真実を探し求めて  ~恋愛資本主義経済社会~ (限定公開)

塚田誠二

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 月島誠人は、五センチほどの円柱型のプラスチックに、それを覆うように薄い金属部品をはめ込んだ。これで百個目が完成した。

 愛知県豊田市にある自動車部品製造工場で働いて、もうすぐ一年が経とうとしていた。本日は二〇一三年三月十五日金曜日。彼は公立高校を卒業してから一年間の浪人期間を経て、地元の国立大学に入学した。卒業後、エスカレータ式に大学院へ行き、三年間かけて修了した。専攻は米文学で、英語を深く追求したい、英語を生かした仕事をしたいという理由からだった。よって歳は現在、二十七歳になる。

 しかし結局去年の四月、今の部品組み立ての仕事に就いた。学んだ内容は、今の仕事とは何の接点もない。実際、車メーカーでの部品の組み立て業務は、英語を全く使用する機会の無い肉体労働だった。この流れだと、人生の道筋が理路整然としていないように思われる。

 しかし彼にとって、それは至極真っ当なことで、考えに考えた結果であった。それには大きな理由があったのだ。彼は一度、高等学校の英語教師を志したものの、人とコミュニケーションを取ることに極度な苦手意識があることに気づき、結局教師をすることを断念した。だから就職活動の時は、人と話をしなくて済む仕事に就いて、長い目で続けていきたいと思っていた。仕事中はマイペースに、他ごとでも考えながらのんびり過ごして、お金を稼ごうという甘い考えを働かせていた。マイペースな仕事と、趣味における新しいことへのチャレンジ、この二つを目標にして、入社当初はここで骨を埋めるつもりで働いていた。

 しかし、今年に入る頃には誠人は全くやる気を失くしていた。まず大きな理由として、延々と部品を組み立てるという作業が退屈でしょうがなかった。大量に同じパーツだけ入った段ボールから部品を取り出して、手作業で組み立てていくだけの作業。さらに楽だという入社前の想像からはほど遠く、正直きつかった。それは毎日仕事のノルマを課されたからだった。例えば、朝開始の午前九時から終礼の午後六時までに五百個を組み立てる、といった具合に目標を立ててから仕事をするよう命令された。もしそのノルマをクリアできなければ、こなす側つまり誠人に非があるとして、スピードを上げる方法を上司から指摘された。また指定された個数を組み立てられなければ、当然残業を強いられた。誠人は残業が嫌々ではあった。しかし残業代が出るならまだましだと思い働いた。彼は終礼までにノルマがクリアできそうにないと判断すれば無理に焦らず、故意に仕事を遅らせて金を稼ごうとする、ずる賢さも兼ね備えていた。

 不景気のご時世なのに、ありがたいことに注文はたくさんあった。誠人は仕事を面倒がっていたが、会社を運営をしている幹部連中は仕事があることが幸せだと思っていた。そしてこの状況に安心していた。会社の規模は大手メーカーの下請けである中小企業程で、仕事は祝日も出勤することが義務付けられていた。一年も経とうとしていたこの頃、正直彼はこの状況の全てに疲れ切っていた。

 誠人は思った。こんな仕事、もううんざりだ――。俺は国立大学の、しかも大学院まで出た人間だ。その俺がこんな部品組み立て作業なんて誰でもできる仕事なんかやってられるか――。それに時代は機械化が進んでいるんだ。こんな簡易作業、機械に任せればいいじゃないか。俺は意志を持った人間なんだぞ――。休みや給料だって、大手の会社や公務員より圧倒的に少ない。友人にだって堂々と紹介できない会社だ。そのうち辞めてやる。本当に辞めてやる――。

 現在誠人が付き合う友達は、高校時代の男友達五人のみで、彼はこれまで女性と付き合ったことが一度もなかった。見た目はどこにでもいそうな普通の細見の男で、身長も百七十五センチある。大学時代に女性と付き合うチャンスはいくらでもあったが、好きになれないのに付き合うのは相手に申し訳ないという理由から恋愛には奥手だった。

