第71話 幕切れ

幕切れはあっけなかった。どこから話していいか分からないほど混乱している。


おばあちゃんは病院に運ばれてから1週間、ほとんど目を覚まさなかった。

それでも私は毎日病院に通い、話しかけた。

「おばあちゃんの野菜、収穫しておいたからね。今日は工場が忙しかったからクタクタだよ。」そんな話。

看護師さんは大切なことだから毎日続けてあげてねと言うけれど、正直不安で仕方がない。もともと華奢な人が、どんどんやせ細っていく。


「口からちゃんと栄養を摂らないと人間はダメになるのよ。」

いつも口癖のように言っていた。そんなの言われなくても分かっているし、体を張って示す必要もない。


目を覚ましても、意識がはっきりしない。不安、恐怖、そんなものにとらわれて、作り笑顔もこわばっているのが自分でも分かる。

「おばあちゃん、気分どう?」

口元がわずかに動く。耳を近づけると、おばあちゃんは何度も口を開いた。

「あ、づ、き。」

小さな声で絞り出すようにあづきと繰り返しているように聞こえる。他の人にはきっとそう聞こえる。私にはちゃんと伝わった。

「おばあちゃん、初めて呼び捨てで呼んでくれたね。」

シワシワの手を握ると、表情が和らいだ。人は気持ちが通じると安心するんだ。

「私も、『お母さん』。」

幸せそうな表情のまま、涙を流した。お互いの手が二人の体温で温まっていく。


血の繋がりって、そんなに重要なものではないと思っている。

血が繋がっていると言うだけで、戸籍上の家族が決まってしまっていることに、私は不満さえ抱いている。思いやりや愛情を感じられない人間関係なら自分の生活から切り離した方がいい。むしろ血が繋がらない人たちでも、心の繋がりがあると家族よりも深い人間関係が築かれる。

「私、お母さんの子に生まれたかったな。」

この町に来て、たくさんの家族ができ、家族の素晴らしさを教わった。


「親には子供を支配する権利がある。」

そう思い込んでいる両親に翻弄された子供時代を過ごした私は、おばあちゃんと知り合って、もう一度子供から人生のやり直しが出来ている。甘える、頼る、そんなこと。それを体験して大人として子供たちに接する術を知り、自然に自分にも人にも優しくなれたように思う。古い友人に言わせると「丸くなった。」らしい。


「お母さん、心配すること何もないから、ゆっくり休んで元気になってね。また一緒にコーヒー飲もう。」

静かにうなずいた後、また目を閉じ、その瞼は二度と開くことはなかった。


コーヒーをもう一度一緒に飲む約束は叶わず、苦しむことなく、そして有言実行、誰にも迷惑をかけずに私のお母さんは旅立ってしまった。それはあまりにもあっけない幕切れで、現実味がない。


私は思っていることを全て伝えられただろうか、彼女の望んでいたことを全てしてあげられたのだろうか。一緒に過ごした時間は間違いなく楽しい物だったのに、後悔ばかりが先に立ってしまう。そして、まだまだたくさん教えてもらいたいことがあった。


もう二度と温まることのない手を握って、話しかける。

「お母さん?お母さん、私一人で大丈夫かな。ちゃんと生きていけるかな。」


「大丈夫、メイは一人じゃないだろう?」

お母さんに大丈夫って言って欲しいのに、口は堅く閉ざされたまま。代わりに後ろから声をかけたのは山下だった。いつも通りの笑顔を浮かべている。笑ったまま涙を流していた。起きないお母さんを見て、笑顔のまま膝から崩れ落ちる。


「母ちゃん、ダメだろう。みんなが悲しむって。」


山下の表情、言葉、そんな物から大切な人の死が現実となって押し寄せて来た。

二人で声を上げて泣いた。




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