4.喫茶『檸檬』にて

 翌日午後三時。

 深津は三田ハルナとの待ち合わせ場所である喫茶『檸檬』で彼女を待っていた。

 街の中心地、大きな交差点角にある老舗のこの店は伝統的チーズケーキが有名な店だった。故に混雑も見据えて深津は三時前から待っていたが、約束の時間を十分過ぎても二十分過ぎても彼女は現れない。窓の外を行き交う人を見るのも飽き始め、もう十分待っても来なかったら清菜に連絡しようと思った時、歩み寄る若い女の姿が目に入った。

 明るい色の髪に派手な服、一応美人で背も高くスタイルもいい。


「こっち」

 深津は手を上げて、相手に声をかけた。

 向こうはこちらの顔を知らないが、こっちは知っている。深津は昨日、事前情報として清菜から三田ハルナが所属する芸能事務所のホームページを見せてもらっていた。そこにはモデル、タレントと紹介されていたが、とりあえず深津は彼女を見たことがなかった。若干というよりそこそこ写真修正があったらしき事実も今見れば否めなかったが、彼女が目的の相手であるのは間違いなかった。

「あんたがウエハラの知り合い?」

 三田ハルナはそう言って向かいの席にどっかと座った。一応一瞥はしたものの既に視線は手にあるスマホに向けられている。

 遅刻の謝罪を殊更求める気はなかった。でも多少のリアクションを少しは望んでもいいのではと深津は思った。

 生前同じような人間を山ほど見てきた。と言うより自分もそんな人間の範疇だった。今だってそれほど根幹が変わった気はしていないが、そう思えば相手とはある意味同じ土俵にいるとも言える。この微妙な感情の落とし所は、どれだけでも捻り出せそうだった。


「そうだよ、上原清菜の知り合い。で、早速用件だけど……」

「っていうか、その前にできれば名乗ってほしいんだけど」

「ああそっか、悪い。俺は深津」

「下の名前」

「怜」

「へー。まぁこの後の用件ももちろんすごく大事なんだけどさぁ、あんたよく見たら、なかなかいい男ね」

「そりゃどーも」

「イマイチパッとしないあの子の知り合いって言うから、どんなダサいのが来るかと思ってたけど期待以上よね。あのさ怜、実は私、今特定の人がいないんだー。どう? この件が終わったら私と付き合わない?」

「あー、悪いけどセフレなら間に合ってる」

「はあ? セ、セフレ??」

「俺さ、ドSプレイしかしないけど、ハマると癖になるよ。そうなると抜けるのも大変だけどね。今相手は男女混合で五、六人ほどいるけど、一人抜けた時には入ってもいいよ」

「な、何よそれ! そ、そんなのいらないわよ! あんた、こっちから誘ったからって勝手にいい気にならないでよね! 大体私のどこがセフレ志願に見えるって言うのよ!」

「え、違うの? そういうふうにしか見えなかったから、そういう類の誘いにしか思わなかった」


 こちらが放った言葉に相手は表情を凍らせる。その顔はじきに怒りで充ち満ちていくことになった。

 感情の落とし所はどれだけでも捻り出せるはずだったが、つい嘘を並べて同じ土俵で勝ち取ろうとしてしまったことを深津は多少後悔する。

 してしまったことはしょうがないが、このまま機嫌を損ねた状態にしておく訳にはいかなかった。見るからにプライドが高そうな相手の機嫌をどうやって回復させようかと考えていると、なぜか折れたのは向こうだった。


「ま、まぁいいわよ。腹はすんごく立ったけど、あんたみたいな男の方がこの件に向いてると言えば向いてるわよね。ねぇ訊くけどあんたって、腕は立つ?」

「ああ、まぁそこそこ。でも向こうが格闘家みたいな相手だったらすぐに白旗を振るけどね。だけどこの話ってすぐさまそういう展開が必要な話? 俺が聞いてるのは、あんたの飼い猫を元彼から取り戻せばいいって話なんだけど」

「そ、そうよ。も、元彼から私の猫を取り戻せばいいのよ! 何よ! 馬鹿にするだけじゃなくて、今度は私を疑ってるの?」

「そういう訳じゃないけど、今後の段取りは一応聞いておこうと思って」

「そんなの必要ないわよ! あんたは今からあの男の家に行って、あの男に一言ガツンと言ってやって、私の猫を取り戻せばいいだけなんだから! あいつ、ホントにむかつく! 私の留守を狙ってあの猫を勝手に連れていったのよ! あの猫がいなきゃ、私……」

「あの猫?」

「は? あんた、いちいちうるさいわね! 毎回いらない揚げ足取りなんかしなくていいわよ! いい? さっきあんたが言った酷い言葉の数々は忘れてあげる。だから私の言うことは何でも聞くのよ! 分かった? 怜!」


 命令口調で言い放たれようと、相手に返す言葉は何もなかった。

 これは矮小な溜飲を下げるために余計な面倒の種を撒いた自分のせいでしかない。

 こちらの感情がどうだろうと今更途中退場する道もなく、こうなったらもうこの件は彼女ハルナの望みを叶えるためと言うより、清菜の心の平和のために必ずやり遂げなければならなかった。

「あいつの家はここからすぐだから! ついてきて!」

 相手は立ち上がると、息巻いて店を出ていく。多少は秀でた美貌も台無しになるような姿だった。

 その背後を深津は無言で追うしかなかった。

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