5.食い違い

 すぐと言っても喫茶店前からタクシーで十分ほど。

 到着したのは閑静な高級住宅街だった。

 辺りを見回せば、広い敷地に見合う大きな家が通りに続いている。

 時折通る住民達は主婦だろうが、小さな子供だろうが皆、それ相応の雰囲気を持った人達ばかりだった。

 深津は目の前にある家を見上げた。

 小洒落た表札には番地やローマ字表記と並んで『太田おおた』とある。

 ここまで同行した三田ハルナは既にいなかった。彼女は到着直後に目的の家を指し示すと、「向こうの公園で待ってるから」と言い放ってこの場を去ってしまった。

 今から訪問する太田家は、周囲と比べても遜色ない立派な家だった。

 この家を訪ね、ここに住む三田ハルナの元彼、太田晴彦はるひこから彼女の飼い猫を取り戻すのが今後の任務だった。


 深津は門扉に歩み寄ると、呼び鈴を鳴らした。

 間を置いて「はい」と不機嫌そうな男の声が届く。とにかく話をしなければ何も始まらず、とりあえず配達業者を装おうかと思ったが直球で行くことにした。

「太田晴彦さんですか? 俺、深津といいます。三田ハルナさんの猫の件で話があります」

 無視されるか最初から喧嘩腰に出られるか、どう来るか分からなかったが、しばらくして扉が開いた。

 姿を現した太田晴彦は二十代半ば、自身と変わらない歳の男だった。

 どんないかつい男が登場するかと思ったが、水色のポロシャツにベージュのスラックス。

 派手な三田ハルナとは異なり、この住宅地が醸す雰囲気に合った男だった。


京子きょうこの使いで来たのか?」

 男は扉の前で腕を組むと、歩み寄った相手に訝しげに訊いた。

 声は変わらず不機嫌で、表情も同様だった。

「京子?」

「あいつ、今いる界隈で三田ハルナって名乗ってるようだが、それはあの三流タレント、いや、五流タレントの芸名だよ。だがどんな名をつけようが、生来の性格の悪さと品のなさは隠せないがな」

 訊き返すと、相手は口元を歪ませて答えた。

 その言葉に深津は密かに同意を返すが、今はそれよりまずこの男、太田晴彦から猫を取り戻さなければならない。相手は一筋縄でいかなそうに見えるが三田ハルナ改め、京子が何気に示唆した暴力的解決策など、できれば最初から最後まで使いたくなかった。


「その京子さんの使いで俺はここに来たんだ。元彼のあんたが飼い猫を勝手に連れていったって聞いて、取り戻しに来たんだよ」

「は? 元彼? 飼い猫? あいつ、あんたにそんなことを言ったのか? あのな、深津さんとやら、京子にどう言いくるめられたか知らないが、あいつの言葉を鵜呑みにして言いなりになるなんて、俺からしたらあんたも京子と同等のアホでしかないよ。ご愁傷様」

 相手はそう言い放つと、鼻先でバタンと扉を閉めた。

 閑静な住宅街はより静けさを増し、この場所には放られた悪態とその場に立ち尽くす自分の姿だけが残る。

 深津は無言で踵を返すと歩き始めた。

 交渉相手にとりつく島もなく拒まれ、万事休すとしか言いようがなかったが、でも同時に今後向かうべき方向性も見えてきた。相手の言葉をそのまま受け取るなら、事前に聞いた話を一度疑ってみる余地が出てくる。

 男の言葉がたとえその場しのぎだったとしても、判断を下すのはもう一度京子に話を聞いてからだった。

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