第79話 演出
家の周りで色々なことが起こる中、山下の復帰も着々と準備が進んでいる。
コンサートや演劇を観に行くと、パンフレットに必ず書かれている「演出」の二文字。スタッフの中で一番上に名前が掲げられる人だ。どんな仕事をするのか詳しくは知らない。ただとんでもなく厳しい仕事なのだろうなという想像はつく。脚本がどんなに面白くてもそれが演出家の手によって立体的にされた時、客の心を掴まないことだってある。オープニングの数分でこれからどうなるんだろうと観客をワクワクさせるテクニックをどれだけ持っているか、時には脚本にどれだけ忠実に舞台を作れるか。照明や音響のセレクト一つで印象が変わる。それぞれのシーンで客の気持ちにはまる音や色を埋め込んでいけるか。
アイドルなんて、ただ言われたことを黙々とやっているだけだと思っていた。はい、ここで笑って、ここでターン、ここでカッコつける、みたいな。山下は確かにダンスが上手い。それを教えることは出来るかもしれないが、演出となると難しいのではないかと私は思っている。でも本人は全くそんな風には考えていない。いつだってやりたいことをやる、それだけ。それが趣味ではなく仕事に結びついているのは素直にすごいと思う。アイドル業、俳優業、そして休憩処もみじを軌道に乗せたのも山下だ。
「俺の復帰作、ミュージカルになった。」
まだ、世の中の誰も知らない情報が私の耳にいち早く届けられる。
「出来る日は店にもちゃんと出るから。好き勝手やってごめんな。」
「店の心配はしなくていいから。」
業界では、西園寺亘の復帰に期待を寄せている人が多々いるらしい。本が仕上がり、キャストが決まれば大きなニュースになるのだろうか。
「チケット売れるといいね。観に行きたいなぁ、山下が作った舞台。」
全く、私の言葉に反応せず、少し苦い顔をしている。
「何?」
「俺さ、隠し事したくないんだ。」
最初、言葉の意味が分からなかった。
「何か隠してるの?」
「隠しているつもりはないんだけどさ、聞かれなかったからって話さずにいると、あとであらぬところからバレた時に大事になるからさ。自分の口で、自分のタイミングで話したい。」
「だから、何をさ?誰に?」
肩をすくめて指をさす。ここは改装を終えた山下の自宅ダイニング。指の先には増築された部屋がある。食事をしながら、スパッと物を言わない山下に私はなんとなくもどかしさを感じ、山下はここまで言って気づかない鈍感な私に困っている。
「は?」
使用頻度の少ないその部屋には、おばあちゃんの家から持ち帰って来たドレスがかけてあった。
「俺が復帰するとなったら、絶対に作品の制作発表記者会見が開かれる。そのタイミングで婚約発表もしたい。できたらメイも一緒に出て欲しい。」
「え?ちょっと待って、それってさ。」
私、さらし者じゃない?という言葉をギリギリで飲み込んだ。50過ぎの初婚。相手は元アイドル。それだけで十分な変わり者だ。わざわざ見ず知らずの人にまで、マスメディアを使ってご挨拶するまでもない。コアなファンが店に来て、攻撃されたら大変だ。でも山下は本気だった。
「空想彼氏。俺の仕事って女の子達に妄想の恋愛を楽しんでもらうことなんだ。だから、具体的な規則はないけど結婚NG、彼女NGっていう暗黙のルールがあった。」
そりゃそうだろうな、なんとなく分かる。めんどくさい仕事に就いたもんだと気の毒に思うこともあった。
「俺、メイと一緒に堂々と食事したり旅行に行ったりしたいんだ。途中で変な記者に追いかけられて写真撮られたりしたくない。そのためにも公表したいんだよ。会見をした結果、何か起こったら絶対に俺が守るから。」
昔、追いかけられたのを思い出す。付き合ってもいなかったのに、ネタにさえなればハイエナたちは容赦ない。
「私たちってさ、一日も付き合っていないよね。友達から兄弟みたいになってさ、恋人っていう期間がなくて家族になった。」
「そうだなぁ。」
「そういうエピソードも、記者の人たち喜びそう。変だもん。」
タレントハグ。私が勝手に名付けた。クイズ番組で優勝しただけで抱き合う人たち。山下はそんな人だから、しょっちゅう私を抱きしめた。私だけじゃなく、町の人も。挨拶の時は必ず握手をする。最初は違和感を感じていたのに、いつの日か当たり前になって慣れてしまった。でも、それだけ。握手とタレントハグ。手を繋いで出かけたり、キスをしたり、そういう世間一般で言う当たり前のことをしていない。
「山下、ちょっと手を貸して。」
隣に座って頼んでみた。何の疑問も抱いていない左手がすっと近づいてくる。繋いでみた。指を絡ませて恋人繋ぎ。
「おわっ。つめてぇな。大丈夫か?メイ。」
「冷え性なんだよね。」
きちんと答えないまま、その日は終わった。でも、記者会見、私はきっと出席するんだろう。
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