第67話 新装開店
親方は急ピッチで喫茶店を仕上げた。
途端に忙しくなる。焙煎機の搬入。店の引っ越し。この辺は頼まずとも店を愛してくれる町の人がこぞって助けてくれる。全員分の昼食の準備をしながら、業者に頼んだ方がよかったかと思わなくもない。そして、様々な届け出と移転の案内。町の人と集うために趣味の延長でやっていた時とは違う。スマホを駆使して姿の見えないお客さん達にもお知らせをしなければならない。親しい方や常連さんには手紙を準備する。そのために写真を撮り、地図を作る。焦りや苛立ちが先行しがちな私と違って、山下はそんな作業も嬉しそうに取り組んでいた。
店を移転した後、今の店の改装が始まる。山下の新しい家のことだ。2階の寝室を使える状態にしたまま、少しずつ1階を変えていく。1階が完成した後、2階のシャワールームを取り壊して部屋を一つ2階にも増やすことになった。
今まで山下が借りに来ていたのは洗濯機だけだったのに、工事が始まると当分の間キッチンも貸さなければならない。男が部屋に出入りするとなれば、相手が女であってもそうだけど、いつものように部屋着で家の中を気ままにウロウロ出来なくなる。ストレスが雪だるま式に増えていきそうだ。でも、家さえ完成してしまえば洗濯機も自分の物が置けるようになり、私のプライベートスペースにしょっちゅう出入りすることがなくなる。少しの辛抱だ。
そんなことを考えているのは私だけで、山下ももみじも喜んでいた。まだ工事が始まってもいないのに、どっさり買い物をして母屋に持ってくる。
「メイのキッチン、しっかり使ってみたい。」
いいも悪いも言ってないのに、食材を並べ手際よく切っていく。山下の足元にはもみじが控えている。不器用な私は台所でしょっちゅう食材を落とし、それがもみじのおやつになる。彼女にとってキッチンはおやつが降ってくる魅惑の場所。今日は当てが外れた。手早くカットされた食材は一つももみじの口に入ることなく、フライパンと鍋に振り分けられていく。しびれを切らして小型犬特有の甲高い声でワンと鳴いたもみじに、笑顔でしゃがみ込んで小さい野菜を与えている。
さっきまでビニール袋に入っていた食材たちが、きれいに皿に盛りつけられるまでかかった時間はとても短い。チキンのトマトソース煮、長芋のフライ、チーズとキュウリのマリネなどなど。いただいた野菜や冷蔵庫にある物も総動員して、二人分には十分すぎる料理が完成した。テーブルに全てが並べられた時、調理器具は洗い終わっている。
「メイ、早く。温かいうちに食べよう。」
エプロンを外しながら、私のノートパソコンを閉じる。ふくらはぎにはおやつが足りなかったもみじがしがみついたままだ。
家族ってこんな感じなのかな。
一緒に食事をしながら思う。今日あった何気ないことをお互いに報告しあったり、テレビに突っ込みを入れたりしながら、山下の手料理を食べる。ワンパターンな私の料理とは全く違う。いつの間にこんなに上手になったんだろう。あんなに何もできなかった人が、私の少し前を歩いて道を切り開いている。
「お店、なるべく早く再開しないと生活が大変だ。」
「大丈夫。」
いつだって、大丈夫としか言わない。大丈夫ではなくなった時に初めて心配するようにしているらしい。そう言われるとなんとなく大丈夫な気がしてしまうから不思議だ。
食事が済んだら、二人で古くて新しい店に行って、設置したての焙煎機を使ってみよう。
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