 更に誠人は自己中心的な人間だった。他人の気持ちなんてどうでもよかった。だから相手に合わせて行動する時間があるなら、自分だけの時間を多く取り、趣味に時間を割く道を選択した。

 二十七歳にもなると友人を含めた周りは結婚を意識する人も増える。ショッピングセンターで赤ん坊を連れて歩く同級生を見かけたこともあった。しかし、誠人に焦りはなかった。人は人、自分は自分だという、どこから生まれてくるのかわからない漠然とした自信みたいなものがあった。とにかく自分を可愛がり、自分の人生を大切にしようと常に言い聞かせて生きていた。


 翌週の月曜日だった。その日は誠人の人生を左右する一日となった。週の始まりで、また退屈なルーティーンが始まったと思い、作業場に向かおうとしたその時だった。

「月島君――」技術部長の井上は低い声で、誠人に呼びかけた。

 誠人は背中の方から声をかけられて背筋に寒気が走り、立ち止まった。嫌な予感がしたのだ。恐る恐る振り返った。

「仕事の前に少し話したいことがあります。今から会議室に付いて来てください」井上は真面目な顔で、誠人を見ながら言った。

「はい、わかりました」その言葉を聞いた井上は付いてくるようにと言わんばかりに靴音を立てて歩き始め、誠人は井上の持つ大きな権力に抗うことなどできず、言われるがまま背の低い井上の頭を見ながら付いて行った。

 工場の隅にある六畳ほどの会議室に入ると、井上は誠人に席に着くよう指示した。

「最近暖かくなってきたねえ」井上はまず作り笑顔で、誠人に声をかけた。

「はあ、そうですね」誠人は顔を窮屈そうにほころばせた。井上が誠人を安心させるために天気の会話から始めるのが見え見えで嫌気がさした。そんな冗談を聞きたい気分ではなかった。説教されることは井上の表情を見た時からわかっていたし、早く本題を言ってもらって、さっさと席を立ちたかった。

 井上は誠人が真面目に話を聴く気がない、早く話を切り上げたいことを察した。すぐに苛立った表情で、眉間に皺を寄せて本題に入った。

「率直に伝えよう。仕事のアウトプットが悪いらしい。つまり作業時間に対する仕事量が、他の社員に比べて圧倒的に君は少ないんだ。その自覚はあるかい?」

 まさにだった。実際誠人はそれを言われるんじゃないかという予感を働かせていたのだ。「……はい、あります」正直に答えた。最近は仕事を辞めたい一心で働いていた。ミスをして上司に怒られる回数も増えていた。

「みんなと同じようにやらないと――。入ったばかりなんだから歯を食いしばって、頑張って素早く作業をするんだよ。間違えたら叱られて、精一杯努力して仕事を覚える。必死に仕事をしなきゃ――」話す間、井上は真剣な目を崩すことはなかった。

「あっ、はい……」誠人はその場から逃げたかった。井上が一昔前の考え方に固執した体育会系の男だ、と冷静に思ったりしながら、真面目に考えないように努めた。

「ミスも多いと課長から聞いている。これ以上私も言いたくない。これからしっかりできるね?」

 ここで誠人の心で保っていた糸が切れた――。心に小さな穴が開いた。それはたちまち大きく広がっていった。そして何か熱いものが込み上げてきた。仕事に対して保ち続けていたやる気が失われていく――。

「わかりました。お話したいことがあるので、一週間ほどお時間をいただけますか?」

「えっ――?」井上は誠人の目に、ここでの仕事に臨む上で欠くことのできない集中力が失わわれているように感じた。井上は誠人に時間の猶予を求められた理由を考えるために、視線を初めて空中に外した。数秒間考え、誠人の気持ちを察知した。

「まさか辞めるのかい?」

「はい、そうしようと思います。ただ少しだけ考える時間をください。やはり仕事を辞めるということは人生の大きな決断なので、慎重に考えたいと思います」

「――もちろん。私は辞めるように言うつもりはないからね。とにかくじっくり考えてみて――。ただ、仕事のパフォーマンスは他の社員と同じ程度まで、引き上げてもらわないと困る。それに関しては一歩も譲れないよ。上司としてそれは君にきちんと申告しなければならない――。それは大学院まで出た君ならわかるよね――。組み立て業務を続けるか、別の新しい道を選択するか。君に残された道は二つに一つだ」

