第74話 片付け。遺書。

声をかけるまでもなく、私たちが長い二度寝から目覚めておばあちゃんの家を訪ねた時には、親方は一仕事終えたところだった。


「おぅ、来たのか。疲れてるだろうに、ご苦労さんだな。」

疲れているのはお互い様なのに、気持ちよく相手を労う。だからお弟子さん達が離れない。よく、もう一人立ちできるのにと嘆いているが、みんな親方の下で働きたい。世間一般のポンコツ上司からすれば、羨ましい悩みだ。


「俺たちのやる仕事なんて大してないのかもしれないな。」

親方の言葉通り、どの部屋もこざっぱりとしていた。いつか来るその日に誰にも迷惑をかけないように、そんな思いで生活していたのだろうか、タンスや押し入れに無駄な物がほとんどなかった。掃除が行き届かないとはいえ、いつ訪れてもキレイな部屋だったが、収納スペースの中まで気に留めたことはない。もし、ここに元々びっしりと物が詰まっていたのだとしたら、長い年月をかけて一人で片付けていたのだろう。結婚して子育てをした思い出とともに、全て処分してしまったのか、亡きご主人や子供の物と思われる品は少なく、自身の最低限の服や家財道具だけで大きな家は成り立っていた。


「これ、開けていいもんだろうか。」

親方が一通の封書をテーブルに置く。

「引き出しの一番奥にあった。」

テレビドラマや漫画でしか見たことがなかった。

きれいな和紙の封筒に、「遺言書」と筆で書かれている。

とてもきれいなおばあちゃんの文字だ。


「これは絶対ダメだろう。弁護士さん呼んだ方がいいのかな。」

いつだって突っ走りがちな山下が制した。たまに至極まともなことを言う。

「弁護士って、この番号か?」

親方が固定電話の脇に立てかけられていた電話帳を持ってきた。そこにはあいうえお順に名前と電話番号が丁寧に書き込まれている。定められた順番を守らず、裏表紙全面を使って大きく書かれた電話番号と名前に目を止めないわけにいかない。

「いつからここにこんな番号が書いてあったんだろう、息子の連絡先を探した時は気づかなかった。」

「本当に弁護士と連絡とってたのかな。」

口々に疑問がわく。


そういえば、親方が息子と連絡を取ろうとしたときに持ってきたのは小さな手帳だった。カレンダーやアドレス帳が一体になっている、一般的なシンプルな手帳。

「ここを調べて欲しいと言わんばかりにあの手帳はテーブルに置いてあった。」

電話帳は最後に開いてもらえるようにと、手帳をカモフラージュに置いたのだとしたら、そこには一体どんな意味があるんだろう。ひっそりと且つしっかりと終活を進めたおばあちゃんの気持ちを思うと、計り知れない寂しさが襲う。


恐る恐る問題の番号に電話をかけてみる。

「遠野法律事務所です。」やっぱりだ。

と思うのと同時に、いつの間にとか、なぜとか、小さな疑問がフツフツと湧いてくる。

明るい声の主に、順を追って今電話をしている経緯を伝える。

「分かりました。先生に代わります。」

代わって出て来た女性は、穏やかな口調で言った。

「事務員に聞きました。この度はご愁傷様です。山下様ですか?」

「いえ、違います。長井です。長井さつき。」

「失礼いたしました。山下様か長井様から連絡があると思うと聞いておりましたものですから。」

また、小さななぜが追加される。


遠野弁護士は私の心に寄り添いながらも、大切なことは簡潔に事務的に伝えて来た。

「内容を確認して一緒に封をしました。故人の遺志で控えを私が保管しています。

ですが、勝手に開封しないようにお願いします。」

淡々と話は進み、開封する日程も決められた。


「ちょっと待って、息子さんがいるはずなんです。」

「聞いております。私からも連絡を取ってみます。当日彼にも出席してもらった方がいいですからね。」


おばあちゃんは自分の身にもしものことがあった時に、息子が駆けつけないことまで予想していたのか。弁護士さんもそれを見越して話をしているように聞こえる。怒りや悲しさ、寂しさ、そんなものが押し寄せては去りを順番に繰り返す。


「メイがそんな顔をしていても仕方ないから。」

山下の一言で我に返る。電話を切ってから私はどんな顔をしていたのだろう。


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