第81話 線香

「おばあちゃんの息子さん、お線香あげに来てくれたんだよ。」


ホテル住まいの山下に電話をかける。

「え?あのドラ息子が?メイ、一人で大丈夫だったのか?」

「それがさぁ、最初お店に来てくれたんだけど、誰だか分からないほど見違えちゃって。」

店のベンチでコーヒーを飲みながら長電話。今日も月が白い。


「そうか。やっぱり母ちゃんはちゃんと育てたんだな。」

私が思っていたのと同じことを山下が言葉にする。

「山下にも会いたがってた。」

「俺に?」

「うん、ちゃんとお詫びしたいみたい。店にも謝罪目的で来たんだから。あの時は本当にすみませんでしたって。」

「へぇ。わだかまりがなくなるのはいいことだよな。俺も見違えたドラ息子に会ってみたい。」

私一人しかいない店で、あの男が暴れたのを想像していた山下にとって、相反する穏やかな結末に心から安堵しているようだ。


「アイツ、母ちゃんが生きている間に改心できなかったのかな。」

私はこんな時に心に浮かんだ言葉をいちいち口に出さない。山下がそれを一つずつ取り出して音にしているみたいだ。

「母ちゃん、寂しかったと思うぜ。大切な子供が歪んで育っちゃって。」

「そうなんだよね。今になって悲しくて寂しいって言って、遺影の前で泣いてた。他人の私が一緒にいるのに、そんなの気に止めずに泣いてた。会えないところへ行ってしまう前にお互い話すべきことがあったよね。」


「それで?」

「それでって何が?」

「遺産の話しにきたんじゃないの?」

山下の一言でハッとする自分がいる。全く想像していなかった。

「何も言わずに帰った。元々自分の実家なのに、私がカギを開けて、もう一度戸締りするのを当たり前みたいに見てた。」

「どうするのが正しいんだろうねぇ。」

「あの家は、残したい。」

「俺もそう思う。母ちゃんの生きた証だからな。」

「でも、誰も住まないまま放っておくと家って古くなるよね。」

「まめに掃除しに行かないと。」

「そうなんだけど、自分の家の掃除も追いついてないよ。山下掃除してんの?」

「汚い・・・。」

してない、じゃなく汚い。改装して日の浅い家がもう汚いのか。男ってみんなそういう生き物なんだろうか。しわ一つない衣装で舞台に美しく立っていた人とは思えない。

「でも、店のキッチンはいつもきれいにしてくれてるよね。」

「料理とコーヒーの楽しさに目覚めてから、キッチンはきれいであるべしと思った。」

「部屋も同じだって。シーツだけ交換しておくから。」

「ありがと、メイ。」


合鍵で部屋に入りシーツを交換して洗濯物を自分の家に持ち帰る。

なんだか、負けた気がする。忙しいのはお互い様なのに。

ベッドのサイドテーブルに写真が飾ってあった。私の後姿。場所は休憩処もみじ。いつの間に撮ったんだろう。


写真を飾る習慣がない私には山下の行動が女々しく思える。写真を撮り、写真立てを買い、写真をプリントして飾る。中学生の頃、後輩に大人気だったサッカー部の同級生が、いつも写真をせがまれていた。あの写真たちはこうやって飾られていたのか、手帳に挟まれていたのか。今はどんなおじさんになっているのだろう。山下はどんな気持ちでこの写真を撮ったんだろう。何気ない一枚。いつも見守ってくれている安心感。山下の素直な気持ちがありがたい。人が作ったレールを歩いているように感じた会社員時代。この町に引っ越してから大きく人生が変わった。自分で道を作りながら生きている。そしていつも山下がいる。推される山下はいつの日からか私を全力で推し続けてくれていた。

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