第十六話 : 幽霊と歌手⑥
ここ何回か目が覚めると夢の中の幸せな気持ちとあれは夢だったのかという絶望感とのギャップに苦しくなる。
無意識で鼻歌を歌ってしまうくらい気分が良かったはずなのに、夢の中でいた場所と同じはずなのにどうしてこんなに苦しく感じてしまうのだろう。
夢の中で幸せな一日を過ごしたはずなのに目が覚めればおそらく幸せではない一日がまた始まる。
そんな喪失感から逃れられない。
私は体を起こしてベッドから立ち上がる。
今日は事務所に行かなければ行けない。
夢で言われた通りの事を言われるかもしれないと思うとより気分が沈む。
私は仕方ないので出かける準備を始めた
◇
「熊井さんさぁ、もっと楽しい感じで歌えない?確かに仮歌だから音外さないとか大事なことがあるけど雰囲気も伝えないと作曲者さんに失礼だと思わない?熊井さんの歌聞くと楽しそうじゃないんだよねぇ」
そう言われた瞬間私はハッとなってしまった。
夢で言われた言葉と一字一句抑揚もまったく同じだ。
「作り手と歌手を結ぶ役割なんだから責任感というかなんというか、気持ち?みたいなのを持ってやってもらわないと困るんだよね」
次の言葉も全く一緒。
この後に来る言葉も私はわかる。
「聞いてる?まぁ今回はもういいや」
やはり一緒だ。
夢と全く同じ。一字一句変わらない。
これが
これほどまで夢の通りに進むものなのだろうか。
「すみません。次はもっと頑張ります」
私は夢と同じセリフを返す。
ムスッとした事務所の人の対応さえ夢と一緒だった。
一体どうなっているのだろう。こんなに夢と現実が同じなんてあり得るのだろうか?
代わり映えしない日々であることは間違いないが一緒ということはあまりないのではと思ってしまう。
乗換駅から最寄りの駅までの電車に乗り換えるとやはり夢で空いていた席が空いている。
何が起こってるかはもうすでに頭に処理できない。
「ねえねえ。この前かおりがSNSで上げてた写真ってどこのカフェだったの?」
「この前上げてたやつ?あぁ!広尾のカフェのやつだよ!お店の建物にくっつく感じで大きい木が立ってるのよ!」
「広尾!すごいじゃん!セレブじゃん!」
向かいの席に座っている女子高生二人がキャッキャと他愛のない会話をしている。
これも夢の中で話していた内容と全く一緒だった。
東京の高校生はそんなオシャレなところに行くのかと思って記憶に残っていたのだ。
「カラオケトールでーす!割引券ついてますー!」
最寄り駅に着いてカラオケ店のポケットティッシュを若いお兄さんに渡される。
これもやはり夢の中と全く同じだった。
ここまでくると家に帰れば同居人幽霊がいるのではないかと思ってしまう。
コロッケをスーパーで買ってから家に向かった。
「ただいま帰りました」
一応言ってみたが家には同居人の幽霊はいなかった。
私は服を着替え紅茶を淹れる。
「俺は歌とかよくわからないんですが熊井さんの事がわからないんです。
俺は、俺は熊井さんの事を聴きたいんです!
何を思ってるか、何を考えているのか。
聞かせてください!あなたのことを!」
彼の言葉を思い出す。
私は夢でしたようにアコースティックギターに手を伸ばす。
右手を振り上げ息を吸う。
「誰にも届かなくたって」
「世界はこんなにも輝いているんだから」
「歌にしよう」
「私が明日を見失わないように」
思い切り歌った。
夢ほどではないが心地よかった。
目の前には幽霊はいない。
けれど目をつぶれば彼の泣いていると思われる顔が浮かぶ。
「こんな感じですかね」
私は頭に浮かんだ人に言う。
「すっごくよかったです。どこがいいとかここがいいとかは上手く言えないですが、すっごくよかったです」
そう言われたような気がした。
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