第六話

 桃花はまだしばらく眠っているだろう。私はふたたび階段を下り、靴をひっかけて庭に出た。

 門扉のところではまだ、父とさっきの女性が話をしている。父が絡まれているのかと思ったら、そうではないらしい。

「む、むりっ。無理です。その、わ、私、ここは入れません」

 女性は必死にそう訴える。父は反対に「それじゃ困ります。家を見ていただけるんじゃないんですか?」と言い、彼女に中に入るよう勧めているらしい。

「ちょっとお父さん、何やってんの? その人知り合い?」

 私は父に声をかけた。女性は私の方を見て、何度も瞬きしている。特徴に乏しいボブカットと地味な服装も相まってか、相変わらず年齢のよくわからない人だ。私よりも年上のように見えるが、二十歳そこそこの若い女の子のようでもある。あまりにも正体がわからない、不思議なひとだ。父はその人を指して、

「美苗。彼女は鬼頭きとうさんといって、霊能者だそうだ」

 と言った。

「はぁ?」

「ここを買った不動産屋に紹介してもらった」

「で、で、でも、無理です! わ、わたし、ほんと、その、ごめんなさい、わたし、その、よ、弱いので」

 鬼頭というらしいその女性は、父に何度も頭を下げている。事情はよくわからないが、見ているうちになんだか気の毒になってきてしまった。しかし父はあくまでも粘る。

「そうおっしゃらず、ちょっとだけでもお願いできませんか?」

「いえっ、もうその、は、入るのからして無理、む、無理です! ご、ごめんなさいごめんなさい」

「ねぇお父さん、無理に引っ張ってきても仕方なくない? こんなに無理って言ってるんだし……」

 というかこの人本当に霊能者? という言葉を、私は飲み込んだ。

「そうは言うけどなぁ。この家はその――あるじゃないか」

 言いにくそうな顔をする。真面目でリアリストだと思っていたけれど、父もやっぱり「この家には何かある」と考えているのだ。

「そのっ、こ、これ、これだけお渡しします」

 鬼頭さんは肩にかけていた大きなバッグから、人形を一体取り出した。人気アニメのキャラクターで、UFOキャッチャーで取ってきたような代物だ。特別なものには見えなかった。それを門扉越しに父に押し付けながら、彼女は言った。

「こ、これ、その、あの部屋に入れてください。は、入っちゃいけないっていう、その、あるじゃないですか」

 鬼頭さんのたどたどしい話を聞きながら、私はいつかの朝、部屋の前に落ちていた首のない人形のことを思い出していた。あの人形の素朴さと、この人形のチープな感じには、どこか似通ったものがあるような気がしたのだ。

「――怒られませんか?」

 その言葉が口をついて出た。

 父は顔をしかめている。一方で鬼頭さんはといえば、ぱっと顔が明るくなった。まるで異国で、珍しく日本語が通じる人に出会ったような表情をしていた。

「そ、それなら、だ、大丈夫だと思います!」

 彼女は自信ありげに宣言した。

「で、でも、その、いつまでももつわけじゃなくって、あくまで時間稼ぎっていうか、そ、そういう感じで」

「あの……」

「一時的に、ちょっ、ちょっとよくなるだけなので! その、ええと、また来ます! 準備してっ!」

 そう言うと鬼頭さんは私たちにぺこりと頭を下げ、道の向こうへとどんどん走っていってしまった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る