第85話 発表

「今回の作品ですが・・・。」

声が響く。ホテルの宴会場で開かれる記者会見。久しぶりにカメラの前に立つ山下。緊張というはより楽しんでいるように見える。お世辞にも旬とはいいがたい元アイドルのために、たくさんの報道陣が集まっている。未だ世間が注目する人物なのかと思うと、嬉しさよりも緊張感が増す。


主演の俳優さんの質疑応答が始まる。この役者さん目当てで記者は集まっている、必死でそう思い込もうとする。実際そうなのだろう。大きな話題になる映画でも、そうそう演出家の顔は印象に残らない。山下はあくまで、裏方さんだ。出演陣には質問が多く飛び交う。


さほど長い時間ではなかったのかもしれないが、私にはとても果てしなく感じる待ち時間だ。この記者会見が山下の婚約発表を兼ねていると知っているのはごくわずかな人間だけ。突然私がマイクの前に立ったら、騒然とするのが目に見えている。


この日のためにドレスを買うと山下は言った。

「バカげてる。」

私は相手にできなかった。

「私はタレントじゃないのよ。50歳を過ぎた田舎の喫茶店オーナー。数分のために着るドレス一着より、長く着られる安い服がたくさん欲しい。」

心からのプレゼントを突っぱねられたわけだが、すぐに納得したのか私にはシンプルなスーツが用意された。誰もが見たことのあるロゴが裏地に縫い付けられている。僅かな時間のために、こんな高い物じゃなくていいのにと思わなくもないが、ここは素直に従って袖を通した。


何かに集中していないと立っていられない。変な汗が額と背中ににじんでいる。貧血の症状に似ている。お腹も痛くなってきた。横で付き添ってくれている山下のスタッフの腕を掴むと、一瞬驚いた表情を見せたものの、私の表情を見て全てを察したのか、静かに背中をさすってくれた。


「最後に、私事で恐縮ですが、皆様に報告があります。」

倒れる一歩手前の私を、山下の声が現実に引き戻した。会場がざわつく。一度おろした機材をもう一度構えるカメラマンたち。

「長きにわたり俺を支えてくれた女性とこの度結婚することになりました。今日は、ファンの皆さんにも紹介したくて、ここへ来てもらっています。」

スタッフの指示で中央へと歩み出ると、閃光で全く前が見えなくなった。


「もういい、消して。」

翌日の朝のリビング。どのテレビ局も結構な時間を割いて、西園寺亘婚約のニュースを取り上げていた。フラッシュのまぶしさに目をつぶる私の映像が繰り返し映し出される。その後の記憶がほとんどない。

「なんで?メイ、テレビカメラ初めてなのに堂々としてたじゃないか。」

確かにテレビの中の私は、笑顔で記者の質問に答えている。でも、現実的じゃない。ただのおばさんがいきなりテレビで婚約会見をするなんて。


概ね、山下の作戦は成功したと言っていいだろう。結婚をみんなに報告したいという気持ちが、映像を通してまっすぐに世間という見知らぬ人達、そしてメディアの人々に伝わった。さらに言えば結婚適齢期でもないし、旬な男でもなくなっている。その結果、今日もいつも通りの平穏な朝を迎えている。家の周りに報道陣が集まるというような事態にもならなかった。


「テレビ、観たぞ。」

親方とお弟子さんのご来店。

「この後の番組でもまだやるんじゃないか?」

山下がリモコンを触ろうとするので、素早く取り上げ、ジャズを流す。

「もう、いいってば。」

「えー、さつきキレイだったぞ。リモコン返せ。」

リモコンの代わりに、モーニングのセットがテーブルに並ぶ。

笑いが絶えない一日の始まり。


行ってらっしゃい。いつも通りのお見送り。

また、藍ちゃんの通学時間と重なって、軽トラックに乗り込んでいく姿が見えた。


カランコロン。

「おはようございます。」

「あ、いらっしゃいませ。」

おばあちゃんの息子さん。

「こんな時間に、仕事休み?」

「いや、いてもたってもいられず、仕事休んで来てしまいました。さつきさんがテレビに出てて、西園寺さんって、あの西園寺さん!?」

ひどい慌てっぷりに、山下が大笑いしている。

「な、メイ。俺はもうすっかり町の人間ってことでいいよな?アイドルは卒業だ。オーラなんてものは最初っからないっ!!」

「え、いや。そんなつもりではなく。なぜ気づかなかったんだろう・・・。」

「その方が、山下も気が楽でいいのよ。これからも山下でよろしく。」

私の言葉に本人もうなづいている。


「改めて、おめでとう!」

続々と親しい顔が入ってくる。手には野菜や果物を持って。

「おう!みんなありがとう。俺、また舞台の仕事でホテル住まいになるから、その間メイのこと頼むな。」


この人と、文字通り家族になる。当たり前すぎて実感がわかない。






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