を呼び出した。彼は変わらず不機嫌そうに出てきたが妹の姿を見て、それはより増した。


「あのな、本人が来ても結果は同じだ。車は俺が貰う」

「はあ? 何それ? 一体どういう理屈なの? 大体兄さんは車をもう二台も持ってるでしょ? ポルシェにベンツ。これ以上はいらないはずよ!」

「は? 何台持っていようがそんなの関係ない。お前こそ、悪足掻きはやめろ」

「兄さんの方こそ、くだらない悪足掻きはやめたら? 私の家から猫を盗んだのは分かってるのよ! この意地汚い成金の泥棒!」

「よく言うよ、いつまでも自分に才能があると勘違いしてる六流タレント崩れが。もう帰れ、二度と来るな!」

 妹が来ようが、兄の態度は変わらなかった。

 目前では聞きたくもない悪態の連鎖が続くが、でも深津としては既にこの顛末をただ見守っていればいい気もし始めていた。


「じゃあな」

「待ちなさいよ!」

 兄は前回と同じく扉を閉めようとしたが、妹が咄嗟に脚を出して阻止していた。

「今からこの家に入らせてもらうわ! こうなったらあの猫に私達のどっちが好きか決めてもらうのよ! ララ、ララ、こっちにおいで!」

「やっぱりお前はバカだな。猫の名はミケだ。名前も呼べない奴に車がやれるか!」

「間違ってるのはそっちの方よ! 猫の名前はララよ、ララ! あのお祖母様がミケなんて古臭い名前をつける訳ないじゃない。兄さんこそ資格がないわ!」

「うるさい、もう黙ってろ! このあばずれ!」

「何よ、このバカ、アホ!」

「あー、何だそれ? 相変わらず貧相なボキャブラリーだな。こんなのが妹だと思うと、本当に涙が出る」

「うるさい、イヤミ男! そんなんだから彼女がずっといないのよ!」

「何だと!」

 言える立場でもないが、聞くに耐えない最悪な兄妹喧嘩だと深津は思った。

 これも言える立場でないが、二人とも人間性に問題がある。

 美人だが高慢で高飛車な妹、金はあるが他者を見下した態度が多い兄。未だ攻勢止まない彼らから目を逸らし、深津は家の中を覗き込んだ。

 広い玄関、広い廊下、シンプルだが金のかかった造りなのが伝わる。その廊下の奥から一匹の猫が歩いてくるのが見えた。

 深津自身猫の種類にはあまり詳しくないが、特徴的なあの柄はアメリカンショートヘア。

 凝った銀色の飾りがついた青色の首輪をしている。大きさや毛並みから子猫でないことが知れるが、それ以上のことは分からなかった。

 再び二人に目を戻せば、まだ言い合いをしている。好きなだけやらせてもいいが、誰かが止めなければ終わりが見えない気がした。


「ちょっと、お二人さん」

 そう呼びかけた時、するりと足元を何かが通り過ぎていくのを深津は感じた。

 それが何であるか気づいた時はもう遅かった。

 灰色のアメリカンショートヘアは門を抜け、通りの方へと駆けていった。

「嘘だろ……」

「おい、お前! 今なぜ止めなかった!」

「そうよ、今バカみたいに見過ごしてたわよね」

 向き直ると、こちらに睨みを利かせる兄妹の姿がある。

 今のは俺が悪いのか? 

 深津は心で思ったが、既に多勢に無勢でしかない。

「確か深津とか言ったな。猫が逃げたのはお前の責任だ。捜してこい」

「そうよ怜、早く行って連れ戻してきて。もし見つからなかったら、あんたのことを訴えてやるから!」

 何の罪で訴えるのか分からなかったが、理不尽な責めでしかなくとも反論の術はない。

 通りを窺うが猫の姿はもうどこにも見えなかった。

 よく知らない場所で自分のではない猫を捜す。干し草の中から針を探すような気の遠くなる思いがしたが、全てを放り出して逃げ出すには遅すぎていた。

「京子、一体何なんだあの男は?」

「知らなーい。顔はまあまあいいけど使えない男よね」

 悪口を言い合いながら仲よく家に戻る二人の姿を目に映せば、「どうしてこんなことに」としか漏れない。

「まったく、こういう時だけ結託しやがって」

 通りを歩きながら深津は負け惜しみのように呟くが、やはり現実は変わらなかった。

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