「はい、わかりました」誠人はもっともだと思った。井上は即決力とリーダーシップのある良い上司だと思った。そして短い会議は終わりになった。

 誠人はそこから作業場へ向かう途中に、はっきりと決意した。この仕事を辞めることを――。自分の仕事量が少ないことはわかっていた。でも真面目に仕事をしていたつもりではあった。努力しているつもりも自分なりにはあった。だからこれ以上仕事のパフォーマンスを上げるよう求められても、正直無理だと思った。続ける気力が切れた。また井上をはじめとした、真剣に仕事をする人間の気持ちを踏みにじってはならないと思った。

 誠人は作業場に戻ってもすでに気持ちが仕事に向かなくなっていた。これまで実家から通って貯めてきた貯金が二百万円ほどある。これを元手にしばらく自由気ままに過ごしてみようと思った。それを思うと、解放感が生まれて気持ちが楽になった。

 その日も部品の組み立てをしながら、これからのことを考え続けたがその時ばかりは何も浮かばなかった。

 第一、車の部品を作るなんてのが地味すぎる。俺には他にできることがある。自分にしかできないことがきっとあるはずだ――。今までさんざん上司から注意されてきた。正直悔しかった。今に見てろ――。皆を見返してやる。有名になって皆から注目を集められる存在になって見せる。俺はこんなところでくたばる人間なんかじゃないんだ。


 翌週の月曜日になった。今週で三月が終了する。約束通り井上と面接をする予定の午前十時になった。事務作業をしていた井上に一言声をかけた。

「井上部長。お話の時間になりましたが、よろしいでしょうか」

「はいよ。先に行って待ってて」井上は優しい表情で誠人を見た。

 誠人は先に会議室に入り、先週と同じ席に座った。そして自宅の自分の部屋の三倍程の高さの天井をぼんやりと眺め、一つ深呼吸をした。意図して肩の力を抜こうとしても緊張が抜けない。そして机の上に、昨日書き上げた退職願を置いた。すると井上が入ってきた。

「お待たせお待たせ」井上は柔らかな表情で入ってきたが、机の上のその紙を見つけるやいなやすぐに表情を引き締めた。席について一つ呼吸をすると、誠人を見て言い放った。

「退職するってことでいいね?」

「はい、今週末、三月一杯を持ちまして退職させていただきます。どうかお受け取りください」

 井上は何も言わず、その手書きの紙を手に取った。そして言った。

「君はまだ若い。まだ人生のチャンスはいくらだってある。ただ一言アドバイスしよう。一歩動きなさい。月島君だけじゃない、最近の若い子、皆に言えることなんだけど、動き出すことをしないんだ。腕を組んで他人の文句を垂れるだけ。それじゃ、誰も味方になってくれないよ――。月島君の次の一歩に期待しているよ――」

「はい」誠人はその言葉がじわりと心に染み渡った。やはりこの人は良く人を見ている――。少し目頭が熱くなった。

 井上は誠人の様子を和らいだ表情で見つめた。

「他に何か言っておくことはあるかい」

「いいえ。本当に今までお世話になり、ありがとうございました。少しだけここで気持ちの整理をさせてください。すぐに仕事に向かいますから。今週最後まで普段通り、いやいつも以上のパフォーマンスで仕事をしたいと思います」

「うん」井上は誠人を優しい目で見返すと、立ち上がり、今度は表情を引き締め一人会議室を後にした。

 誠人を天井を見上げて再び、今度は長い深呼吸を、瞳をゆっくり閉じてした。

 そして二〇一三年三月二十九日金曜日、ちょうど一年間になる自動車部品製造工場での最後の仕事を終えて、誠人はしばしの休息期間に入った。

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真実を探し求めて  ~恋愛資本主義経済社会~ (限定公開) 塚田誠二 @Seiji_Tsukada

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