第82話 復帰公演
「仕事はどうなの?順調?」
忙しい合間にかけてきてくれる電話がいつまでも終わらない。毎日顔を合わせていると会話もその都度済むのに、離れるとお互いの近況報告が長い。お互いが話したいというよりは、二人とも相手の話を聞きたがっている。白い月は高く小さくなり、カップの底に残ったコーヒーは冷めた。
「うん、順調。演出って大変だけど面白い。メイには分からないかなぁ。脚本が自分の手で立体的になっていく気持ちよさ。」
「よく分からないけど、それは相当気持ちよさそうだな。」
わけの分からない相槌に二人で笑ってしまう。
「キャストも決まって、ポスターやパンフレットの撮影が始まった。」
「いつも思うけど、このタイムラグって気持ち悪くないの?」
「何が?」
「だって、出演者の人はまだ台本もなくて、ストーリーも分からないのに衣装だけ着させられて写真撮るんでしょう?気持ちが乗らないっていうかさぁ。」
「ははは。そんなこと言ってたら劇場で販売するはずのパンフレットが公演終わってからじゃないと作れないな。みんな慣れっこだ。筋肉を動かすだけ。カメラの前で言われた通りの喜怒哀楽を作る。」
「そんなもんなんだねぇ。」
遠い昔、学校の発表会みたいな場で、裏方さんをやってとても楽しかった記憶がある。みんながステージに上がりたがるなか、私は幕の上げ下ろしをしたり、舞台装置の転換をしながら、自分がいなければこの舞台は成り立たないと思っていた。
実際、そうだったんだと思う。役者だけでは成り立たない。山下は表舞台の楽しさや厳しさをこれでもかという程体感したのち、裏から演者を支える道を選んだ。素晴らしい事だ。
「メイ、もうすぐ制作発表の記者会見がある。」
「そうだね。」
「来てくれる?」
「そうだね。」
テレビの中で作られたキャラクターと本人のそれにギャップがありすぎて潰れてしまうタレントがたくさんいる。優しそう、たばこ吸わなさそう、お酒飲まなさそう。人はクリーンな物を勝手にイメージして、現実とのギャップに失望し、途端にファンをやめるだの、見損なっただの、悪口のオンパレードとなる。
テレビで見るまんまの人だ、山下はそう言われたい。その気持ちはよく分かる。楽だもの。たばこも吸うし、お酒を呑みすぎると質が悪い。それが山下そのものだ。
「俺はこの人と結婚します。」
自分自身、そして私にとって全く関係のない、世間という人々にそう報告したいというまっすぐな思いが伝わってくる。普通に生きて来たものにはさっぱり理解できない世界だ。見ず知らずの人に結婚を知らせる理由がない。行きかう人々にそんな報告をすれば変な人と思われるだけだ。山下は違う。自分にとって見ず知らずの人であっても、向こうは自分のことを多少なりとも知っている。知られてはいても、よく思われているか悪い印象を抱いているのかが計れない。とても怖い関係性だ。そんな人達にプライベートな報告をする。恐らくそうすることがベストなんだろう。何も言わずに役所に届けを出し、夫婦だからと食事や買い物に出かけると、目撃者から何を言われるか分からない。写真が流出するのも早い。今の時代、街行く全ての人がカメラマンだ。
何が普通かも考えない。山下に任せることにしよう。守るって言ってくれたし。いつ表舞台に戻ると言い出すかもしれない元アイドルの演出家。そんな人と人生を共に歩む。そう決まったのだから、これからは今までの人生ではあり得なかったことがたくさん起こるのかもしれない。良くも悪くも。
「俺、もう長い間、結婚とか家族とか考えてなかった。この仕事してると、普通の人が当たり前に手に入れる物って手に入りにくいんだ。買い物とか旅行とかもそう。その代わり、夢のような体験をいっぱいさせてもらえる。仕事の集まりだと、ホテルのランクも食事のランクもいい。」
「特権だよね。特に羨ましくはないが。」
「俺さ、結局両方手に入れられるんだ。これからはプライベートも幸せだ。まぁ、この町に来てから幸せは始まっていたんだけど。人生の後半が充実してるって、すごいうれしい。」
「大げさだな、相変わらず。」
そう、山下は大げさだ。きっと私たちのこれからと今までには大差ない。アイドル全盛期から山下はわりと私の近くにいて、いろいろな気持ちを分け合ってきた。お互いの生活スタイルは変われど、心の距離感は一緒だ。
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