第80話 改心

山下は家を空けることが増えた。


それでもなんとか生活のリズムがきちんと掴めるようになり、私は店を一人で切り盛りしながら、農家さんの手伝いもしている。食事メニューが出せそうにない日は「今日はドリンクのみ」と看板を出すまでだが、必ず誰かが手伝いに来てくれて困ったことがない。


カランコロン。

今日も玄関のカウベルが鳴る。ちょうどよかった。モーニングのお客さんが立て込んだから、町の人だったら、洗い物を頼めるかもしれない。そんな期待を裏切る仏頂面の男が入り口に立っていた。


「いらっしゃいませ。」

仏頂面なのに、清潔感のある服装で身なりはキチンとしている。目が合うと逸らしてしまうところに不信感を感じるけれど。

「ごめんなさい、テーブルが良かったら片づけるのでお待ちくださいね。カウンターならすぐご案内出来ます。ちょっと混んじゃったものですから。」

「あ、いや。」

歯切れが悪い。


「何か?」

じっと人の目を見て話す山下の影響で、私も人と話すときは意識して目を見るようになった。それだけでぐっとお互いの距離が縮まる。でも、この人の視線は私から逃げるように床を見たり、手元を見たりしている。

「あ、いや、客じゃなくて。あ、カウンターでいいです。」

口の中で言葉がもごもごしている。今、客じゃないって言った?でも、結局カウンターに座っている。額からは変な汗がにじんでいる。

「ホットコーヒー。」メニューを見ずに注文をしてきた。でも視線はじっと自分の手元を見ていて、そこにはまるでメニューがあるかのようだ。


「ホットコーヒーね。かしこまりました。お待ちください。」

ようやく、いつもの流れになり、お水の入ったグラスとおしぼりを並べる。コーヒー豆を挽いて、蒸らしている間に散らかっているテーブルを片付ける。

目を合わせたくないくせに、やたらこっちを見ているのが分かる。同年代の男性。ちょっと気味が悪い。山下がいてくれたらと思うが、接客業を選んだ以上こんなこともある。


「お待たせしました。今日のコーヒーです。」

「一昨日焙煎した豆なので、今日が一番おいしいと思いますよ。」つい、聞かれてもてもいないことをしゃべってしまう。一瞬男が顔を上げる。


「あ!あなた。」

私に声を上げられ、うつむいてしまった。

「おばあちゃんの息子さんじゃないの?」

ひげを剃り、髪を整え、きちんとした服で現れた人は自身の実家で亡き母の遺言書を巡り、大暴れしたその人と同一人物とはにわかに信じられなかった。


「元気にしてたの?」

怒っていたはずなのに、久しぶりに会ったその人を見ると、そんな言葉が自然に出る。目元がおばあちゃんにそっくりだ。私の表情を見て少し安心したのか、コーヒーを一口飲んだ。

「美味しいですね。」

あんなに大声を出していた人が、ボソボソと喋る。それでも手間ひまかけて作った珈琲を褒められると悪い気はしない。

「良かった。お口に合って。」

「あの。本当に申し訳ありませんでした。」

急に立ち上がり、大声で謝った。腰を90℃まで曲げてカギカッコみたいになっている。

「え、いやいや。ちょっと落ち着いて。どうしたの急に。」

今までいるかいないか分からない状態で、カーペットみたいに広がって眠っていたもみじが、驚いて吠えるとその声で初めて犬の存在を知った男も驚いている。


「あ、すみません。ワンちゃんびっくりさせちゃって。」

もみじの目をみてほほ笑んでいる。

「大変な失礼をして申し訳ありませんでした。山下さんにもお詫びしたいのですが。」

「山下は仕事で最近いない日が多いの。連絡しておくけど。」


「今頃になって、母を亡くした実感が湧いたと言いますか、恥ずかしい話ですが、寂しかったり悲しかったりするんですよね。情けないです。」

「墓に布団は着せられぬとはよく言ったもんだ。」

「本当にその通りなんです。さつきさんもご家族大切にして下さい。」

そう言われて私が思い浮かべるのは両親ではなくて、山下の顔だ。私も親を亡くしてからこの人と同じような思いをするのかもしれない。


「今さら、こんなお願いをしていい物か迷ったのですが、実家で線香をあげてもいいですか?」

「もちろん。」

カギの束からおばあちゃんの家のそれを抜き取り、一旦店を閉める。

「外出しています。」の看板を立てかける。仕事を掛け持ちする私のために親方が作ってくれたものだ。


「この歳ですし、仕事を探すのにも苦労しました。」

そう言って笑う姿は清々しい。やっぱりおばあちゃんは立派に子育てをしたんだ。この姿を見せてあげたかった。息子の成長、近いうちに始まるであろう私の結婚生活。大切な物全てが彼女の命と引き換えに得られている。両方を望むのは贅沢なんだろうか。二人でおばあちゃんの家を目指す道すがら、私はこっそり泣いた。



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