第62話 転職と転居
自分では何とかうまくやっているつもりが、心が悲鳴をあげていた。
「おばあちゃん、町で私にできる仕事ってないかな。」
昔ながらの丸いお膳に所狭しと並べられたおかずを順番に口に運びながら、相談してみた。
「さつきちゃんなら、何でも出来るでしょう。」
そう言われると、真剣な悩み相談のつもりが世間話のように軽く柔らかくなる。
「おばあちゃんは何も心配してないよ?さつきちゃんは畑仕事も出来るようになったし、事務のお仕事だって出来る。接客も出来る。自慢の娘さ。」
くしゃっとした笑顔で言われると、涙が出そうになる。
「今の仕事辞めようと思うんだ。でも転職してお給料が下がったら、家のローンも払えなくなるし。」
「さつきちゃんはこの町が好き?」
急に話題を変えられて面食らう。
「もちろん、大好き。だからここで仕事があればいいなぁって。」
「それなら、欲しい額のお給料がもらえるまで、たくさん働けばいいのよ。大好きな町で。」
簡単な問題だった。
おばあちゃんの言う通り、寝る間を惜しんで働けばいいんだ。肩の力が抜ける。誰もがそうして生きている。
「早速、みんなに仕事ないか聞いてみようっと。」
朝、農家さんを手伝い、昼間は会社勤め、夜は自分の店。気心知れた人達と一日中仕事をしてクタクタになることはきっと幸せだ。
今の会社は私を人間として必要としていない。部品として必要としている。時間までに必要な作業を終えるロボット。生身の心がある人間だとは思ってくれない。だから、私も自然と仕事中は心を殺すようになった。嫌がらせをされたり、面倒なことを押し付けられたり、怒鳴られたりしたときも機械的にどのようなリアクションを相手が望んでいるかを考える。心から真の感情が湧いてこない。しょんぼりした演技をしてみる、苦しんでいる表情をしてみる。相手は満足する。完結。不健全な職場。お給料がもらえるとはいえ、そんなところで自分の大切な時間を使いたくない。やりがいを感じながら働きたい。誰かに必要とされて生きたい。そんな本心がおばあちゃんの家では素直に顔を出す。
「山下君は、お家どうするの?この町で建てるの?」
順番に悩み相談。賃貸マンションがあまりないこの町では、土地を買って自分の好きなレイアウトで家を建てるのが当たり前のように思われている。
「うーん。考えてはいるんだけど。買うなら安い中古物件でいいかなぁ。」
「親方に聞いてみるといいわ。空き家になっているところもあるし、空き土地もあるし。すぐに住める中古物件もあるはずだから。あの人はこの町で一番多く家を建てているし、山下君のためなら一肌脱ぐわよ、絶対。私からも頼んでおくからね。」
自宅を建ててもらった時、丁寧な仕事をする人だなと感じた。そこから近所付き合いが始まり、離れを作る時も迷いなく親方に相談した。町で一番の大工さんだとおばあちゃんから聞かされると納得がいく。
山下の家か。もし、山下がこの町に家を建てて住むことになったら、我が家の居候ではなくご近所さんになるのか。そして、休憩処もみじに出勤してくる。
いいことだ。けど、なぜか少しだけ寂しい。
おばあちゃんの家で過ごす夜はいつもより温かく、そして猛スピードで過ぎていく。
もっと一緒にいたい。おばあちゃんも山下も同じように思ってくれているだろうか。
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