うちはにぎやかな方がいい
第一話
それはある土曜日の夜、なんの前触れもなく再開された。
真夜中にふと目を覚ました私は、暗い天井を見ながら、なぜ目が覚めたのだろうかと考えていた。夢の中で、ことりという音が聞こえたような気がした。何の音だったのだろう。どうしてその音に、こんなにも過敏に反応したのだろう。
そのとき、私の耳が足音を捉えた。
一階を何かが走り回っている。軽やかな足取りは、家族の誰のものとも違う。
「おかあさん」
隣の布団で眠っていたとばかり思っていた桃花が、ばっと起き上がって私に抱き着いてきた。
「なんかいる」
私の胸に顔を埋めて、桃花が呟いた。
足音はたったったったと下を走り回り、急にとんとんとんとんと調子を変えた。階段を上っている。私は桃花を強く抱きしめた。
たったったったったったっ
部屋の前の廊下を、なにかが走り回っている。
ドアを開ける勇気などなかった。私たちは布団の中で抱き合って目を閉じた。一刻も早く朝になってほしい。その一念で、必死に眠りに落ちようとした。足音はいつまでも廊下を行き来した。
おそらく、気絶するようにいつの間にか眠ってしまったのだろう。気が付くとカーテンの向こうが明るくなっていた。隣では桃花が寝息を立てている。頬に涙の痕がついていた。
寝不足のために頭痛がした。今日が日曜日でよかった、と心底思った。こんな体調で出社できる気がしない。私が身を起こすと、それを悟ったらしく桃花も目を覚ました。
「はしってたよねぇ」
桃花はそう言って、私の顔を不安そうにのぞき込んだ。
のろのろと身支度をして一階に下りると、目の下にひどいクマを作った母が私に「おはよう」と言った。
「お父さんはもうちょっと寝るって。ほら、ゆうべの……」
ふーっと憂鬱そうな溜息をつく。あまり口に出したくない、という感じだった。私も同じ気持ちだ。
「おはようございまぁす」
朝食の支度を終え、洗濯物を抱えて出てきた綾子さんだけは、いつもと同じように朗らかだ。リビングからテレビの音が聞こえる。祖母がいるらしい。
「ちょっと……悪いんだけど朝ごはん、コーヒーだけにしとこうかな」
母がそう言った。
「あら、そう? おかあさん、大丈夫? 風邪でもひいたかな」
心配そうな綾子さんに、母は何か言いたげだったが、それを飲み込むように「大丈夫」と答えて首を振った。
桃花といっしょにトーストを食べ、温かいスープを啜った。お腹に何かが入ると、少し気分がマシになる。食事を終えてリビングに行くと、やっぱり祖母がテレビを観ていた。傍らに母が座っている。
「おばあちゃんは、なんとも思わないのかしらねぇ」
母が半ば呆れたように言う。こと祖母に関しては、認知症が進んでいるのが幸運だったのかもしれない、と思ってしまう。
祖母は何かもごもごと口を動かしていた。桃花が「おばあちゃん、なにかいった?」と尋ねながら顔を覗き込んだ。
「しいちゃん」
「もー。またまちがえてる! ももかだよ!」
祖母はにこにこしながら、桃花の頭をなでた。「ゆうべいっぱい走ったねぇ、しいちゃん」
胸がひどくざわつくような感じがした。
午前中のうちに桃花と外に出た。家以外のところにいたかったのだ。
鬼頭さんはあの人形は応急処置だと言っていた。やっぱり一時しのぎに過ぎなかったのだ。私たちがやるべきだったのは安寧をむさぼることではなく、その間にあの家を出るべきだった。そういうことではないのか。今さら考えても仕方のないことをつらつら考えつつ、桃花の手を引いて近所の公園に向かった。
春めいた、いい天気だった。空は青く、暖かい風が吹いている。公園には何組かの親子連れや、犬を散歩させる人などが歩いている。小さな子ども用のイスがついたブランコに乗せてやると、桃花は楽しそうに「おして!」とせがんだ。
ブランコの背もたれを押してやりながら、帰りたくないなと思った。これから別の家に帰ることができるならどんなにいいだろう。ぐるぐると考え事をしていると、桃花が突然大声を上げた。
「おとうさん! おとうさんだ! おかあさん、おとうさんがいるよ!」
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