3.彼女が失ったもの

「そうじゃない、俺はやらないとは言ってない。単に事情が知りたかっただけだ」

「でも……」

「だったら清菜、猫は好きか?」

「え? はい、大好きです。今はいませんが、亡くなったお父さんも好きだったので昔家で飼ってました」

「それなら清菜はその三田という女のためじゃなく、彼女に飼われてる猫のためにこの話を俺に頼んだと思えばいい。その猫が元々幸せだったかまでは分からないが、元の居場所に戻ることができたら、本来の飼い主じゃない男の所にいる状態よりは多分マシだろ。そう思えばいい」


 そのように言い伝えたが、清菜の顔から迷いは完全には消えなかった。

 自分が話を断れば、強引に請け負わされたとは言え、清菜は依頼人の女に負い目を背負うはずだと深津は思った。

 ならば自分は依頼を引き受けて、強引に話を請け負わせた相手から依頼料として金をぶん取ってやる方が理に適う気がした。それに強引さなら負けていなかった。この先は迷う相手のために、こっちが強引に話を進めるだけだった。

「それじゃ清菜、俺はこの先どうすればいい? その三田って女に直接会って話を聞けばいいのか? ほら、せっかくのアイスコーヒーがぬるくなる。飲みながら話せよ」

 もう一度声をかけると、清菜は顔を上げる。

 この数分で彼女の中でも色々葛藤はあったと窺えたが、最後はどうにかこちらの意図に沿ってくれたようだった。


「三田さんとは明日約束をしてます……詳しいことはその時に話すと言われてました……」

「そっか、分かった。それなら明日、俺が彼女に会ってくる。待ち合わせ場所はそれを飲んだら教えてくれ」

「はい……分かりました」

 正面で黙ってアイスコーヒーを飲む姿を見ながら、深津は思った。

 真面目でいたいけなこの少女に、自分は言い伝えられない負い目がある。それは言葉にもできなければ、その一片を口にすることすらできそうもない。

 もし彼女が自分から何かをぶん取って、それが解決するなら一切抗わずに従う。

 でもそれは自分の全てを差し出しても、〝彼女が失ったもの〟に代えられることなど決してなかった。


「なぁ清菜、この前の話だけど俺、誕生日に何かやるって約束してたよな。それって何が欲しい?」

「え?」

 無論こんなもので代替になるとは欠片も思ってなかった。しかし藍野の忠告に従って、発言の責任だけは取ろうと思っていた。

「俺は何を渡せばいいか全然見当がつかないし、藍野もあの通りだ。実夜は直接訊けって言うし、なぁ何が欲しい?」

「えっと、何もいらないです」

「あのな……確かに俺は年中金欠気味だが、贈り物の一つくらい……」

「いいえ、そういうんじゃないです。だけどもし……深津さんが何か贈ってくれるって言うなら私、今度夜にこの店に来てみたいです」

「えっ?」

「まだ昼間しかここに来たことがないんです。だから十八才になった記念に深津さんと夜にこの店に来たいです。あの、もちろん深津さんが迷惑でなければですけど」

「えーっと、そんなのでいいのか?」

「それがいいんです」


 そう言って少女はようやく笑みを見せる。

 その柔らかな表情に深津は笑い返すが、心中は曖昧な思いで埋め尽くされていた。

 彼女の言葉の裏に隠された好意的意味を素通りするほど、鈍感でもない。その思いを何も考えずに受け取って、悦に入るのは簡単だった。

 だがそれが自分に許されるものでないのは、重々承知していた。

 深津は思う。もし出会ったことすらこの罰の一部だとしたら、自分はこれからどのように彼女に接すればいいのだろうか。

 得た瞬間に全てを失う身も凍る罰を受けると分かっていてもこの日々を享受し、いつか不意打ちのように喪失する日を待てばよいのだろうか。

 でももしかしたらそれを畏れることすら、許されないのかもしれない。そう思えば唇からは自虐の笑みしか零れなかった。

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