第75話 裏方
「俺さ、もう一度舞台の仕事やってみようかと思って。」
山下の告白は突然だった。
いつか、そんな日が来るかもしれない、来て欲しい、頭のどこかでそう考えていたのか、突然でも驚かなかった。
「いいんじゃない?」
驚いたのは山下の方だ。
「反対しないの?」
「反対して欲しいの?」
時に私たちは不毛な会話をする。
「山下が自分のやりたいことに挑戦するのに、反対する必要がどこにあるのさ。」
「そうだけど、店あるし。」
「店は、元々私が始めたんだから。何とでもする。それは私が決める。」
「一人で大丈夫?」
「一人じゃないでしょう。山下にもこれからだって相談するし、困った時に助けてくれる人はたくさんいる。」
そうそう、一人じゃない。
安心したのか、少しずつ夢を語りだす。
「脚本とか、演出とかやってみたいんだよね。お客さんが、ぱぁって笑顔になるような舞台を作ってみたい。役者を育てたりダンスを教えたりさ、そんなこと。」
「それは楽しそうだ。」
まずは私の言葉を聞いた山下が、ぱぁっと笑顔になる。
「縁の下の力持ち。」
「そうだね。大切な裏方さんだ。」
お客さんはステージに立っている人を見に来るが、その人を支える裏方さん達なしに舞台の幕は開かない。その人数は計り知れない。そこが理解できないまま脚光を浴びた人は、あっという間に忘れ去られていく。
山下はいつでも感謝していた。そして、今あえてその仕事をやってみたいと言い出している。
「私が応援しないはずないよね。」
大喜びして両手を握る。
「でもさぁ。」
舞台で全国行脚となると、今までのような生活は出来ない。
「ちょっと、寂しいな。」という言葉を飲み込み、
「体、気をつけてね。若くないんだから。」に変換した。
「もちろん。今日もしっかり飯食うぞ。」
「ワイン開けよう。」
「藍は飲めるようになるかなぁ。」
「まだ、高校にも行ってないでしょ。」
閉店の看板を掲げた喫茶もみじはその夜、いつまでも灯りがともっていた。
引退して何年も経っているが、西園寺亘という名前を知らない人は少ない。
未だにファンと名乗る人が店を訪ねてくるし、テレビで懐かしの映像が流れる時は必ずと言っていいほど、西園寺のダンスシーンが出てくる。そして、スタジオの同世代タレントたちが沸き、次世代タレントたちも称賛している。
裏方とはいえ、復帰となれば話題になるだろう。
期待に沿える仕事が出来ればそれは次に繋がるし、そうでなければ記者たちの餌食になる。そのプレッシャーを思うと、私の胃が痛む。
逆に明日に目を向ける山下はとても楽しそうだ。
テラスに出て、何かの歌を口ずさみながら足を高く上げる。曲のかからないダンスが月明かりに浮かぶ。ここ数年、魅せるためのトレーニングはしていないはずなのに、動きが美しい。宙に舞ったつま先がきれいな弧を描いて地面に降りる。
時を忘れ、グラスの中でワインが温まってしまう。贅沢な時間。
「うわっ、やっべー。足つった。」
一秒前から想像も出来ないカッコ悪さで店に戻ってくるいつもの山下。
「真剣に体作っておかないと、教えたいものが伝わらないんじゃない?」
「明日から走り込みだ。」
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