第83話 ドラ息子再訪

おばあちゃんの息子さんが、最近よく町を訪れるようになった。


最初は店でコーヒーを飲み、実家でお線香をあげて帰るだけだったが、少しずつ滞在時間が長くなっている。カウンターで隣り合わせた町の人と話がはずんでいるようだ。早くに実家を離れているとしても、長く住んでいる人は幼い頃の彼を知っていて、思い出話に花が咲く。本人の記憶にはないような少し恥ずかしい話。


「おめーは、いつまでもおむつが取れなかった。」だの、

「3歳まで何言っているか分からなくて、お母さんが心配してた。」だの。

しわ一つないスーツに身を包んだ中年男性の眉間にしわが寄る。

「誰にでもある話じゃないですかー。」


中学進学と共に一人町を離れたらしい。

この町の閉塞感が嫌で、自ら寮のある学校への進学を希望したようだ。多感な時期にたくさんの友人や情報の影響を受け、ますます故郷への足が遠のいた。今頃になって、親が汗水たらして働いた結果、自分の生活が成り立っていたと気づいて、泣きながらお線香をあげている。少し気づくのが遅い。愛情がなければ息子を私立の中学校へ進学させて地元を離れさせ、人知れず応援するなんて絶対に出来ない。おばあちゃんに対して愛情がある私は、会話を聴きながら、時折怒りや悲しみを感じていた。二人とも可哀そうすぎる。


「あの、山下さんはいらっしゃらないんですか?」

会話の途切れたタイミングで尋ねて来た。

「山下、仕事復帰の準備をしていて、最近は東京でホテル暮らしです。こっちに帰って来るのは月に2,3回ってところですね。」

「仕事復帰?このお店以外でもお仕事されてるんですか。」

「そうです。演劇の裏方さんみたいなお仕事なんです。」まだあまり詳しく話してはいけない。

「へぇ、そうなんですか。芸能界みたいでちょっと異世界ですね。お店はお一人で大丈夫なんですか?宜しければ手伝いますね。」

「ありがとうございます。町の方には遠慮なく助けていただいてるんですよ。」

そんな話をしている間にも、大工さん達が自分の食べたものを各自キッチンまで運んでいる。それをまねて彼も自分のカップを片付ける。


「山下が、西園寺だって気づいていないみたいだったぞ?そんなことある?弁護士さんが遺言書読み上げた時、西園寺って言ったのに聞いてなかったのか?」

その日の夜の長電話。

「あるある。」全然驚かずに笑っている。

「最近特にそう感じることが多いかな。見知らぬ人と目があった時に、相手が自分を知っていて目を合わせているかどうか分かるんだよ。一瞬『はっ』としたり。そういう人がすごく減った。彼も俺が名乗ったら気づくのかもしれないけど。」

確かに今の山下には全盛期のオーラはない。町にしっかり馴染んで、少し太った。人に見られる仕事から離れている間に、浅黒く日焼けして、しわが増えた。それでも私は心のどこかで自分の大切な人は元アイドルだと常に意識している。世間はいつの間にかそんな私たちを置き去りにしている。


「でもさ、楽でいいよな。この間コンビニに帽子もマスクもつけずに入ったんだけど、誰も気づかないんだぜ。一般の人ってこんな風に暮らしてたのか。今なら一人くらいサインしてくれって来られても笑顔で対応できるんだけどなぁ。」

昔、行く先々でファンにもみくちゃにされ、どれほど大変だったかを語り始めるその声が、少し遠くで聞こえる。


「メイ、息子さんどんなつもりで町に来てるのかな。」

「私も同じこと考えてた。実家を返せって言われるのかと思ったけど、今のところそんな感じでもないんだよね。様子を見てるのだとしたら少し怖いけど。」

「帰って来たいのかもしれないな。」

確かに、今の彼には実家とか母親の存在が身に染みるのかもしれない。


「おばあちゃんは何を望んでいるかなぁ。」

「みんなの幸せじゃないか?そういう人だ。だから、喜ばせるのは難しくない。」

「でも、それだと与えてもらうばかりで申し訳ないよね。」

「あの人は俺たちが次世代に自分と同じことをするのを望んでいるのかもしれない。そもそも、自分にお返しなんて求めてなかったと思うぞ。そういうとこが大好きだった。ま、彼女なりに俺たちから与えてもらった物もあったと思いたいけどな。」

山下の言葉で、自分の心の中につかえていたものがすっと取れた気がした。



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